第七十四話 七つの大罪
六枚の漆黒の翼を生やした美しいその男──『傲慢ノ悪魔』グリファルド=L=ライピーファ。
二本の角に黒い翼を生やした赤髪のその男──『憤怒ノ悪魔』ドラゴル=S=ユニウルフ。
下半身が巨大な蛇の尾のその女──『嫉妬ノ悪魔』マイ=L=T=スネールリア。
片眼鏡に白衣の気怠そうなその女──『怠惰ノ悪魔』フェニザンヌ=B=A=ベアトルア。
頭上の王冠だけが燦然と輝く全身咬み傷だらけのその女──『暴食ノ悪魔』ケルアンナ=B=ピッグスダイル
金銀財宝に塗れた幽鬼のようでいて目だけはギラついた人影──『強欲ノ悪魔』ゴブバルト=M=フォックテリス……はナタリー=グレイローズが土の器を斬り捨てたので現世に留まることができずに退却している。少なくとも誰かがもう一度召喚しない限りは今回の戦闘に参加することはできない。
ゆえに残り五体。
いずれもが『魅了ノ悪魔』……を喰らって成り代わっていた魔族四天王の一角クルフィア=A=ルナティリスと同格かそれ以上の怪物だ。何せ彼女自身かつての『魅了ノ悪魔』サキ=A=スコービットとは真っ向からやり合ったわけではない。不意打ちや騙し討ち、とにかくありとあらゆる悪意を重ねて実力を発揮させずに喰らってその力と象徴を奪い去ったに過ぎないのだから。
先の攻防ですでに右腕は肩から先が吹き飛んでいた。
単なる負傷ならまだしも、七つの大罪からの攻撃による負傷だ。悪魔らしい穢らわしい呪いのような効果でも染みついているのか、少なくともすぐに生やすようなことはできそうになかった。
……悪魔は魂だけでも生存できる。だから肉体を殺されても問題ない、などという安全圏も期待はできない。何せ他ならぬクルフィア自身がかつての『魅了ノ悪魔』や『雷ノ巨人』の魂を喰らって殺したように、魂喰いの必殺は悪魔共通の武器だ。七つの大罪の怪物たちも同じことができるので、これは敗北が絶命にだって直結する正真正銘の殺し合いである。
数も質も向こうが上。
色欲とは効果が異なる『大罪の領域』をそれぞれが振りかざすことができる以上、『大罪の領域』を切り札の一つとして数えているクルフィアだけでは絶対にこの状況をひっくり返すことはできなかっただろう。
悔しいが、認めるしかない。
『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズ。勇者パーティーの一員にして全盛期にはあの『白百合の勇者』とだって肩を並べていた怪物の剣は決して錆びついていない。
(あの魔王が異界から呼び出した魔族四天王を遥かに超える『欠番ノ魔』をたった一人で殺した怪物だもんねえ。その時に『魂魄燃焼』を使ったせいで魂に致命的な欠損が刻まれたおかげでワタシでもどうにかやり過ごすことができるくらいに弱体化したんだけどお)
それでも、だ。
今の時点でもやろうと思えば七つの大罪の一角を一撃で撃破できるほどの力がある。
と、その時だった。
ぐらり、と。
横に立つナタリーの身体が微かに揺らいだ。
よくよく観察してみると、だ。
噛み締められた口元や額に浮かぶ汗。表面に出さないよう我慢しているようだが、それでも出てしまうほどには消耗していた。
それほどに無理して放った一撃であったのだ。
何せクルフィアと同等かそれ以上の悪魔を一刀両断した。あの時に感じた独特の力の波動は間違いなく『魂魄燃焼』で無理やりに魂を消費した時のそれだった。
全力、それ以上。
その代償は確かにナタリーに刻まれている。
「なるほど、なるほど、なるほどですっね」
下半身の巨大な蛇の尾を揺らしながら『嫉妬ノ悪魔』マイ=L=T=スネールリアが言う。
「ちっぽけなはずの人間が七つの大罪を司る高位の悪魔を一撃必殺、チートで最強な無双極まる主人公を気取っているのがもう本当狂おしいくらい妬ましかったですけど、ここらが限界みたいですっね」
「がじゅべぢゅっ。弱ったところを喰らう、かあ。腐りかけもまた美味しいし、ガリッ、全然アリだね」
手慰めに自身の指を食い千切りながら呟く『暴食ノ悪魔』ケルアンナ=B=ピッグスダイル。
片眼鏡に白衣を揺らしながら『怠惰ノ悪魔』フェニザンヌ=B=A=ベアトルアが続く。
「何ならそのまま自滅してくれない? 普通にめんどいし」
そして。
二本の角に黒い翼を生やした『憤怒ノ悪魔』ドラゴル=S=ユニウルフが一歩踏み出す。
「つーか人間ごときに七つの大罪の一角が斬られたのが心底苛立たしいんだよなあ!! いいからさっさと死ねよ、おい!!」
「ちいっ!! ナタリー=グレイローズう!!」
