???話 その一 迷子の女の子とホットドッグ
夏の長期休暇、残り二十五日。
そこに至る、どこかの未来。
シャルリアが買い出しのために後ろで一本にまとめた茶髪を軽やかに揺らしながら大通りを駆け抜けていたら、それは視界の端にうつりこんだのだ。
女の子が道の端に座り込んでいた。
七、八歳だろうその子は今にも泣き出しそうだった。
『はじめまして、お嬢さん』
『え……?』
『もしかして何か困っていることがあるのかな?』
そこで迷うことなく駆け寄って声をかけられるのがシャルリアだった。学園でできるだけ目立たないよう息を潜めているのでもない限り、思い立ったら即行動する。お母さんがそうだったから、自然とシャルリアもそんな風に生きるようになっていた。
視線を合わせるように膝を曲げて、できるだけ警戒させないよう屈託のない笑みを浮かべるシャルリア。
その甲斐はあったのか、女の子はおずおずとこう切り出した。
『ウン……。お姉ちゃんに会いに来たんだケド、うまく見つけられないんだゾ。気配からこの辺にいるはずなんだケド』
彼女は深淵が滲むような漆黒の髪が二本のツノのように跳ねており、透き通るように瑠璃色の瞳は弱りきっていて、誰かのおさがりなのか床に引きずるほどサイズのあっていないダークスーツを身に纏っていた。
両手が袖から出ておらず、ぶかぶかな女の子にシャルリアは視線を合わせて優しく声をかける。
『そっか。ならキミのお姉ちゃんを探すの、私にも手伝わせてくれないかな?』
『……いいノ?』
『もっちろん! っと、そうだ。名乗ってなかったね。私はシャルリア。キミは?』
『ラピス……。わらわの名前は長いからラピスと呼んでほしいゾ』
わらわとは随分と大仰な一人称だった。
もしかしてどこぞの貴族令嬢なのかとも思ったが、もしもそうだとしてもこうして一人で放置されるような事態になるということはそこまで高位の貴族令嬢ではないのだろう(どこぞの飲んだくれの例もあるので断言はできないのだが)。
これくらいでは怖気づくこともなくなったのは間近にアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢という特大の爆弾が潜んでいるからか。あそこまで突き抜けた存在に慣れればこのくらいの『もしかしたらお偉いとこらのお嬢さんかも』な程度で尻込みすることもない。
と、そんなこんなで一時間が経った。
全然まったく『お姉ちゃん』とやらは見つけられなかった。
『だあーっ! ちょっと軽々しく引き受けすぎたかもっ。これは騎士の詰め所にでも寄ったほうがいいかな』
『騎士の詰め所……あまり大事になったらお姉ちゃんに迷惑かけちゃうゾ』
『そうは言っても』
『騎士の詰め所にいくのは嫌だゾ、シャルお姉さん』
『ぐふう!?』
『? ……???』
いきなりのお姉さん呼びに思わず唸ってしまうシャルリア。もしも妹がいればこんな感じなのだと思うと、こう、甘やかしてあげたくなってくる。
『ま、まあ、そうだね。ラピスちゃんがそう言うならもうちょっと探してみようか』
と、そこでぐうと可愛らしい音が響いた。
ぱっと恥ずかしそうにお腹を押さえるラピス。
『あはは。お腹、すいちゃったんだね』
『ウ、ウン』
『だったら、おっ。ちょうどいいところに』
と、近くの露店である物を買ってくるシャルリア。
それは最近子ども向けに簡略された勇者伝説に関する絵本で出てくるものを模したホットドッグだった。白百合の勇者が広めて、好んで食していたとされる食べ物の一つである(まあ白百合の勇者の好んでいたものは数多いのであくまでその一つではあるのだが)。
『はい、どうぞ』
『いいノ?』
『もっちろん!』
そんなわけで近くのベンチに並んで腰掛けてホットドッグを口にする。
