第四十二話 お出かけでの食べ歩き その九
例えば、揚げたてほくほくなコロッケ。
例えば、凍りつく寸前まで冷えた炭酸ジュース。
例えば、ふわふわで甘い綿菓子。
王都の南部、露店が連なる大通りはここ百年で大きく変わったといっていい。『白百合の勇者』によって平民であってもお手頃に美味しいものが食べられるようになったために。
「アンジェリカ様、とりあえずどれにする?」
前髪で目を隠して白を基調とした服装のシャルリアがそう問いかけるが、アンジェリカからの反応はなかった。
鼻腔を刺激する食欲を誘う様々な匂い、調理中に出る心地よい音、楽しそうに飲み食いする通行人たちの喧騒、その全てに見入っていた。
こういうのは礼儀作法を重んじる貴族社会ではあまり見かけないだろう。それを口では何と言っていても、好ましいものと感じるのがアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢である。というか、そうでもなければ王都の片隅のゴロツキまがいが集まるような飲み屋に出入りすることもないだろう。
「今日は楽しくなりそうだね、アンジェリカ様」
「っ。ふ、ふんっ。さあどうですかね!」
ここでツンツンするのもまた微笑ましく感じるのだから、シャルリアも色々と手遅れな気がしないでもなかった。
ーーー☆ーーー
やっぱり最初はお肉だというのは、どちらが言い出したことだったか。
気がつけばその足は肉類が集まる区画に向かっていた。
「お肉といっても色々とありますけれど、串に刺して焼いているのが多いですね」
「まあお手頃に手に持って食べるならぶっ刺して固定するのが手っ取り早いからね」
「ふむ」
じっと。
露店を見渡し、考え込み、それから十分ほど無言の時間が続いた。
「いや長いって! いつまで悩んでいるの!? ささっと買って食べるお手頃さが売りなんだよ!?」
「そうは言っても、こんなに様々なものがあっては悩みますわよ。目移りしまくってしまいますわ!!」
「はいはい、そんな悩んでばっかじゃ日が暮れるからとりあえず適当に買おうよ!」
「あっああっ!?」
『食べ歩き、上等ですわよ。このわたくしが平民の食事文化を査定してあげますわ! 哀れな結果になるのは目に見えていますけれどねっ!!』という見下し発言は何だったのか。今の時点でワクワクが抑えられていないアンジェリカに任せていたから本当に日が暮れそうだったので、近くの露店で串焼きを買うことに。
二本の串焼きを買ってきたシャルリアにアンジェリカは責めるような目を向けて、
「シャルリアさんって意外と強引なのですね」
「そんな怒らないでよ」
「ふんっ!」
「ほら。これでも食べて機嫌直してよ、ね?」
そう言って一本の串焼きを差し出すシャルリア。
手渡そうとしていただけだったのだが、アンジェリカの反応は劇的だった。
「ちょっちょっと待ちなさいな!!」
「?」
バッと大きく飛び退いて、まるで『アン』のようにあわあわして、顔を背けるアンジェリカ。
と、そこでシャルリアの耳元から、正確には魔法道具から店員の少女に向けてこんな声が届けられた。
『これは俗に言う「あーん」というヤツですよね店員さん!!』
「……へ?」
『仲のいい者たちはそうやって食べさせることもあると聞きますわ!!』
「なんっええ!?」
あまりの超解釈に声が抑えられなかったシャルリア。
幸運なことに喧騒にかき消されて距離をとっているアンジェリカには気づかれなかったが、それにしてもどうしてそうなるのか。
そう、彼女は普通に手渡そうとしていただけだ。だが、見方によっては『あーん』と食べさせようとしている風にもとれなくもない……かも?
(いや、いやいやっ。そんなわけなくない? ないよね!? なにそれどういうこと脳内ピンク色なの!?)
『店員さん……どうしましょう?』
そんなのシャルリアが聞きたかった。
いつまでも悩んで時間を潰すのはもったいないからと率先して動けばこれである。アンジェリカといると、いつも思うように進まない。
あの公爵令嬢には振り回されてばかりだ。
学園でも、小さな飲み屋でも、そして今この瞬間も。
だから。
だけど。
「アンさんはどうしたい、の?」
『わたくしは……シャルリアちゃんであれば、受け入れてもいいですわ』
「そっか。じゃあ、そのまま受け入れればいいんじゃない?」
そんな毎日が決して嫌じゃない。
恥ずかしいけど、心臓が暴れて仕方ないけど、アンジェリカが受け入れるというなら身を任せても構わないと思うくらいには。
『それは、その、いいのですよね? このまま受け入れて、実は冗談だったのにって呆れられたりしないですわよね!?』
そもそも冗談以前にそんなつもりですらなかったのだが、今はもう『あーん』でもいいかと思っているのでわざわざ余計なことは言ったりしない。
そう。
今は、もう、そっちのほうが……。
「大丈夫。大丈夫だよ」
『店員さん……。わたくし、いってきますわ』
「う、うん」
戦場に赴く騎士みたいに決意が漲る声音だった。
そこで勢いよくこちらを振り向くシャルリア。
というかそのまま突っ込むような感じで距離を詰めてきた。
串焼きを差し出した体勢のまま、戸惑いやら驚きやらで固まっていたシャルリアへと。
「シャルリアさん!!」
「はっはひっ!?」
「いきますわよ!!!!」
「ば、ばっちこいっ!」
熱量は荒々しく。
感情は極大で。
だけど差し出す手も近づく唇もゆっくりで、震えていた。
それでもやがて小さく、だけど確かにアンジェリカがシャルリアが差し出した串焼きを食べて──
「「……っっっ!!!!」」
二人揃ってそのままの状態で固まってしまった。
なんかもういっぱいいっぱいだった。