第六十七話 最後の希望
何回目の過去への逆行なのか、シャルリアは覚えてすらいなかった。
死の記憶だけが脳裏にこびりついている。
また殺されるのかと、そう思ったらもうだめだった。
王都のどこかだった。
夕方。時系列としてはお返しを選ぶためのアンジェリカとのお出かけ中にシャルリアが転移させられ、『魅了ノ悪魔』と激突し、『娘』ラピスリリア=ル=グランフェイが乱入してうやむやになった後だろう。
通りにはまだ人が多く、しかしシャルリアの目には入っていなかった。
まるで獣の咆哮のようにシャルリアは泣き叫んでいた。震えて涙を流して、それでも嫌で辛くて怖くて悲しくてとにかく逃げ出したかった。
もう無理だ。
これ以上は一瞬だって立ち向かいたくない。
「ゃ、だ……もう殺されたくない……戻りたくない……やだ、いたいのやだ、もうやだあ!!」
「……さん。シャルリアさんっ!!」
だから。
抱きしめられるまで、彼女が声をかけてくれていたことにも気づけなかった。
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢。
一度も守り抜けなかった大切な人。
「あん、じぇ……うっあぅ……ああ」
「今は楽になるまで吐き出してください。我慢する必要はありませんから」
「ああ……うあ、あああ……あああああああっ!!」
アンジェリカにとっては何が何だか分からなかっただろう。それでも人目も憚らずに縋りつくように泣き叫ぶシャルリアのことを何も言わずに力強く抱きしめてくれた。
ーーー☆ーーー
どれだけそうしていただろうか。
辺りはもう暗く、星が空に輝いていた。
「う、ぐっす。ごめん、ごめんね、アンジェリカ様」
「そんな謝らないでください。それよりどうかしましたか? わたくしでよければ相談に乗りますわよ?」
「……ひ……ぅあ」
「シャルリアさん」
優しい声音だった。
普段の照れ隠しにしても冷たい雰囲気が微塵もなかった。
こんな時ばかりそんなにも優しく声をかけられたら、もうダメに決まっている。
「し、信じられないかもしれない。ひっう。頭がおかしくなったって思うかもしれない。それでも、それでも……聞いてくれる? 私の言うこと信じてくれる?」
「シャルリアさんが真剣におっしゃることであればどれだけ突拍子もないことであっても信じますわ。ですからどうか話してくださいな」
「……うん。私ね──」
気がつけばシャルリアは魔王との闘争に関わる全てを話していた。
自身の力のこと。殺された衝撃で世界が過去の状態に戻ること。魔王を倒すためにありとあらゆる努力をしたこと。自分が『白百合の勇者』の娘だからか勇者パーティーの面々も協力してくれたし、魔族四天王だって利害の一致から味方にしたし、他にも各国の精鋭を集めて、それでも魔王には勝てなかったこと。
その過程で知り得た『それぞれの事情』や魔王の力さえも。
『それぞれの事情』からもわかる通り、あれだけの特殊な事情に見合うだけの力の持ち主が揃っても魔王を殺す突破口は見えずにシャルリアには殺された記憶だけが何千も積み重なった。
もう限界だった。
これ以上は一度だって殺されたくない。そんなことになれば狂うというか、普通ならとっくに狂っているところを死んだ瞬間に過去の状態に戻っているせいで狂うことすらできない。……記憶『は』過去の状態に戻らないということは、記憶だけは力が作用せずに失わないよう無意識下でコントロールできているのだろう。記憶を保持したいと望んだために。
このままでは次殺された時に自分の存在だけ過去の状態に戻さずにそのまま死んでしまうかもしれない。無意識下での制御。死んで楽になりたいという想いに引っ張られる形でだ。
「ごめんなさい……やらないといけないのに。私がみんなを助けないといけないのに」
「謝らないでください。わたくしたちのために努力してきたシャルリアさんを責めるわけがないでしょう?」
「だけど、私、もう」
「シャルリアさん。質問があるのですけれど、『魂魄燃焼』で増幅した光系統魔法で死んだ人間を生き返らせることはできますか?」
「そんなの無理だよ。アンジェリカ様のこと、生き返らせられなかったし」
「それでは、メイドの魔法で底上げすれば? 他にも外部から底上げする手段はありますしね。とにかく時間軸、行動の変化によって魔王と激突する日が違う以上、早めに備えておいて損はありません。今からでも魔王撃滅に向けて行動するとしましょう」
「ええっと、アンジェリカ様? もしかして私の話、信じてくれるの?」
「何を言い出すかと思えば。信じると言ったはずですわよ。それともわたくしつまらない嘘をつくような女だと思われていますの?」
「そんなことない、ないよっ。うん、そうだね。そうだった。アンジェリカ様だもんね」
死の記憶に怯えていたからか、こんな簡単なことにも気づけなかった。
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢はどこまでも真っ直ぐなのだ。彼女が信じると言えば信じるに決まっている。その口から出来もしない言葉なんて出るわけがないのだから。
「そうそう。おそらくですけれど、無数に繰り返してきた中でこうしてわたくしに頼ったことはないのでは?」
「それは……その」
「わたくしがいようがいまいが戦力的にはそこまで大差ないとでも考えていました? 勇者パーティーや魔族四天王に比べれば今はまだ劣るのは自覚していますけれど」
「そうじゃなくてっ! どの時間軸のことなのかさえ思い出せないけど、アンジェリカ様の死に顔だけがどうしようもなく頭から離れなくて……もうあんなの見たくないって、絶対に守るんだって、そうやって無意識のうちにアンジェリカ様が魔王と戦わなくていいようにしていたんだと思う」
「そうやって気遣ってくれるのは嬉しいですけれど、生憎とわたくしは守られるだけの女ではありませんのよ」
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢はシャルリアを真っ直ぐに見据える。
優雅に、そして高慢に。
貴族令嬢の中でも燦然と輝く淑女は高らかと言い放つ。
「平民ごときがわたくしを守ろうなどと何様ですかっ。平民は平民らしく高貴なるわたくしの庇護を求めるべきなのですわ!!」
ああ。
そうだ。
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢とはこうであったと、シャルリアは思い出す。
無数の繰り返しの中で意識せずに遠ざけてきた。他の誰であっても巻き込んだが、アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢だけは魔王にぶつけるのは嫌だと。あんな絶望的な戦争には関わってほしくないと。
死なせたくなかったから。
もう目の前で死んで欲しくないからと向き合うことから逃げて、遠ざけてきたが、そんなことを他ならぬアンジェリカが望むわけがない。
守られるだけのヒロインで収まる器ではない。
脅威が襲いかかってきたら誰かの背中に縮こまって隠れるのではなく、率先して飛び出してその手で脅威を粉砕して高らかに笑うのがアンジェリカ=ヴァーミリオンという令嬢なのだから。
「たすけて、アンジェリカ様」
「ふんっ。最初っからそう言えばいいのですわよ!!」
希望はまだ残っている。
最悪の運命を切り開いて誰も欠けることなく生還するための道筋は誇り高き令嬢が示してくれるのだから。