パリッと音がするほどにこんがり焼かれたソーセージの肉汁とケチャップの酸味、そこにパンのほのかな甘みが混ざっていくらでも食べられそうだった。
店の余りものを食べることが多いシャルリアだが、たまにはビールに合う合わないを抜きにしたものを食べるのも悪くなかった。
『お姉ちゃんはネ、いつも忙しそうにしているんだゾ』
『そうなんだ』
『ウン。本来なら身の丈に合わないはずの望みを叶えるためにって言っていたケド……わらわとしては本当はずっと一緒にいてほしいんだゾ』
『お姉ちゃんのこと、大好きなんだ』
『…………、ウン』
そっと。
両手で持った食べかけのホットドッグで赤面している顔を隠すラピス。
『だから本当はわらわは会いに来るべきじゃなかったのかもしれないゾ』
『うーん。私は詳しくは知らないから絶対に正しいことなんて言えないけどさ』
シャルリアは言う。
正しいか間違っているかではない。あくまで自分なりの考えを。
『そんなの会ってみないとわからないよ。そして、わからないならラピスちゃんがしたいようにしていいんじゃない?』
『いいカナ? お姉ちゃん、わらわのこと嫌いにならないカナ?』
『私は詳しくは知らないから断言はできない。だけど、ラピスちゃんがそんなにも大好きだっていうなら、向こうだってそうかもしれない。どんな事情があるのかわからない私がどうこう言うことでもないんだろうけど、我慢して後悔するくらいなら最後までやりきったほうが絶対にいいよ』
というか、と。
シャルリアはイタズラっぽく笑って、
『我慢できないからこうして会いに来たんだよね? だったらいまさら引き返したって絶対に後悔するし、何ならそのうち我慢できずに同じことを繰り返すよ。どうせいつかはやっちゃうなら早いうちにやっちゃえばいいじゃん』
『……ウン。そうだゾ。その通りだゾ、シャルお姉さん!』
『迷いはなくなったかな? だったらさっさとお姉ちゃんを見つけて感動の再会といきますか!!』
それからしばらく探し回って。
人混みを見つめて『あ、やっと見つけたゾお姉ちゃん!』と叫んだラピスは勢いよく走り去っていった。『ありがとうシャルお姉さん!』と手を振って。
人混みが邪魔で『お姉ちゃん』とやらの姿は見えなかったが、少なくとも喧騒の中で漏れ聞こえてきたラピスの声に曇りはなかった。
会いに来たことを嫌がられるようなことはなかった。
そのことが漏れ聞こえてくる声音から感じられた。
それだけわかれば十分だ。
『じゃあね、ラピスちゃん』
ーーー☆ーーー
『あーっ!? 買い出し忘れていた!!』
すっかり夕日が沈みそうなくらいには遅く、しかも手ぶらなシャルリアはこれからどうしようと考え込むのだった。
その後?
どうにか買い出しは終えられたが、結果的に遅くなって危ないだろうと厨房にいた父親に怒られた。あくまで遅くなったことにであり、それなら買い出しなんてせずに帰ってくればいいと。
迷子のために奔走していたことは黙っていたのだが、それでもだ。
『遅くなって危ないとか的外れなお説教だよな。シャルちゃんなら暴漢に襲われようが、いざとなったら裏技でぼーんって派手にやっちゃえばいいだけなんだし』
『魔物相手ならともかく人間にあんなの使えるわけないじゃん!』
『はっはっ。魔物相手ならともかく、かあ。昔からあいつに内緒で依頼に連れ出してきた甲斐があったってもんだ』
『っていうか、遅くなって危ないとかなんとか、私、お父さんになんて怒られたか言ったっけ?』
『あー……。見えただけだから気にするな』
『うえっ、本当!? ここから厨房って見えたっけ?』
などというガルドとの会話があったが、何はともあれ一日はそうして終わった。結果的には何もなく、平穏に。