第四十話 お出かけでの食べ歩き その七
王城ダイヤモンドエリア。
王都の中心に聳え立つその城は外壁が全て特殊なダイヤモンド『のようなもの』で構築されていた。
外側から眺めればどこもギラギラと輝いているが、流石に内部まで全てダイヤモンド『のようなもの』というわけでもない。というかそれだと普通に眩しくて住みにくい。
そう、ダイヤモンドエリアはあくまで王城。
国の権威を示すために豪勢に彩られているが、その本質は王やそれに連なる者の居住領域でもあるのだ。
だから、王城内部の通路で二人は邂逅した。
「あら、まだいらっしゃったんですの、お兄様」
一人は腰まで伸びた銀の縦ロール、ルビーのように輝く赤い瞳、黒と赤を織り交ぜた妖しくも煌びやかなドレス、総じて十二歳と幼くも高貴な空気を全身に纏った女。
第一王女ニーニャ=ザクルメリア。
彼女は多くの人間を引き連れていた。その誰もが国の中枢に位置する権力者である。
「まあ、生まれた時からずっと過ごしてきた場所だからな。名残惜しむ気持ちもわかってくれ」
そして、もう一人。
銀髪赤目の美男子、第一王子ブレアグス=ザクルメリア。
服装からして王族だとは思えないほどに地味であり、何より彼はたった一人で彼女たちと向かい合っていた。
その構図でもって誰が勝者で誰が敗者かがわかるというもの。王位継承権第一位であったブレアグスは『あの一件』から一気に転落していった。
妹であるニーニャ=ザクルメリアに王位継承権第一位の座を奪われ、王やそれに連なる者が住まうダイヤモンドエリアから追い出されることが決定するほどには。
もうここにはブレアグスの居場所はない。
だから第一王女ニーニャ=ザクルメリアは勝者の笑みを浮かべるのだ。
「わたし、てっきりお兄様だと勘違いしていまして。普段の甘々な戯言は隠れ蓑で、本性は随分と王族らしいと思っていましたのよ?」
具体的な説明がないのはどこに『耳』や『目』があるかわからないからか。第一王女としてもザクルメリア王家の看板に傷がつくのは好ましくない。仮にも王族の一員が四天王の一角とはいえ魔族に操られて国民に牙を剥いていたという情報は秘匿しておきたいからこそ。
「とはいえ、おほほ。蓋を開けてみればいいように踊らせていただけだとは情けない話ですの」
本来の予定では相応の戦力を確保した上で第一王子の悪行を世に知らしめてから撃破するはずだったが、こうなってはわざわざ真実を公表する必要はないということだ。
ニーニャは笑う。
ここで笑えるのがニーニャ=ザクルメリアであるために。
「何はともあれ」
普通なら手に入らないものを望んだ。
そのためならどんな悪知恵だって捻り出した。
ガルドのような実力はあっても何を秘めているかわからない男だって利用した。
実の兄を、蹴落とした。
「このわたしが新たなる女王となります。すなわちわたしこそが真なる勝利者ですの!!」
その末に彼女は勝ったのだ。
形はどうあれ王位継承の位を覆し、新たな女王の座を手に入れたのだ。
「おほほ、おーっほっほっほ!!」
だからニーニャ=ザクルメリアは高らかに笑いながらその場を後にした。勝利の余韻に全身を震わせながら。
そして、その後に。
一人になったブレアグスは『悔しそうな顔』を崩し、気を抜くように息を吐き、そしてこう言った。
「なんだって俺の妹はあんなにも悪役令嬢みたいなんだろうな」
まあ、妹が楽しそうならそれでいいけど、と呟くブレアグス。
王位くらいであんなに喜んでくれるなら幸いだった。これで、ここから先はブレアグスのしたいように行動できる。
「さて、あれだけご機嫌ならもうしばらくここに留まっていても変な横槍は入れられそうにないよな? 『あの男』に顎で使われるのは気に食わないが、俺が動くのが一番効率的なのは確かだしな」
ーーー☆ーーー
「おいこらクソボケ何をシケた顔してやがるわけえ耳の穴をかっぽじってよおく聞くことよねえ!!」
王都の南部、多くの人が集まり賑わう中でのことだった。
存在そのものが色欲を刺激し、興奮を促す派手で色っぽい女は拳を握ってこう力説していた。
「シャルリアちゃんとアンジェリカちゃん、あんなにも可愛い女の子が二人揃ってああでもないこうでもないと悩みながら仲良くなろうとしているのよお!? そんな究極に尊い光景を堪能していたワタシの邪魔してさあ!! それがどれだけ酷いことかわかっているわけえ!?」
