第四十三話 お出かけでの食べ歩き その十
王都の外、かつては森があったはずが今はもう草の根一つ生えない荒地でその男と派手で色っぽい女は向かい合っていた。
『勇者パーティー、その一員。こう言えば流石に俺の正体もわかるよな?』とガルドは言った。
『白百合の勇者』、『轟剣の女騎士』、『第七位相聖女』は性別からして違う。なら、彼の正体は残り一人に決まっている。
『無名の冒険者』ガルズフォード。
魔族でありながら人間側に寝返った裏切り者である。
「あっは☆ 随分と顔が変わったねえ。それに気配も人間みたいだしい?」
「姿形や気配を変えるくらいならどうとでもなる。現にお前だって獲物を魅了するためならそれくらいするだろ?」
「まあねえ。しっかしそんな能力を隠していたのねえ。そうよねえ、あのガルズフォードならワタシの呼び名を知っていても不思議じゃないわけでえ、あはっ、あははっ、あっは☆」
笑って笑って笑って。
そして『魅了ノ悪魔』クルフィア=A=ルナティリスが淫靡なその唇を開く。
憎悪が、噴き出す。
「ぶち殺してやる」
瞬間、空間が閉じた。
直径一キロ。ギラギラとピンク色に輝くドーム状の領域。胸焼けするほど甘い、この世界の法則をねじ曲げたクルフィアの世界の構築。
すなわち空間系統魔法。
己に都合のいい法則で支配された空間を構築する魔法である。
「『大罪の領域』か」
「そうよお」
ばん、と。
軽く両手で頬を叩き、憎悪に強張った表情を切り替えるクルフィア。あくまで淫靡に笑う。だからといって憎悪そのものがなくなったわけではないだろうが。
腹の底では今もなお煮えたぎっている。
「あの小さな飲み屋では龍殺しの男がいたから多少は抗えたかもねえ。でも今はあ? たった一人でワタシの全力に抗えるわけえ? できないなら死ねよ、今すぐに」
「これだから脳内ピンク色の馬鹿は哀れで仕方ないんだよな。『魅了ノ悪魔』に喧嘩売っておいて、こんな状況に備えていないとでも思ったか?」
ザッッッゾン!!!! と。
胸焼けするほどギラギラと輝くピンク色の領域。それが上空から真っ二つに両断された。
砕かれ、粒子となって『大罪の領域』が消えていく。
その性質。物理的な破壊能力がなくともかつて厳格な宗教国家を滅ぼし、禁域として人間が立ち入りできなくなったほどのクルフィアの力を凝縮した、色欲の拡大解釈の性質の一切が発揮されることなく、だ。
そう、『雷ノ巨人』における雷と同じく『魅了ノ悪魔』の代名詞だけあって国さえも滅ぼすほどの力だろうがお構いなしだった。
だんっ!! と『大罪の領域』、すなわち『魅了ノ悪魔』の全力全開を両断し、降り立つ者が一人。
淡い青の着色を施したマントを羽織り、顔まで覆ったフルプレートアーマーを身につけて、何よりその手には剣が握られていた。『大罪の領域』を両断した剣が。
顔は見えず、それでもわかる。わかってしまう。
腰の鞘。
そこにはこの国のそれとは異なる、ある国を象徴する紋様が刻まれていた。
百年以上前、氷の底に沈んだある国。
未だに『姫様』への忠誠を胸に抱く『騎士』。
『大罪の領域』を性質を逆手にとってだとか、何かしら弱点となる力で中和するだとか、そんな小細工に頼ることなく真っ向から力づくで破ることができる騎士は一人しかいない。
というか、百年以上前もその刃に『魅了ノ悪魔』は斬り捨てられたのだから。
すなわち『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズ。
勇者パーティーの一員にして氷の底に沈んだある国の騎士である。
「どうしてその女がまだ生きているのよねえ!? とっくに死んだはずよお!!」
「それを言うなら俺も含めて勇者パーティーは全員があの戦争からそう時間が経たずに全員が亡くなったってなっている。実際には違っていたわけだが。あれ? こうなると残りはどうなんだろうな???」
「ガルズフォード……」
「こういう小細工を弄するのは俺の十八番じゃないか。忘れていたなら思い出させてやるよ、その身体に決定的な敗北を刻み込む形でな!!」
