第七十三話 悪魔召喚
『魅了ノ悪魔』クルフィア=A=ルナティリスは大陸中心部──すなわち今まさに激戦が繰り広げられている地にいた。
ただし、位置は地下深く。
魔法によって隔絶された『生き残りの魔族の本拠地』に、だ。
「あっは☆」
薄暗くも壁から天井から剥き出しの土くれが淡く光っていた。多くの部屋や通路がまるで城のような広大な建物のように維持されている地下空間。魔法によって保持された本拠地を悪魔が歩いていた。
今ならば『白百合の勇者』(?)が魔王を足止めしている。つまり魂を保存・『娘』に刻み込む秘奥を守るために魔王本人が出張ってくることはない。
あの秘奥を破壊すれば、魔王が殺されても魂だけは保存できる延命行為を阻止できる。魔王の力をラピスリリアに受け継がせることもできなくなるが、あんな破滅主義者に好きにさせるよりは遥かにマシだ。
『──四天王も含めて魔族の誰も種族全体のことなんて考えていないケド。自分の欲望さえ満たせればそれでイイ。それが魔族の本質なんだシ』とはラピスリリアの言葉だったか。
その通りだ。
クルフィアは仮にも王を裏切ろうというのに一切の躊躇も罪悪感もなかった。王への忠義? 魔族の未来? そんなの知るか。自分が幸せになるためなら、そう、遥か過去に七つの大罪の一角を喰らってその存在さえも簒奪した女が今更そんな殊勝なことを考えるものか。
だから。
だから。
だから。
『生き残りの魔族の本拠地』の最深部。
数多もの魔法的防衛網を突破したその先、広いだけの薄暗い空間に鎮座していた目的の秘奥の前にその男は立っていた。
「これはこれは、お久しぶりっすね、我が主」
認識を希薄化できる魔族の男。
『魅了ノ悪魔』の部下……ではない。そんなガワはもう脱ぎ捨てている。そうでなければあそこまで敬うつもりもない軽薄な笑みは浮かべないだろう。
「いやあ、大変だったんすよ。まさか『第七位相』そのもののジークルーネまで出てくるとは思ってなかったっすから。向こうに僕のことを殺したと思い込ませて逃げるのがどれだけ大変だったか、もうあんなのはごめんっすね」
そう言えば。
結局クルフィアはこの男の名前さえ知らなかった。
それが全てなのだろう。
それでも信頼されるよう振る舞ってきたというのも一種の才能だ。彼女は仕草や言葉、果ては色欲の誘発の応用で他者を操ることができるが、この男はそんな『誘惑の達人』さえも騙してきたのだから。
「つまらない問答は必要う?」
「ありゃっす。やっぱりもうダメっすか。とはいっても僕の演技がバレたというよりは魔王復活からの逆算っす? それとも……やっぱり今代の光系統魔法の使い手は僕が考えているよりもチートだったとかっすかね?」
「だからあ、つまらない問答は必要う?」
「まあ、そうっすよね。自分は平気で裏切るくせに自分が裏切られるのは絶対に嫌なのがお前っすもんね。本当性格終わっているっすよ」
三度目はなかった。
五十メートルはある間合いなどお構いなしに禍々しい閃光が放たれる。『暴発』、その指向性を調整した攻撃。百年以上前に『第七位相聖女』やガルズフォードがやっていたのを真似たものである。
魔族四天王の一角の魔法をわざと崩し、純粋な破壊エネルギーに変えた一撃だ。単なる魔族でしかない彼に受け止められるわけがないというのが前提。
「咎の魔よ、『超越者』の知に導かれて北欧の領域へと来たれ。……召喚といえばこんなところっすか」
ガッギュィイイ!!!! と破壊エネルギーが真横にズレた。魔族の男の近くの床が盛り上がり、形をなして、魔族四天王の一撃を弾き飛ばしたのだ。
「お前が恥ずかしげもなく語っている『魅了ノ悪魔』なんて紛い物じゃないっすよ。自前の魂を持たない真なる悪魔を六体ほどゴーレムにでも埋め込んだというわけっす」
すなわち、七つの大罪を司る悪魔の群れであった。
例えば六枚の漆黒の翼を生やした美しい男、例えば二本の角に黒い翼を生やした赤髪の男、例えば下半身が巨大な蛇の尾の女、例えば片眼鏡に白衣の気怠そうな女、例えば頭上の王冠だけが燦然と輝く全身咬み傷だらけの女、例えば金銀財宝に塗れた幽鬼のようでいて目だけはギラついた人影。
