第五十二話 お出かけでの食べ歩き その十九
本当に『何か』することなくダークスーツの女の子は『魅了ノ悪魔』を連れてこの場を後にした。
魔王の娘。
魔族四天王の前でそう名乗ることが許される存在。
(チッ。生き残りの四天王さえ潰せばそれで終わる話だったはずなんだがな。だからこそ使える手札は出し惜しみなくほとんど使っちまったが……魔族四天王の上にあのクソッタレな魔王以外が君臨しているとか予想外にもほどがある)
今日ここで少なくとも『魅了ノ悪魔』は撃破する予定だった。それができれば後はどうとでもなるはずだったのだ。
(魔王の娘。どこまで本当かはさておいて、あんな怪物とやり合う前にこっちの手札をほとんど晒してしまったのは致命的かもしれないな)
だけど、だ。
あんな怪物が控えているなら、もっとやりようもあったのではないか? それこそこの国を内側から腐らせて殺すような回りくどいことをしなくても、あの女の子が『何か』すればそれで全ては終わる。そう思えるくらいの力の波動が漏れていたのだから。
(……あのガキの登場は『魅了ノ悪魔』にとっても予想外だった? あのガキが暴れればそれが一番早いだろうに、そうできない理由があるとでもいうのか?)
ーーー☆ーーー
バサバサと翼が羽ばたいていた。
『魅了ノ悪魔』の背中からギラギラとしたピンクの粒子で形作られた翼が噴き出していた。その両手に女の子を抱えて雲の上まで飛び上がっての飛行である。
大陸の中心部、瘴気に汚染された禁域に向かって。
「女王陛下あ。こういうことされるとちょっと困るよねえ」
「だけどあのままじゃお姉ちゃんが殺されていたゾ」
「それも許容範囲内だったのよお」
『魅了ノ悪魔』は『雷ノ巨人』を喰らった。
ゆえに『雷ノ巨人』の魔法もまた奪ったが、そちらについては一律でシャルリアの光系統魔法で無効化できる。だからこそ、魂をむき出しにしたままでは長時間活動できない──『雷ノ巨人』と同じ攻略方法が使えるとガルドは考えていたはずだ。
憑依。
他者に乗り移る魔法だが、それはシャルリアが無効化できるし、そもそもあの三人は力の総量が大きすぎて憑依が通用しない。
ならば光系統魔法で戦場を埋め尽くした上で『魅了ノ悪魔』を殺せばいずれ魂ごと霧散するはずだ。
──サキュバスは悪魔にしては珍しく自前の肉体を持っており、獲物の最も好む姿に変化して色欲を誘発して、最終的には精気を喰らうと言われている。つまり一般的な魂だけで存在するとされる悪魔と違って他の生物と同じく肉体がないと活動できない存在である、という認識になるよう立ち回ってきたのだから。
ガルドはもっと深く考えるべきだった。
覇権大戦時、エルフの長老の娘であるアリスフォリアから勇者パーティーに提供された情報は確かに正しいものではあったが、それが『魅了ノ悪魔』の全てだとは限らないと。
サキュバス。
淫魔とも呼ばれることがあり、その本質は色欲の誘発。
姿形を獲物の最も好むものに変えることができ、その誘惑の果てに生気を貪り尽くす。
つまり悪魔にしては珍しく自前の肉体を持つ存在。そうなると自前の肉体を破壊すれば死に至る……というのは、あくまでこの世界に残された知識による予測でしかない。
それもまたサキュバスの一面なれど、それで全てではないのだ。
この世界の外ではサキュバスは夢魔とも呼ばれている。
夢の中に入り込んで獲物の淫欲を刺激して精気を喰らう、つまり一般的な悪魔と同じく肉体を持たない、魂だけの存在である。
いいや、正確には魂だけの存在『でも』ある。
姿形を自在に変えられる、つまりは自前の肉体を持つというのもサキュバスの一面であることは確かだが、魂だけで活動可能というのも事実なのだ。