「ガルズフォードォおおおおおおお!!!!」
ばこんっ!! とガルドの頭に剣が振り下ろされた。一応は斬らないよう剣腹で殴っていたが、それでも音だけでも背筋が凍るような痛みを連想させる。
「ばっ、いっ痛っ、何するんだナタリー!?」
「ドヤ顔がムカつくでありましたから」
暑苦しいからと兜を脱ぎ捨ててそこらに放り投げながらの言葉であった。
騎士らしいからとフルプレートアーマーなど着込んでいるが、防御など一切考えない脳筋に鎧なんてコスプレ以外の意味はないのだから。
『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズは剣を肩に担いで同じパーティーの仲間に向けるそれとは思えないほど剣呑な目を向けていた。
言外にいつでも頭かち割ってやってもいいのだと告げるように。
「目覚めたことに後悔はないであります。見過ごしては姫様にあわせる顔がないでありますから。だけど、それはそれとして姫様のために眠った私を叩き起こしただけのお前がなんでドヤ顔しているであります? 本当昔っから人のことを利用するだけ利用して自分だけ利益を貪ろうとする性根の腐ったクソ野郎であります」
「私を叩き起こしたあ? 今もなお生き残っている勇者パーティーはガルズフォードとナタリー=グレイローズの二人だけってことお?」
「そうでありますけど、それが?」
ナタリーは平然と答えた。
長い寿命がある魔族のガルドはともかく百年も経ってなお人間でありながら老いることなく全盛期の頃の姿を保っているナタリーは異常だ。
そんな実例があれば、残る『白百合の勇者』や『第七位相聖女』もまた何かしらの方法で生き残っていると騙すこともできたかもしれない。そうできれば、転移の魔法によっていつ新手の実力者が投入されるか警戒することになり、その分だけクルフィアが力を出しきれなくなっていたというのに。
人の好意を誘発して好きに操るクルフィアだからこそわかる。どこまでも馬鹿正直なナタリーは嘘などついていないと。
先の戦争から知り得ていた人物像から考えてもそれっぽく聞いてやれば素直に答えると思っていたが、ここまで馬鹿正直だと戸惑いもあるくらいだ。
「この脳筋が! 全部台無しじゃないか!!」
「何をそんなに怒っているであります?」
「こ、この……っ!! 『白百合の勇者』もそうだったが、せめて不利にならないくらいには言動とか行動とか気をつけてくれよな!! そんなんだから『魅了ノ悪魔』を仕留め損なうんだぞ、馬鹿っ!!」
「ごちゃごちゃとうるさいでありますね。この私がいるのであります。今度こそ『魅了ノ悪魔』は叩き斬って一人の犠牲者も出さずに万事解決でありますよ」
「あっは☆ 相変わらずの大言壮語ねえ。だけどこれがガルズフォードの手札の全てならあ、その最大の手札の性根の甘さを利用してやるだけよねえ」
笑いながら『魅了ノ悪魔』はこう口にした。
「今王都に潜む部下に王都にいる人間を皆殺しにしろと『命令』したのよねえ。さてえ、百年以上前から他人を守るためならどれだけ不利になるのも辞さなかった女騎士様は王都が死と鮮血に沈んでもワタシに集中できるかなあ? できないならあ、助けに走るならあ、ワタシとしても助かるんだけどねえ?」
それは致命的だった。
絶対にナタリーはそんなことは見過ごせない。騎士とはそういうものだから。そんなのは歴史書を開くだけでもわかる当たり前だ。
そして、今ここで『魅了ノ悪魔』に向ける戦力が減れば戦況は大きく不利になる。少なくともガルドは一番に殺されるだろう。
だから。
だから。
だから。
ーーー☆ーーー
一つ、自殺という形を装うだけの力を持つその魔族は王都の中心部、王城ダイヤモンドエリアの目の前に立っていた。
一つ、事故死までもっていくことができるだけの力を持つその魔族が西部の職人たちの工房が連なる区画で大規模な事故を引き起こそうとしていた。
一つ、病気という死因を仕込むことができるだけの力を持つその魔族が南部の路地裏から表に出ようとしていた。
さあ、ここからが『計画』の始まりだ。
皆殺しの時間である。