土くれが、気がつけば明確に形や色を変えて悪魔を形作っていた。七つの大罪。今は亡き『魅了ノ悪魔』サキ=A=スコービット以外の六体の悪魔が揃っていた。
(アブラメリン伝書にレメゲトン・ファーストオーダーに赤龍の魔導書にい、変わり種だと友達と遊んだ時の記載を抽出して悪魔召喚に応用した『初代』光系統魔法の使い手の日記なんかもそうだったっけえ。『超越者』の知識の劣化模倣う、すなわち肉体なき悪魔を『向こう側』から現世に呼び出すだけでなくて力を出力するための仮初の器まで授けて代わりに契約によって使役する外法ってねえ。魔法でも体質でも奇跡でもない人間の飽くなき執念が生み出した古の奥義い。女神暦300年前後から猛威を振るったけどお、とっくに『救世の乙女』によってその奥義の継承者も魔導書も抹消されたはずう。だからワタシと違って『自前の肉体を持たない普通の悪魔』が現世に現出する手段はなくなったはずだけどお……人間にできたならば再現は可能だとでもお? 召喚術の根幹は全てが『超越者』から伝え聞いた知識や技術ありきである以上う、模倣ならともかく一から組み上げるなら『超越者』と同等の知識なり技術が必要だというのにい?)
疑問は尽きず、しかしクルフィアはわざわざ敵に動揺を悟らせるような愚は犯さない。表面上は嘲るような笑みで応じる。
「あっは☆ そんな小物の召喚に応じるだなんて七つの大罪も安くなったものねえ」
(一対六う。しかもそれぞれがワタシが奪ったのとは性質の異なる『大罪の領域』を使用可能な悪魔どもお。そんなの真っ向からの勝負では勝ち目はないのが前提としてえ、だからといって勝機がないわけじゃないよねえ。召喚術はあくまで術者依存の超常よお。つまり召喚された連中を無視して裏切り者のクソ野郎をぶち殺せば自動的に七つの大罪の悪魔どもも元の居場所に退去するってわけえ)
「ふむ」
(無謀でも無茶でも無理じゃないはずう。この程度で諦めるほど聞き分けが良かったら『A』でしかないワタシはとっくの昔に埋没しているのよお。だから足掻け最後の最後に笑うためにい!!)
と。
六枚の漆黒の翼を生やした美しい男──七つの大罪の中でも最強にして傲慢を司るその悪魔はこう吐き捨てた。
「それもそうだな」
音も光もなかった。
一瞬にして認識を希薄化させる魔族の男の全身が真っ赤なシャワーでも撒き散らすように粉砕された。
「なあ、ん」
召喚された悪魔は術者との契約によって使役される。それは絶対のはずだ。
クルフィアのように悪魔は契約の果てに契約者の魂を喰らうものである、という定説を無視して何の契約も結んでいない相手の魂を喰らうことはできるかもしれない。それはあくまでフラットな、制約のない状態だからこそ世間で語られるような悪魔の習性に真面目に従う必要はないというだけだ。
だが、これは違う。
召喚は果たされた。その時点で明確に悪魔の魂は超常でもって縛りつけられている。それを力づくで破るのは少なくともクルフィアには無理だ。召喚が成功したならば、最低でも召喚された理由を果たして契約を履行するまでは術者に歯向かうことは不可能なように術式が組まれているのだから。
そんな前提、圧倒的な力で無視していた。
悪魔らしい騙し討ちで先代の『魅了ノ悪魔』を喰らって七つの大罪の一つを取り込んだクルフィアと違って、生まれた時から生粋の大罪の一角は真に悪魔らしく邪悪に傲慢であった。
「何をそんなに驚いている? そんな小物の召喚に応じるだなんて七つの大罪も安くなったものだという貴様の指摘は正しかった。だから汚点を抹消したというだけじゃないか」
ぱき、ぱき、と傲慢を司る悪魔や他の悪魔の身体がひび割れていく。それも当然だ。召喚及び土の器を用意した術者を殺せばその依代も維持できずに──
「気に食わないな」
──霧散する、はずだった。それが次の瞬間には強固に固着化していたが。
「吾の存在があんな奴の力なくては現世に留めておけないなどと論外だ。それはすなわちあんな奴に劣るという証明だからな。だからひっくり返した。それだけのことにそんなに驚くな。仮にも吾と同じ枠組みの悪魔を喰らって有象無象から高位の悪魔にランクアップした唯一の個体だろうが」