だからサキュバスは夢の中に入り込む。
魔法ではない。それはあくまでサキュバスの『体質』だ。
魂を喰らうことができることと同じだ。そういうものだから。色欲の誘発は魔法で拡大解釈しているが、それ以外はサキュバスという存在であれば魔力がなくとも振るうことができる。
つまり、魔力を使わずに──魔法を使った気配を探知されることなく『魅了ノ悪魔』は誰かの夢の中に退避できる。そうでなくても、そもそも魂だけでも問題なく生存できるのだから魂に直に攻撃を加える手段がないガルドたちに追い詰められる心配はない。
だから殺されても何の問題もなかった。
もちろん勝てればそれでよかったが、勝てなくても次に繋げるのが一番の目的だったのだから。
ガルド側の手札を見極めるためにわざと総攻撃できるような隙をつくっていたのだ。あの場に連れていた部下が全滅するのも、その身が朽ちるのも許容の範囲内だ(もちろん無事に済むならそれが一番ではあったにしても)。
だから。
だけど。
「それデモ……お姉ちゃんの身体がなくなっちゃうのがイヤだったんだゾ」
「適当な死体でも弄り出せば姿形は元通りになるのにい?」
「それはそっくりなだけでお姉ちゃんの身体そのものじゃないゾ」
そうはいっても『計画』を邪魔したことは悪いと思っているのか、申し訳なさそうに俯く女の子。
ラピスリリア=ル=グランフェイ。魔王の娘であるとは思えないほど弱々しい姿であった。
「はあ。別に怒っていないからそんな顔するんじゃないよねえ」
「本当?」
「本当よお」
本音を言えばこの予想外がもたらした影響は大きい。
『魅了ノ悪魔』を撃破できたと、残りは消化試合だと、そう油断してくれれば向こうの手札を把握したこちらが遥かに有利に事を進められた。そういう『計画』だったのだが……、
「結果はともかくう、ワタシを心配しての行動をそんなに責めるつもりはないからねえ」
「お姉ちゃん……」
「しっかしい、女王陛下がそんなにワタシの身体が大好きだとはねえ。やっぱりこの身体は胸が大きいのがそそるわけえ?」
「そっそそっそういうわけじゃないゾ!! わらわは純粋にお姉ちゃんの全てが好きなダケ、って違うゾ!! 今のはその違うんだゾ!!」
「あっは☆ ぎゅうー☆☆☆」
「うえあふへえ!? なっナニ!?」
「んうー? 女王陛下の大好きな身体を押しつけているだけだけどお? お胸の感触はいかがあ?」
「だから違うって言っているんだゾーっ!!!!」
魔王の娘『は』魔法を使わずともこうも簡単に魅了できる。
こんなにも使い勝手がよく、強力な手札も他にない。
であれば、温存せずともさっさと使ってガルドたちを殺せば済む話なのだが──
「こふっ」
血が女の子の小さな口から漏れる。
『魅了ノ悪魔』のもとに駆けつけるためにこの世界に表出した、ただそれだけで身体に多大な負荷がかかったために。
「ごめんなさイ。お姉ちゃんの腕を汚してしまったゾ」
「謝る必要はないよねえ。それよりお身体は大丈夫う?」
「ウン。このくらいなら自壊するまではいかないゾ」
安定して使うにはまだ時間がかかる。
それに、そのための仕込みがうまく作用するかどうかもわからないのだから。
それを踏まえても懇切丁寧に堕とす価値はある。
魔王の娘という最強のカードを裏で操ることができれば、どんなものだって手に入れることができるのだから。
「アッ」
「んう? どうかしたあ、女王陛下あ?」
「やっぱりお姉ちゃんを連れ戻しにきてよかったゾ。もしかしたらわらわたちが手を下す必要もなくなりそうだシ。マァ、お姉ちゃんの望む結末にはならないだろうケド、命を張るほどでもないはずだゾ」
「???」
ラピスリリアの視線は上に向いていた。
空を飛ぶ彼女たちの、さらにその上に。