第六十三話 世界最後の日に食べたいものは その十
連合軍による一斉攻撃は通用しなかった。
王都のほうから更なる攻撃が続いたが、それも流星を完全に破壊するには至らなかった。
王都の外、集まった連合軍の面々は悲痛な顔で流星を見上げていたが、アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は違った。
王都からの攻撃。
シャルリアがあそこにいる。
そう思った時にはもう駆け出していた。
メイドや(『雷ノ巨人』戦でシャルリアの力をよく知っているからこそ)ブレアグスが後に続いていたが、そんなことアンジェリカは意識してもいなかった。
(シャルリアちゃんっ!!)
もしも人類が生き残れるとすれば、それはシャルリアの力に頼る他はない。
いいや、そうでなくても。
もしもシャルリアが『特別』でなかったとしても、今日この瞬間にアンジェリカが一緒にいたいのはただ一人しかいない。
ーーー☆ーーー
例えば、夏の長期休暇前、『雷ノ巨人』との戦闘でのこと。
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢の爆撃系統魔法でもって『雷ノ巨人』の拳を弾いた。かの拳は軽く民家の一つや二つは粉々に吹き飛ばすことが可能な爆撃を受けて、それでも微かに血が滲む程度のダメージしか受けていないほどには強固だった。
そして巨人の拳に集った雷の魔法をシャルリアの光系統魔法が無効化した。つまり拳に光系統魔法が浴びせられたということだ。
重要なのはその後だ。
シャルリアの魔法を受けてむき出しになった傷一つない強固な拳を『雷ノ巨人』は振るっていた。
軽傷だったこと、そして四十メートルを軽く超える巨躯だったこともあり『雷ノ巨人』は傷ついたことも治ったことも自覚してなかったし、アンジェリカたちはそんなことに気づく余裕はなかった。
だけど確かに違和感はあったのだ。
シャルリアの光系統魔法に関する違和感は。
『おっと、そうだった。なあ、シャルちゃん』
夏の長期休暇、残り二十一日。
流星落着まで残り一日。
金髪碧眼の美女による『魂魄燃焼』の説明は終わり、巫女(?)による流星の詳細に関する情報提供も終わった。
そこできゃんきゃんうるさい巫女服の女を引きずって教会に返そうとしていたガルドは思い出したようにこう告げたのだ。
『シャルちゃんは光系統魔法でありとあらゆる魔法を魔力まで元に戻して消滅させられるし、軽傷くらいなら治すことができるよな?』
『うん。っていうか、ガルドさんが魔法を教えてくれたんだからわざわざ確認するようなことでもなくない?』
本来ならあり得ないことだった。
なぜなら一個人が一つの系統の魔法で『できること』は一つなのだから。
複数の違う系統の魔法が使える、ならいいが、光系統魔法だけで魔法の無効化と傷を治すことを両立させることはできない。
だけど確かに光系統魔法によって『雷ノ巨人』の傷は治っていたし、同時に雷の魔法は消滅していた。
『こんな風にあり得ないことが平然とまかり通っているわけだ。というわけで「相談役」だかジークルーネだか何でもいいが、とにかく真相ってヤツを教えてくれないか?』
──学園に入学してすぐ、シャルリアは授業で光系統魔法を披露した。
彼女が実技の授業で披露したのは真っ白な光をピカピカさせて軽度の傷を癒す程度。しかも自分の怪我は治せない欠点付き……だったが、それは治癒系統魔法による誤魔化しなどではなく、光系統魔法を使った結果だったのだ。
そもそもシャルリアは光系統魔法しか使えないのだから。
その光は軽度の傷は治せる。つまり傷つく前に戻す。
その光は魔法を無効化する。つまり魔法になる前の魔力の状態に戻す。
そこから導き出されるシャルリアの光系統魔法の真髄は──
『シャルリアの光系統魔法は対象の状態を「過去」に戻すなれば。さりとて今のシャルリアでは限定的な対象にしか効果を発揮できないけど』
当のシャルリアさえも知らないことだった。
良くも悪くも頭が良くなく、しかも細かいことまで気にしないシャルリアだったから今日まで気にしてこなかったのだが。
『なら、「魂魄燃焼」で底上げしたらありとあらゆる対象を過去の状態に戻せるということか? 例えば流星に光系統魔法をぶつければ退魔石になる前の無害な素粒子や微量の魔力に戻って霧散すると』
『当然。シャルリアの光系統魔法は最初からそういうものなれば。魂の表層だけで「できること」は限られており、その範囲しか認識できないのが人間という生き物だからシャルリアが過小評価されているのも仕方ないけど』
いざとなれば『暴発』の威力を底上げすれば流星は破壊できるかもしれないが、破壊時の衝撃波や破片が飛び散って被害を出す可能性はある。
だがシャルリアの光系統魔法の『できること』がそこまで底上げできるのならば話は別だ。対象を過去の状態に戻す魔法。通常時は魔法と軽度の傷にしか干渉できないが、『魂魄燃焼』を使えば他のありとあらゆる対象さえも過去に戻すことができる。
軽く五百年ほど流星を過去の状態に戻すことができれば退魔石が生まれる前にまで戻り、元となった素粒子や微細な魔力となって霧散するのだ。
──これまで光系統魔法を浴びた対象。例えば魔法などは巻き戻るように放った術者のほうに戻っていったりはしなかった。そのことから対象の状態『だけ』過去に戻るのであり、降ってくる流星に光系統魔法を浴びせても逆走するように宇宙空間に戻るようなことはないだろう。
つまり五百年後にまた退魔石の流星が生まれて王国に降ってくるようなことはない。
そう、シャルリアの光系統魔法が退魔石の魔力を弾く性質をねじ伏せれば被害ゼロでの決着も十分あり得るのだ。
ーーー☆ーーー
夏の長期休暇、残り二十日。
シャルリアは迫る流星を見上げる。
拳を握りしめる。
(……もう、こうするしかない)
連合軍は失敗した。
シャルリアたちの魂を使わない総攻撃もまた一歩及ばなかった。
これ以上はもうない。
このまま手をこまねいていたら人類は滅びる。それはもちろんシャルリアも、そして彼女の大切な人たちも例外なくだ。
シャルリアも含めて全員が死ぬくらいなら、シャルリアだけが命を賭けてそれ以外の全てを守り抜くほうが絶対にいい。そうあるべきだ。それが正義だ。それ以上の正解はこの世に存在しない。
だって自分は『特別』だから。
恵まれた人間はその力を正しく振るう義務がある。
それは、どれだけ目を逸らしても変わらず真実として存在する。
それでも今日この日までは『ここ』に立つのは他の誰かでも問題なかった。今日この日だけは『ここ』にはシャルリア以外の誰も立つことはできない。
人類を救う。
そのために命懸けで戦う。
それは絶対に正しくて、誰かがやらなければならないことで、だからどこまでも正しいことしか言っていないガルドのためにシャルリアはできるだけ明るく受け入れた。
(わかっている。わかっているのに……っ!!)
