転変 その二
夏の長期休暇、最終日。
そこに至る、どこかの未来。
漆黒の髪に瑠璃色の瞳、誰かのおさがりなのか床に引きずるほどサイズのあっていないダークスーツを身に纏った女の子に店内の生命体は一律で平等に床にねじ伏せられた。
ただ一人。
謎の力をぶつけられなかったシャルリアを除いて。
『アンさん、みんな!? 大丈夫!?』
咄嗟にアンジェリカに駆け寄ろうとしたシャルリアへと声が突き刺さる。
無邪気に、明るく、それでいて魂を抉るように鋭い声が。
『よそ見とは余裕なんだカラ。あまり放っておかれるとついうっかり何人か殺しちゃうかもだゾ』
『……っっっ!?』
『あ、魔法を使うのはやめておいたほうがいいゾ。わらわが力を強めて潰すほうが早いだろうシ』
『な、にを……なんでこんなことを!?』
『ナンデ? 不思議なことを言うものだゾ』
女の子は笑う。
笑って、笑って、笑い尽くす。
『魔王の娘と勇者の娘が顔を合わせたんだゾ? まさかニコニコ笑顔で仲良しこよしになるとでも思ったのカナ???』
『何を……そんなお遊び』
『ハッハハ!!』
それは。
まるで魂を削って放ったような笑い声だった。
女の子は笑う。そうしないと今にも『何か』が溢れ出てしまうとでも言わんばかりに。
『お遊びカァ……わらわたちの因縁をそんな言葉で片付けるとハ、アハハッ!! 無知とは本当憎たらしいことだゾ』
『だって、勇者の娘って、私のお母さんはそんな「特別」な存在じゃないよ!! だって、生まれつき身体があまり強くなくて、だから、私が小さい時に死んで、だから!!』
『そりゃあ弱っていてもおかしくないゾ。「白百合の勇者」はわらわのお母様をぶち殺すために魂の大半を燃やしたんだカラ』
『た、ましい……?』
『「魂魄燃焼」。魔力の源である魂を復元不可能なほどに消費して魔法の出力を底上げすると共に使い手が認識している「できること」よりもなお幅広い性質を搾り出す秘技。七番目の位相を支えるあの女が勇者パーティーに授けた秘技の影響で死んでも何の不思議もないゾ』
『いや、そもそも勇者が活躍したのは百年以上前だよっ!? 私のお母さんは百歳以上のおばあちゃんじゃなかった!!』
『「第七位相聖女」の封印系統魔法で長い間眠っていたから肉体と生まれてからの経過年数に齟齬が出たと考えられるゾ。大方「魂魄燃焼」による消耗やお母様との戦闘で壊れた魂や肉体を癒すには何十年も「封印」してでも癒すしかなかったってところだゾ。あくまで予測ではあるケド、そこで転がっている男の反応を見ればそんなに間違いはなさそうだゾ』
魔王の娘を自称する誰かの視線はシャルリアの後ろに向けられていた。
反射的に追いかけるように振り返る。振り返ってしまった。
シャルリアの父親が顔を歪めていた。
彼を押し倒している謎の力によって全身が痛むから、ではないだろう。家族だからわかる。あの顔は知られたくない事実を暴かれて、だけどおそらく謎の力によって声を上げることもできずに──
『そっか。本当に……私のお母さんは「白百合の勇者」だったんだ』
だから。
しかし。
『で、それがどうしたってのよ!?』
そう叫ぶシャルリア。
その反応は予想外だったのか、魔王の娘がここにきて初めて眉をひそめた。
『お母さんがそんな凄い人だったとして、だから!? 勇者だか魔王だか知らないけど、そんなのが理由でみんなが傷つけられているってんなら私がやることは一つだけだよ!!』
真っ向から。
魔王の娘を名乗る女の子と向かい合う。
『今すぐみんなを傷つけるのをやめて!!』
『ハハッ。勇者の娘は随分と傲慢なことデ。そんな言葉がまかり通ると本気で思っているのが心底傲慢なんだゾ』
『違う』
『ア?』
『私は勇者の娘なんて名前じゃない。シャルリアってお母さんとお父さんにつけてもらった大切な名前があるんだから!!』
『……フン。わらわにだってお姉ちゃんからもらった名前があるんだゾ』
どこかムキになるように。
魔王の娘を冠する女の子は言う。
『ラピスリリア=ル=グランフェイ。それがわらわの名前だゾ』
瞬間、ラピスリリアの極大の力が解き放たれた。