173話 光の選択 - 過去と未来の狭間
夜明けの光が、焔の谷に差し始めていた。
燃え尽きた焚き火の残り香の中で、アリアは一人、岩に腰を下ろしていた。
空はまだ深い群青を残し、星々の輝きが消えかけている。
その向こうから、金の光が静かに顔をのぞかせていた。
(……私は、何を見たんだろう)
昨夜の“囁き”は、幻だったのか。
それとも、過去の誰かの声だったのか。
心に残っているのは、冷たく孤独な想い。
祈っても届かず、ただ閉ざされた意志。
「……それでも、私は知りたい」
小さくつぶやいたその時、ふわりと足音が近づいてきた。
「眠れなかったか」
アリアが顔を上げると、そこにはマコトが立っていた。相変わらず無表情だが、手には湯気の立つ湯飲みを二つ持っている。
「……あたたかいの、ありがとう」
「おまえが見たもの、夢の中のこと、話してもいい」
アリアは湯飲みを受け取り、両手で包む。熱が手のひらから心に染みていくようだった。
マコトは、焚き火の跡のそばに腰を下ろし、しばらく無言のまま視線を遠くへ投げた。
「……カメリア。おまえの前世だ」
アリアは息をのんだ。
「彼女は“祈る者”だった。けれど、最後には誰にも祈りが届かなくなった。なぜなら、その頃には……もう、信じるものが一人もいなかったからだ」
マコトの言葉は、静かに谷に溶けていく。
「俺は、……その時、隣にいた」
アリアが驚いたように彼を見る。
「師匠も、……カメリアの時代に?」
「ベリタスという名だった。すでに忘れられて久しい、古い名だ」
アリアは息を呑んだ。
カメリアの祈りを知っていた誰か。
ずっと、自分の記憶の中で見えていた背中。
剣を構え、祈りを守る者──。
「じゃあ、師匠は……」
「記憶の断片だけだ。俺自身、そのすべてを思い出してるわけじゃない。ただ、一つだけ覚えてる。……カメリアは、最後の瞬間まで、誰かの幸せを願っていた」
言葉に詰まったアリアの背中に、やわらかい感触が「ぽよん」と寄り添った。
「イリス……」
イリスがアリアのフードの上からするりと滑り降り、足元にぽよんと着地する。虹色の核が、やわらかく脈打つように光った。
すぐに、モルンもやってきた。朝焼け色の鱗が朝日に照らされ、彼のたてがみがふわりと風に舞う。モルンは静かにアリアの隣に座り、尾を巻き、目を閉じた。
「……来てくれたんだね。ありがとう」
すると、その向こうからも、ひとり、またひとりと仲間たちが姿を現した。
「目、覚めたかと思って。焚き火、まだあるかなと思って」
シュウが白衣風の旅装を羽織りながら、薬箱の入った荷を背にやってくる。
その隣では、ユリウスが懐から何やら紙片を取り出していた。
「結界のゆらぎは、少しだけ落ち着いた。……でも、奥はまだ完全には沈まってない」
ユリウスの金色の髪が朝日に染まり、鋭い目が静かに谷の奥を見つめていた。
「だからこそ、アリアの判断が必要なんだろう」
そして最後に、エリオットが歩いてきた。
青と銀の衣が光にきらめき、長杖に浮かぶ紋章が空中に結界の一部を投影していた。
「……君がどう動くかによって、僕たちのすべきことも決まる」
アリアは、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
この世界に来た理由は、まだわからない。
けれど──
「私の中に、カメリアの記憶があるのなら。それは、“痛み”だけじゃないと思いたいの」
アリアはそう言って、そっとモルンの背を撫でた。
「誰かを信じること。想いを託すこと。……あきらめないこと」
彼女の言葉に、モルンの癒しの炎がふわりと周囲に広がった。光の粒が草原の上をふわふわと舞い、まるで星が降ってくるようだった。
その中心に、アリアは立ち上がる。
「わたしは、“光”を選ぶ。封印の奥にある意志と、向き合う。逃げずに、話す。……それが、私の“選択”」
ユリウスが微笑む。
「らしいね」
エリオットはうなずいた。
「なら、僕たちも構えよう。いつでも手を貸せるように」
シュウも安心したように胸をなでおろす。
「よかった……アリアが笑ってると、やっぱりほっとする」
マコトは剣を静かに腰に戻し、背を向けた。
「光を選ぶなら、俺たちはその先を照らすだけだ」
イリスが「ぽよん」と跳ね、モルンの尾にぴたりと寄り添った。小さな虹色と大きな朝焼け色が、朝の光の中で穏やかに揺れる。
その瞬間、谷の奥から、かすかな気配が漂った。
かつては呪いとされていた封印の地に、微かな“温もり”のようなものが流れ込んでくる。
影は、まだ完全には去っていない。
けれど、光もまた、確かに灯り始めていた。
──174話へ、つづく。
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
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