だけど。
本当は。
(嫌だ。なんで私が寿命を縮めたり、死ぬようなことをしないといけないの!?)
『特別』になんてなりたくなかった。
ただただ普通の女の子として父親や常連のみんな、そしてアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢のような大切な人たちと一緒にいられればそれだけでよかった。
それ以上なんて望んでいない。
だけど他ならぬシャルリアが『ここ』に立って『特別』な力を振るって立ち向かわなければみんなも自分だって死んでしまう。
だったら選択肢は一つしかない。
こんなの選ぶまでもないことだ。
わかっている。
そんなことは言われなくてもわかっている!!
それでも、だ。
理屈ではわかっていても、納得できるかどうかは別だ。
怖い。
死にたくない。
勝っても負けてもシャルリアだけは絶対に人生の大半を失うのならば、どう転んでもシャルリアだけは不幸になるではないか。
自分勝手な自覚はある。
一人の命でその他大勢の命を救えるかもしれないならば迷うほうが間違っているのかもしれない。
それでも、足がすくむ。
確かに『みんな』を救うためにシャルリアはこの場に残ったが、全部救うために戦うのと自分だけは必ず命の大半を失うのとでは覚悟の種類が異なる。
この瞬間まで目を逸らしていた。
命までかけずとも集まった者たちが頑張ればどうにかなるのではと何の根拠もない希望に縋ってしまった。
だから、いざ命を賭ける時になって覚悟が定まらない。
もしかしたらシャルリアが命を捨てずとも『誰か』がなんとかしてくれるかもしれないと、そんなあり得ない空想に縋ってしまう。
だけど都合のいい勇者はもういない。
世界を救う『特別』は今はもうシャルリアの手の中にしかないのだから。
『ちなみに最低限の消費で済んだとして、どれくらい残るの?』
『あくまで推定ではあるが、おそらく一年も残らないだろうな』
まだ十五歳なのだ。それが後一年も生きられなくなるまで命を削れと言われて素直に頷けるわけがない。
だから。
だから。
だから。
「シャルリアさんっ!!」
聞き覚えのある声がシャルリアの魂を震わせる。
「あ……」
三人の人間が駆けつけてきた。
だけどシャルリアには一人しか見えていなかった。
「あんじぇ、りか……さま」
ああ。
これはもう仕方ない。
「シャルリアさん、大丈夫ですか!?」
「だい、じょうぶ。うん、大丈夫だよ、アンジェリカ様」
「ですけど、今にも泣きそうな顔をしているではありませんか!?」
「だろうね。だけど、もう大丈夫なんだよ」
シャルリアは笑う。
今なら心から笑うことができた。
不思議なものだが、もう大丈夫なのだ。
これまでグダグダと考えていた何もかもがアンジェリカの顔を見るだけで吹き飛んだのだから。
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢を守るためなら頑張れる。心の底から命をかけて頑張ることができる。
「アンジェリカ様。一つお願いがあるんだけど、いい?」
「わたくしにできることであれば何だって叶えてあげますわよ!!」
「手、握ってくれないかな?」
「……へ? いきなりどうしてそのようなことを……!?」
「お願い」
「いや、その……しっ仕方ありませんわねっ。下々の訴えに応えるのも高貴な者の務めですから! ええ、そうです、仕方なくですからね!? 別にわたくしシャルリアさんと手を繋ぐことができると喜んでなどいませんからね!?」
顔を真っ赤にしてまくしたてて、だけどその声音には恥ずかしさもそうだが何より嬉しそうな響きに満ちていて。
そんなアンジェリカがゆっくりと手を伸ばし、シャルリアの手を握ってくれた。そのぬくもりが恐怖や絶望をいとも簡単に拭い去ってくれた。
だから。
ふとシャルリアは意識せずこんなことを言っていた。
「私、アンジェリカ様のことが好きなんだ」
「……………………………………は、ひ?」
そして。
シャルリアは逆の手を天にかざして力ある言葉を紡ぐ。
「『魂魄燃焼』」
それは己の命を燃やす一撃。
シャルリアの光系統魔法。奥深くに眠っていた真髄が今ここに解放される。