ぶわっ!! とナタリーの前に飛び出したクルフィアが『大罪の領域』を盾のように展開する。悔しいが攻撃力ならナタリーの方が上だ。彼女がやられればクルフィアだけで残りの七つの大罪を撃破するのは難しい。
──彼女たちの目的はあくまで魔王の魂を保存・『娘』に刻み込む魔法道具の破壊であり七つの大罪の撃破ではない。ないが、邪悪を極めた悪魔が魔法道具を破壊するのを素直に見逃すわけがない。
理由があってもなくてもとりあえず邪魔をする。
悪魔とはそういう生き物だ。何なら同じ立場ならクルフィアでも同じことをする。
せめて体勢を整えるためにもこの場から離脱するのも一つの手段だろう。ナタリーがこの場に現れるために使った──おそらくエルフの長老の娘の転移の魔法──で一時退却するべきだと、そう告げようとした時だった。
引き裂かれた。
『傲慢ノ悪魔』を除く四の大罪の突撃によってクルフィアのギラギラとしたピンク色の閉鎖空間、『大罪の領域』が破られたのだ。
仮にも空間系統魔法、一つの世界を形成しているに等しいというのにお構いなしだった。そもそも彼等だって各々の『大罪の領域』を振りかざす怪物なのだから所詮は奪っただけのクルフィアの力など恐れる必要もないのか。
そして。
そして。
そして。
「まあここらが使い時でありますか」
ザッッッゾン!!!! と。
迫る四体の悪魔、仮にもそれぞれが自身の司る『大罪の領域』という世界を振るう高位存在が両断されたのだ。
誰が?
そんなの『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズに決まっている。
だけど、
「なあ、んでえ……さっきよりも轟剣の威力が上がっているのよお!? まさか手加減していたとかあ!?」
「そんなわけないでありますよ。というか、最初の一体目の悪魔を斬り殺した時の一撃が何かしら無理やりに全力以上を引き出しているとわかったからこそ、向こうだってあの程度なら四体で抑え込めると確信して突撃したはずでありますし」
「だったらさっきのは何なのよお!?」
「もちろん、それ以上まで底上げした一撃ですよ」
それはナタリー=グレイローズの声ではなかった。
第三者。いつのまにか『彼女』はナタリーの後ろから一歩前に踏み込んできた。
「できるだけ油断を誘って向こうの本領を発揮させずに始末する。流石はお嬢様ですね」
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢のメイド。
『雷ノ巨人』との戦闘でも披露された彼女の魔法は他者の魔法を増幅するというもの。つまりその魔法でナタリーの轟剣を底上げして四体の悪魔の想定を超えた一撃をお見舞いしたということだろう。
エルフの長老の娘の転移の魔法。
それがあればこうしてメイドという新手をこの場に送り込むことはできる。
だが、そもそも『ナタリーを含む勢力』はどこまで読んでいたのか。
もしも七つの大罪という脅威が立ち塞がると事前にわかっていたからこそ『彼女』を控えさせておいて『底上げした一撃』を最大限活かすタイミングを見計らっていたとしたらその情報はどこからもたらされたものなのか。
クルフィアが魔王に殺されることを事前察知して助言してきたことも含めて策略それ以前に『情報源』が気になるところだが……、
「何をぼさっとしているんですか? 本来なら私の力はお嬢様をお支えするためだけのものなんです。それをお嬢様の命令だから仕方なくどこぞの騎士だの悪魔だのに使ってやるんです。感謝して咽び泣きながらさっさと終わらせてください」
「あっは☆ 生意気なメイドねえ。これはわざとイラつかせて誘っているって捉えていいわけえ? 大丈夫う、ワタシは女だって全然余裕でイケるわよお。もちろんこれまでの人生が塵芥に思えるくらい快楽でずぶずぶに染め上げて幸せしか感じない愛玩奴隷にしてあげるんだからあ☆」
「盛るなであります、脳内ピンクのクソボケ。まだ一番厄介なのが残っているでありますよ」
そう、確かに六体のうち五体は土の器を破壊したことで現世から退去している。だがそれは決して簡単なことではなかった。少しでも向こうの油断を引き出せずに戦闘が長引いていれば今頃はナタリーたちが死体を晒していたはずだ。
少なくとも二度も『魂魄燃焼』を使ったナタリーに余力はない。轟剣を放てるとしても一発が限度だろう。それ以上無理を重ねれば内側から崩壊するのは避けられない。
ここまで消耗して、なお、まだ明らかな最強が残っている。
「ふむ」
六枚の漆黒の翼を生やした美しいその男──『傲慢ノ悪魔』グリファルド=L=ライピーファ。
「で?」
一撃だった。
戦況なんてものは強者の気まぐれでいとも簡単にひっくり返る。