「……ッ」
「ん? なんだその怯えは? まさか吾が敵討ちでも考えていると思ったか? そんなわけないだろう。前の色欲のアレは昔こそ同じ枠組みの存在ではあった。貴様はアレを卑劣な騙し討ちで真っ向勝負を許さずに喰らった。だがそれがなんだ? 結果としてアレは貴様に殺された。その時点でアレは吾と同じ枠組みに属することなど許されない明確な負け犬となった。それが全てだ。だというのに、そんな奴のために吾が敵討ちをすると思われたのか?」
口調こそ穏やかなものだった。
最初から最後まで彼の声音は一切乱れることはなかった。
「それは少々小さく見られたものだな」
だから、彼は破壊を解き放った。
敵討ちなどという理由ではない。クルフィアのその怯えが気に食わない、それだけで。
「おお、ァああああ!!」
普段の彼女からは考えられない、獣のような咆哮であった。ギラギラとしたピンク色の空間系統魔法、己の好きに法則を歪められる『大罪の領域』。色欲を極限まで増幅するクルフィアの……いいや正確にはかつて喰らった女悪魔の代名詞。これまで多くの敵を葬ってきた切り札を盾のように展開したが、しかし、まるでバターにナイフを入れるように呆気なく引き裂かれた。
『大罪の領域』ですらなかった。純粋に破壊能力だけを突き詰めた漆黒の閃光がこれまでクルフィアが頼りにしてきた切り札を簡単に破り捨て、眼前まで迫っていた。
「ッ!?」
無我夢中で横に飛び退いた。床を転がり、どうにか一撃を回避できた。漆黒の閃光がその先の壁をいくつもぶち抜いて、地下空間をどこまでも抉っていく不気味な音を響かせる……のを耳にする暇さえなかった。
二本の角に黒い翼を生やした赤髪の男や下半身が巨大な蛇の尾の女が左右から襲いかかる。それをどうにか後ろに飛び退いて凌ぐために片手を吹き飛ばされた。
片眼鏡に白衣の気怠そうな女や頭上の王冠だけが燦然と輝く全身咬み傷だらけの女はその場から動かずに何かしらの力でクルフィアの身動きを封じた。
「略奪の時間だ、『大罪の領域』!!」
そこに金銀財宝に塗れた幽鬼のようでいて目だけはギラついた人影が突っ込む。七つの大罪それぞれの罪に呼応した奥義、『大罪の領域』。強欲なまでの性質で世界を塗り替えながら。
『強欲ノ悪魔』ゴブバルト=M=フォックテリス。
その冠の通り、領域内の所有物──武器や防具だけでなく魔力や魔法能力さえも奪い去るまさしく強欲なまでの力が迫る。
それに、対応できるだけの余力はなかった。
その瞬間、クルフィア=A=ルナティリスの脳裏に浮かんだのは野望を果たせなかった後悔でも欲望を満たしきれない屈辱でもなくて、たった一人の女の子の顔だった。
(ラピスリリア……っっっ!!)
「轟剣ッッッ!!!!」
ザッッッゾン!!!! と。
その一撃はクルフィア=A=ルナティリスと同じく大罪の一つを司る悪魔であっても受け止めることすらできなかった。
轟剣。
すなわち彼女の代名詞を頭から叩き込み、『大罪の領域』によって増幅された強欲のままに奪う力を強引に斬り裂いてそのまま股下まで振り抜いたのだ。
『大罪の領域』であってもお構いなしだった。
そもそもそんなものは通用しないというのは他ならぬクルフィアが身をもって証明してきた。
ゆえに真っ二つ。左右に引き裂かれて崩れ落ちる悪魔には目も向けずに突如乱入してきた彼女──『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズは言う。
「よかったでありますね。騎士は弱い者いじめはしないのでありますよ」
「あっは☆ 死んじゃえ☆」
礼なんて言うわけがない。
手なんて繋ぐわけがない。
今更仲良しこよしになんてなれるわけがない。
共通の目的さえ成し遂げたならば、今まで通り殺し合う関係に戻るのは明白だ。
だけど。
今だけは。
「足を引っ張るでないでありますよ、クソ悪魔」
「それはこっちの台詞よねえ、クソ騎士があ」
並び立つ。
魔王の魂を保存・『娘』に刻み込む秘奥を破壊するために魔族四天王の一角と勇者パーティーの一員が大罪の悪魔の群れと向かい合う。