163話 導かれる森へ - 羅針盤が動くとき
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──森へ向かう小道を、アリアたちはゆっくりと歩いていた。
山間を抜けた先にあるという「継承の森」は、どこか澄んだ空気に包まれていて、風が肌を優しく撫でていく。
「……なんだか、呼ばれているみたいだね」
アリアは胸元の羅針盤をそっと取り出し、目を落とした。
「カタ……カタリ」
盤面の針が、再びわずかに震えている。光を受けて淡く輝くそれは、北東の方角を静かに指し示していた。
「まるで、“願い”の在り処を示してるみたいだ」
エリオットがぽつりとつぶやき、イリスが「ぽよん」と応えるように跳ねる。
モルンは道の先を見つめたまま、低く「ふす……」と鳴いた。その金色の瞳には、何かを知っているかのような静けさが宿っている。
*
やがて、木々が深くなり始めた。
風は静かに渦を巻き、枝葉の隙間から差し込む光が、足元を淡く照らしている。辺りは不思議なほど静かで、鳥のさえずりも、獣の気配も感じられなかった。
「……このあたりから空気が変わったな」
マコトが小さく呟くと、ユリウスが後ろから歩み寄り、少し緊張した声で言う。
「……“風の巫女”が祈った森、って話……あながち伝説でもないかもな」
「うん……なんとなく、わかる気がする」
アリアが目を細めて前を見つめたそのときだった。
「……あっ」
彼女はふと、道の脇に伸びる獣道のような小さな道へと足を向けた。
「な、なんだ? アリア」
「わからない……でも、なんとなく“呼ばれてる”気がするの」
*
アリアが辿り着いたのは、大きな木の根元だった。
何の変哲もないように見えるその場所には、しかし、風がふわりと舞うたびに──光が揺らめいていた。
「これは……?」
イリスが「ぽよん」と跳ね、その揺らぎの中心へと吸い込まれるように飛び込んだ。
次の瞬間、空間がふわりと波打つように光を放ち、周囲が淡く色づく。
「……結界、のような……?」
エリオットが呆然と呟いた。
結界は強くもなく、危険な気配もない。ただ、そこには“記憶”のようなものが漂っていた。
風の巫女が祈った残響──あるいは、まだ言葉にならない“祈りの器”。
アリアはそっと結界の内側に手を伸ばし、指先で空をなぞる。すると──
「……“祈り”……?」
言葉にならない囁きのような感覚が、心の奥に届いた。
「“記憶”……“声なき声”……?」
アリアがぽつりと呟くと、羅針盤の針が一度、ふるふると震えてから、静かに止まった。
マコトも目を細め、そっと手を伸ばすが、透明な壁のような力にふわりと弾かれた。
そのとき、モルンが前に出て、じっとその結界を見つめた。
ゆっくりと、炎の息を吐く。
そして──ユリウスのそばに近づくと、ふとその肩に、再び前脚をかけた。
「……また?」
ユリウスが戸惑いの声を上げる。
けれど、モルンはただ静かに、彼を見つめていた。
その瞳は、どこか懐かしさと、探るような光を湛えていた。
「もしかして……モルン、君は……」
ユリウスが言いかけたとき、モルンの体がふっと震えた。
──記憶が、ささやく。 遠い昔。まだ名前もなく、炎だけだったころ。 誰かがその背に触れ、こう言った。
『……その火は、破壊じゃない。希望を灯すためのものよ』
声は聞こえない。 でも、確かに“誰か”がそう言っていた。
モルンは目を閉じ、ほんの一瞬、その記憶の光に包まれる。
そして、ユリウスからそっと離れると、結界の前に立ち、静かに尾を揺らした。
アリアが、そっと呟く。
「……あの時、師匠と話していたこと。カメリアさんのこと」
モルンが、小さくうなずいた。
「あなたの記憶と、この場所は……つながってるの?」
答えはない。けれど、イリスがぽよん、と跳ね、結界の中央に戻ってくる。
そして、その小さな体が、光の波と共鳴するように、きらきらと揺れた。
その瞬間──
視界の中に、ひとつの“映像”が浮かんだ。
小さな社。光の柱。 そして、そこに佇む白い衣の少女と、隣に寄り添う炎をまとう生き物。
「……これは……」
アリアが手を伸ばすが、映像はふっとかき消える。
「……まだ“開かない”。たぶん、“鍵”が足りないんだと思う」
彼女は静かにそう呟いた。
「きっと、何かを“継ぐ”ための場所……けれど、そのときは、まだ来ていない」
マコトが小さく息を吐いた。
「じゃあ、また来るしかないな。全部揃ったときに」
ユリウスがモルンに視線を向ける。
「その時、お前の記憶も……きっと、すべて思い出せるかもしれないな」
モルンは肩を低くし、アリアのそばにぴたりと寄り添う。
そして、結界の光がふわりと閉じ、再び森の静寂が戻った。
風が、優しく吹き抜けた。
*
アリアは立ち上がり、結界の気配を見つめたまま胸元のブローチに手を添えた。
それは、かつての聖女サクラが遺した形見──祈りの象徴であり、願いの軌跡。
「……この“光”は、カメリアの祈った未来と同じ……。そう感じるの」
イリスがふわりとアリアの肩に乗り、モルンはそっとその背後に寄り添った。
一行は静かに、その場に別れを告げる。
──光が導いたこの場所は、“今”ではなく“かつて”の祈りを抱く地だった。
まだ知らない物語が、静かに息づいている。 けれど、いつかまた来る日がある。
それを信じて、一行は歩き出す。
──164話へつづく
※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。




