第六十四話 世界最後の日に食べたいものは その十一
シャルリアたちの攻撃は流星をある程度砕いた。
魂を使わずとも魔力を弾く性質をある程度突破できることは証明されている。
ならば『魂魄燃焼』を使って強化されたシャルリアの魔法が流星に押し負けるわけがない。そして魔力を弾く性質さえねじ伏せることができれば後は消化試合だ。無害な過去の状態まで戻して人類は滅亡の危機から救われる。
その時だ。
シャルリアと流星の間に黒い何かが飛び込んできた。
すなわち今まさに放たれている光系統魔法に飛び込む形で。
「相談内容:魔族の魔の手から王国を救う、その方法は? 回答:ジークルーネが殲滅すればいい」
ぶあっざあ!! と金髪碧眼の美女の背中から六の白鳥のような純白の翼が噴き出し、その手にはいつの間にか純白の羽を模したような剣が握られていた。
その瞬間のことだ。
白く輝く光系統魔法が内側から吹き飛んだのだ。
漆黒。
深淵の底を剥ぎ取ったような禍々しい黒によって。
「ゆえに、ただいまより『相談』を解決するため魔王の殲滅を開始します」
光系統魔法を破り、宙に君臨する見覚えのある女の子が溶けるように崩れ落ち、代わりと言わんばかりにダークスーツの男が現出した。
腰まで伸びた銀髪。
病的なまでに白く、禍々しい肌。
鮮血が噴き出したような真紅の瞳。
腰に帯びた漆黒の刀。
『あの』女の子が着ていたダークスーツ。
そして何より空中に浮かんでいる彼は大瀑布を撒き散らしているかのような、これまで感じたことのない莫大な力の波動を放っていた。
魔王。
そう呼称された男の口が、開く。
「主神ノ玩具程度ガ予ヲ殺セルトデモ?」
片手間であった。
彼は視線さえ向けずに腕を後ろに振るった。光系統魔法が途中で吹き飛ばされたために消滅することなく迫る流星に対して、だ。
轟音が炸裂した。
あれだけ苦しめられてきた流星が埃でも散らすような呆気なさで粉砕されたのだ。
魔王と呼称された男も、そして金髪碧眼の美女もその結果に微塵も感情を動かしてはいなかった。当たり前だと、そんな些事に構っている余裕はないと。
瞬間、音も光も消えた。
人体の感覚器官では認識すらできない『何か』が起きた。
宙に浮かぶ魔王へと金髪碧眼の美女が襲いかかった……のだろう。果たして一瞬の出来事だったのか、かなりの時間が経過したのか、それすらもシャルリアたちには認識できなかった。
だから理解できたのは結果だけだ。
鈍い音と共に上半身と下半身とに両断された金髪碧眼の美女だったモノが地面に叩きつけられた。
「黒滅──『魂魄燃焼』」
男の声だけが響く。
漆黒を纏いし抜き身の刀をその手に持つ怪物の言葉だけが世界を席巻する。
「予ニコノ技術ヲ見セタノハ間違イダッタナ。『白百合ノ勇者』ガ使ッタ時点デ分析・習得ハ済ンデイル。技術ダカラ『バックアップ』モ問題ナカッタシナ」
「アリスフォリア!! 全員転移させろお!!!!」
ガルドが今更になって叫ぶが、その時には宙に浮かんでいたはずの魔王は地面──シャルリアたちの目の前に降り立っていた。
アリスフォリアは転移の魔法を使おうとしたのだろう。発動する暇もなく縦に両断されていたが。
『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズが剣を握り直した時には心臓を魔王の腕に貫かれ、同時にガルドは『暴発』で魔力の塊を叩きつけようとしていたが肩から脇腹にかけて斬り捨てられるほうが早かった。
瞬きが終わる頃には世界は激変していた。
今更のように肉塊が地面に倒れる。
連合軍の一斉攻撃に匹敵、あるいは凌駕していた者たちが呆気なく殺されていた。
遅い。
何もかもが。
「お嬢様、お逃げください!!」
「チィッ!!」
ようやくアンジェリカと共にこの場に駆けつけていた残りの二人、メイドとブレアグスがそれぞれ二振りのナイフと炎の剣を握った──ところで漆黒の『何か』に呑まれて跡形もなく消え去った。
死体も断末魔もなにもなく。
