197話 月のしずく - 星の記憶を宿すとき
風が静かに吹いていた。
月明かりに照らされた森を抜け、アリアたちは聖なる泉と呼ばれる場所に足を踏み入れる。
そこは森の奥にぽつりと開けた円形の空間で、水面が鏡のように夜空を映していた。
周囲を囲む木々は、月の光を透かし、柔らかな銀のヴェールを纏っているようだった。
「……ここが、月のしずくの泉?」
アリアがぽつりとつぶやく。
「村の人が言ってた。“満月の夜だけ、空から月の雫が降る”って」
エリオットが頷きながら、辺りを見渡す。
誰からともなく、泉の縁に腰を下ろし、それぞれが静かに空を仰いだ。
風が、光が、音が……すべてが静かだった。
そのときだった。
ふわり、と。
空から、ひと粒の光が落ちた。
それは、まるで水に溶けるように、アリアの肩へとすっと触れた。
「……!」
一瞬、アリアの身体が淡い光に包まれた。
「アリア!?」
エリオットが駆け寄ろうとしたが、ルクスがそっと手を上げて制した。
「待って。……怖がらせてない」
アリアは驚いた表情のまま、泉の水面を見つめていた。
その瞳には、どこか懐かしさが宿っていた。
「なにかが、胸の奥に……温かく、触れたの」
彼女の声は震えていたが、恐怖ではなかった。
その光が、彼女の胸元へすっと吸い込まれたとき——
“コトン”
まるで小さな鍵が心の扉に触れるような、感覚が走った。
*
「これは……異常だ」
少し離れた場所で観察していたエリオットが、険しい顔でつぶやく。
「アリアは継承者じゃない。星霊の契約も……それに触れる資格もないはずなのに」
マコトが腕を組む。
「けど、今の反応は……完全に、星霊が“受け入れた”ものだった」
「アリア、体に異変はないか?」
ユリウスが気遣うように尋ねた。
アリアは首を横に振った。
「ううん。むしろ、優しい気持ちになったの。……誰かが、ずっと、ここにいた気がする。ずっと、祈ってたような」
「記憶……の鍵?」
ルクスの言葉に、イリスが「ぽよん」と小さく跳ねた。まるで、肯定するかのように。
「つまり……」
シュウが考え込むように言った。
「アリアの中に、星霊の記憶が……少しだけ宿った可能性がある?」
「それが何を意味するか、まだ断定はできない」
エリオットが眉をひそめる。
「けれど、これまでの法則から逸脱している。……星霊の加護を受けるには、本来、何段階もの儀式が必要だ。しかも、“記憶の鍵”など、選ばれた者にしか触れられない」
「でも、触れてしまったのよ。私が」
アリアの声は、どこか遠くを見つめていた。
「それがどういう意味なのか、まだ分からない。でも……怖くはない。きっと、わたしは……忘れてはいけない何かに、触れた気がする」
その瞬間、泉の奥で、もうひとつの光がきらめいた。
まるで、返事をするように。
*
夜が更けても、泉は静かに光を放ち続けていた。
月のしずくが落ちた痕跡は、どこにもない。
けれどアリアの中に残ったものは、確かに“そこに在った”記憶。
名もなき祈り。
忘れ去られた想い。
「ねえ、ルクス……」
「……ん?」
「この世界のこと、もっと知りたい。昔のこと、星霊たちのことも。……わたし、自分のルーツも、全部」
「……うん。きっと、見つけられるよ。アリアは、その灯火だから」
ルクスの声は優しかった。
その背に、イリスが「ぽよん」と寄り添う。
そして、一行は静かに泉をあとにした。
満月の光が、まるで祝福のように彼らの背中を照らしていた。
ーーー198話へつづく
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。




