第五十八話 世界最後の日に食べたいものは その五
夏の長期休暇、残り二十三日。
流星落着まで残り三日。
小さな飲み屋はいつも通りどんちゃん騒ぎであったが、その中でも隅の席は少しいつもとは違った。
ガルドがいるのは別におかしくないが、連れの二人がどう見てもおかしい。
一人は騎士然とした女であった。つい数日前、王都の外でガルドと一緒にいた女性だ。
フルプレートアーマーに淡い青の着色を施したマントを羽織り、兜だけは外して机の上に置いていた。
くすんだ灰色の髪の十代後半だろう女は癖なのか腰の剣に手を這わせていた。
その鞘にはシャルリアは見たことがない紋様が刻まれている。
そしてもう一人は色鮮やかな布を着物のように幾重にも組み合わせた格好の女の子であった。着物というよりは踊り子の衣装のように薄すぎるが。
顔だけは透けないくらいの黒い布で覆っているが、時折特徴的な尖った耳が見え隠れしているような?
『アン』以外にこの店に女性が来店するのは珍しかった。というわけで常連たちは興味津々だったのだが、アンの時とは違って近づくのも憚れていた。
どうにも騎士(?)と女の子との間の空気はピリピリしていて、不用意に近づいたら危なそうだったからだ。……馬鹿どもの危機センサーに引っかかるほどに強烈な殺意だったとも言える。
「何でありますか?」
「べっつにー? ただあれだけお膳立てされていたのにあの悪魔殺せなかったんだーとか思ってないよー? これで百年以上前のも含めたら二度目だねーとかー口だけで結果が伴わない女騎士に存在価値ってあるのかにゃーとかー思ってないっしょー???」
「うるせーぺったんこが」
「はっあーっ!? なにっぺったんっ、なにぃー!? せ、せせせせせ、成長中なんだけど? これから成長するんだけどお!?」
「成長中でありますか。ふっ、あと何千年かかるのでありますかね」
「こ、この……っ!! ちょっとお胸が大きいからって、こんのおー!! 大体女騎士のお胸が大きいからってくっ殺っくらいにしか使えないし? そ、そうよ、どれだけ自慢したところでそんなの負けて生き恥晒す時にしか輝かないものっしょー!!」
「持たざる者の僻みほど哀れなものもないでありますね」
「くうーっ!!」
……何を喋っているのかまでは聞こえなかったが、ここで不用意に近づいたら絶対に八つ当たりでえらいことになる、と酔っ払いの頭でもよくわかる有様であった。
「ご注文のビールともつ煮込みだよー……って、何かお取り込み中?」
「気にするな。いつものことだ」
「ふうん」
首を傾げながらもシャルリアは注文の品を机に並べる。
と、そこでガッとビールを掴んで一気に煽る女の子。
どんっ! と空になったジョッキを机に叩きつけて、女の子は叫ぶ。
「どれだけお胸が大きくても好きな人に振り向いてもらえなかったら宝の持ち腐れっしょー!!」
「あァ!? 姫様のお心を盗みやがった貴様がそれを言いやがるでありますかぁああああ!?」
「にゃっはっはっ。ざまあみろっしょー!! 別にあーしは何もしてないけどにゃあ!! は、にゃは、ははは……大体あーしだって心に決めた人が……ミラユルちゃん……このっ、こんのおー!! 全部ナタリーのせいなんだからあ!!」
「何がでありますか!?」
「無自覚なのが心底ムカつくっしょー!!」
どったんばったんキャットファイトに突入である。
『作戦会議』も何もあったものじゃないとガルドがビール片手にため息をつくが、野郎なんて誰も気にしていないのだった。
「最悪の場合は『第七位相』そのものを使って魂を……ははっ、娘にそこまでしたら化けて出てきてマウントポジションでフルボッコにされるかもな」
しかし、と。
誰も気にしていないことをいいことにガルドはこう続けた。
「第一王女にもその存在すら知らされていなかった『最大戦力』、か。いつのまにあんなもんが『位相聖女』という依代抜きで顕現していたんだか。この国の王にちょっとでも野心があれば大陸の統一にだって乗り出していたかもしれないし、ブレアグスやその父親が管理していてよかったな。流石にそのものに暴れられたら手に余るし」
ーーー☆ーーー
夏の長期休暇、残り二十二日。
流星落着まで残り二日。
(あっは☆ あと二十二日もあれば『娘』は自壊せずとも力を使えるようになるよねえ。刻み込まれた魔法や魔力を扱えるよう自動的に成長する専用の器あ。単一の生物として誰よりも優れていた魔王と奪取した『白百合の勇者』の遺伝子情報を使って作り上げられた理想的な肉の器である『娘』はすでにワタシに魅了されているしい、これは中々に愉快な展開になるよねえ)
『魅了ノ悪魔』は笑う。
流星によって人類が滅びると支配して搾取するものがなくなるのでいざとなれば介入するしかないが、おそらくその必要はない。
先の戦闘で確認された力の波動。
向こうには『第七位相』そのもの──神話の世界の天使、あるいはワルキューレとも呼ぶべき存在が味方しているのだから。
いくら流星が魔力を弾く性質を持っていようとも、神話の力であればどうとでも対応は可能だろう。……と、『相談』に縛られて『第七位相』そのものが動けないことを知らない『魅了ノ悪魔』は楽観視していた。
(あと二十二日間を凌げば最悪力技でもワタシたちが勝てるけどお、できることなら『娘』は温存しておきたいよねえ。あんまり派手に殺すといずれワタシが搾取するものが減っちゃうしい。ああだけどお、勇者の娘は厄介だしい、魔王との因縁でも引き合いに出して適当に憎悪を埋め込んでおけばいつでも迷いなく殺せるかなあ)
最終日まで進めばそんな展開もあったかもしれない。
だけど、だ。
ドッッッ!!!! と。
『魅了ノ悪魔』の心臓が背後から小さな手に貫かれた。
「あ……?」
それはぶかぶかのダークスーツの女の子であった。
ラピスリリア=ル=グランフェイ。『魅了ノ悪魔』に魅了された都合のいい操り人形のはずだった。
それが、どうして──
「なあ、んでえ……ッ!! 意識や記憶はすでに消え去っているはずよお!!」
「四天王程度ガ予ヲ出シ抜ケルトデモ思ッタカ?」
極大魔法が溢れ出す。
魔族の強化に使うために薄めて調整した瘴気ではない。肉体だけではなく魂さえも消し飛ばす真なる瘴気が『魅了ノ悪魔』を呑み込む。