「何を言っているんだ?」
呆然と返すガルドを派手で色っぽい女はキッと睨みつけて、
「何よおその反応はあ!? 女の子が二人揃ってじれったくも仲よくなろうとしているのよお? 一番美味しい場面じゃん普通に大好物ですどうもありがとうございますう!!」
「そういう……ものなの、か?」
「そういうものなのよお!! 女の子同士で美しい友情を恋慕を親愛を軽蔑を憎悪を絶望をとにかく強く激しい感情をぶつけ合うのはすべからず尊いのよお!! そんな美しいものを見てえ、浴びてえ、堪能するのがワタシのお、いいえ全生命体が享受すべき生きがいなのよお!! そんなこともわからないとは本当人間とは愚かよねえ。だけど安心することよお。そんなにも愚かなクソボケにもいかにあの光景が尊かったかこれから懇切丁寧に教えてあげるからねえ。そうすれば絶対に感謝感涙拝み奉って己の過ちに気づくはずよお」
「それは……」
「そうよお、誰にも過ちを犯すことはあるのよお。大事なのは過ちに気づくことお、そしてその過ちを繰り返さないことだからねえ。慈悲深いワタシが愚かなクソボケを正しい道に誘ってあげるわよお。というわけでせっかくだからシャルリアちゃんたちのじれったいくらい美しいデートを一緒に観察しようかあ☆ ぶっちゃけ千の言葉を尽くすよりもあの尊さを全身で浴びればそれだけで過ちに気づくには十分だからねえ」
そして。
そして。
そして。
ゴドンッッッ!!!! とガルドは己の頬を全力で殴った。唇が切れて血の滴が舞う。走る痛みに眉を顰めながら、全身に魔力を流して頭の奥深くまで染み込みかけていた『それ』を強引に吹き飛ばす。
ガルドは改めて目の前の女を見据えた。
『魅了ノ悪魔』クルフィア=A=ルナティリス。
『雷ノ巨人』と同格、すなわち王都どころか国そのものを滅ぼすことも可能な力の持ち主。
そんな怪物が目の前にいて、それでも彼は流されそうになった。
場の空気、本来なら不適切なふざけきった流れ。
普段のガルドであれば話を聞くこともなく仕掛けていたはずだ。それが普通のはずだ。
それでも流されかけた。
感情が状況判断を狂わせていた。
つまり、
「色欲の誘発。俺のお前に対する感情を好意的に『魅了』し、そもそも勝負の舞台に上がることもなく封殺しようってか? わかっていても違和感に気づいて破るのがこんなにも遅れるとはな。だから四天王ってヤツは嫌なんだ。どいつもこいつもぶっ飛んだ性能だからな」
そこで。
『魅了ノ悪魔』クルフィア=A=ルナティリスは先ほどまでの怒っていてもどこか無邪気で親しみやすい……と感じさせる雰囲気を、興醒めといった風に冷たく塗り潰した。
「別に嘘は言ってないんだけどねえ。せっかく見つけた尊いものの観察を邪魔されて憤っているのは事実だしい、それにい、まあ、そのまま絡め取られて敵対しようとも思えなくなった無抵抗な馬鹿をぶち殺してやるつもりだったしい」
悪魔は語る。
冷たく、淡々と。
「とはいえねえ。こんな簡易的な魅了が通用する相手ならそもそもあの店で籠絡できたわよねえ。やっぱり全力全開の『大罪の領域』でもってイかせるしかないかあ」
「やれるものならやってみろ。言っておくが、こっちだって何の備えもなくお前とやり合おうとは考えてないぞ」
「へえ? ならその備えとやらを見せてもらおうかなあ。とはいってもシャルリアちゃんを巻き込んでえ、魔法無効化や『暴発』の応用による攻撃をぶつけようって算段なんだろうけどねえ。だけどお、それえ、こんなに人がいる中で果たしてどこまで使えるやらあ。少なくとも『暴発』の応用は使えないよねえ。戦闘慣れしてそうなガルドならまだしもお、本質的には単なる平民の感性のシャルリアちゃんに無関係な人間を巻き込む覚悟はないだろうしい。となると適当な人質でもとれば魔法無効化の光系統魔法だって使えないようもっていくことも簡単かもお? そしてそこまで能力を封じてしまえばあ、殺すのもまた簡単よねえ。……できれば有効活用したかったけどお、欲張ってもいいことないよねえ」
悪魔はあくまで悪魔だ。
先ほどまで尊いだのなんだの口にしておきながら、次の瞬間にはその相手を効率よく殺すために思考を回している。
無邪気で、残虐。
まさしく邪悪なまでに自分勝手な悪魔の系譜らしいと言える。
だから。
しかし。
ガルドは鼻で笑ってこう吐き捨てた。
「誰がシャルちゃんに頼るって言った?」
瞬間、それは起こった。