まるでそこには誰もいなかったかのように。
そこで魔王に向けて巨大な氷の槍が襲いかかった。
地平線の遥か彼方。方角は北。王都を丸々貫けそうなほど巨大な氷の槍が魔王に迫るが、
「女騎士トエルフノ死ガ消滅シソウダッタ自我ヲ起コシタカ」
軽く刀を振るっただけで地平線の彼方まで続く氷の槍は両断された。
魔王は北に目を向けて、呆れたように息を吐く。
「本気デ四天王程度ガ魔ノ王ニ勝テルト思ッタノカ?」
それだけで、思い知らされた。
王都を丸々貫けそうなほど巨大な氷の槍を具現化した誰かはもう殺されたのだと。
「え、あ……?」
気がつけば残ったのは二人だけだった。
シャルリアとアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢。それ以外はほんの一瞬で殺されたのだ。
現実味がない。
足元がふわふわしたように落ち着かない。
本来なら泣き叫ぶなり、憎悪を燃やすなりする場面だろうに、シャルリアの感情が現実に追いついていない。
シャルリアだけで良かったはずだ。
流星による人類滅亡の危機。そんな最悪は、しかしシャルリアが覚悟を決めて魂を燃やせば解決できたはずだ。
後一年も生きられない。
それは本当に最悪だけど、そうすればとりあえず『みんな』は助かったはずだ。
シャルリアが命をかけるか、かけないか。
人類は流星によって滅ぶか、滅ばないか。
突きつけられた二択はそういうもので、だからこそ流星さえなんとかすればいつもの日常が取り戻せたはずなのに……なんだ、これは?
「シャルリア、逃げろ!!」
そんな風に思考が固まっている間にも魔王は迫っていた。斬撃が飛ぶが、そこでシャルリアを庇うようにどこからか飛び込んできた男──シャルリアの父親が代わりに左右に引き裂くように真っ二つにされた。
ほんの一瞬で大切な人が死んでいく。
みんなが目の前でいとも簡単に。
「あ……」
「『初代』ニ、『白百合ノ勇者』。北欧ノ領域ノ下層ニ輝ク光ノセイデ随分ト遠回リスルコトニナッタガ、ヨウヤク天ニ挑ムコトガデキル」
「う、ああ、あああああああ!!!!」
『魂魄燃焼』がシャルリアの光系統魔法の真髄を呼び起こす。あらゆるものは触れただけで過去の状態に戻る必殺の魔法が放たれる。
だけどそれはもうとっくに破られている。
漆黒は容易く光を呑み込む。
だから抗うことはできなかった。
迫る漆黒の絶望をシャルリアにはどうすることもできなかった。
横から突き飛ばされて。
シャルリアの代わりにアンジェリカの胴体が消滅するのをただただ見ていることしかできなかったのだ。
…………。
…………。
…………。
奇跡なんて起きなかった。
アンジェリカは殺された。
何か言葉を残す暇もなく、他の者たちと同じように。
「あ、ぶっ、がぶべぶっ!?」
そこでシャルリアの全身に異様な痛みが走ったかと思えば、地面を真っ赤に染めるほど大量の血を吐き出していた。
『魂魄燃焼』。
その代償。
魂を削り過ぎれば死に至る。
考えなしに使えば魔王に殺されるまでもなく──
(いや、だ……)
倒れたまま指の一本も動かせない。
もう光のない、すでに死んでいるアンジェリカと目が合う。
(こんなの……いやだよ。アンジェリカ様……っ!!)
搾り出すように光が溢れる。
更なる『魂魄燃焼』。光系統魔法でアンジェリカの状態を過去に戻す──つまり死体から生きていた頃に戻すために。
シャルリアはもう死ぬ。
だけどせめてアンジェリカだけでも生き返らせる。
そんな決意も無駄に終わった。いかにシャルリアの光系統魔法でも死までは覆らせることはできなかった。
どうしようもなかった。
すでに結果は出た。漆黒の絶望は平等に死を突きつける。
今回のシャルリアに抗う術はなかった。
『魂魄燃焼』による反動で死ぬ前に、魔王の刀がシャルリアを貫いて迅速な死を与えた。
ーーー☆ーーー
これが本人すら正確には覚えていない始まり。
基準となった物語である。
そう、数多もの勝ち目なき挑戦はここから始まったのだ。