第三十三話 約束
「よし、やっと調子が戻ってきた!」
シャルリアは両手をぶらぶらと動かして、一つ頷き、そう言った。
大きく肉が抉れるように吹き飛んだ影響は予想以上に大きく、普通の治療では後遺症で動かなくなってもおかしくなかったらしい。
アンジェリカが平民の財力なんかじゃ全然まったく足りないほどに治療料金が高く腕のいい治癒系統魔法の使い手を派遣してくれたのでこうして三日で傷跡も残らずに治ったが。
ちなみに件のアンジェリカは『あくまで哀れな平民に気まぐれに施してあげただけですからねっ』などと言っていたが、そんな嫌味にもなりきれていないものは微笑ましく流すに限る。
「それじゃ今日から元気いっぱい働いていきますか!!」
『雷ノ巨人』を撃破した翌日に訪れたガルドがシャルリアを見て『へえ。やるじゃないか』などと言っていたが、人が怪我をしているというのにその反応はいかがなものかと思う。冒険者というゴロツキにとっては怪我も勲章の一種なのかもしれないが、乙女にとっては傷跡が残るかどうかは死活問題なのだと説教しても仕方ないことだろう。
そんな馬鹿含めて今日も名前もない小さな飲み屋にはお行儀とは無縁な奴ばかりだった。もう全体的に汗臭い野郎どもが豪快に喉を鳴らしてやっすいビールを飲んで食べて騒いでといつもの光景が待っていた。
「おっ、シャルちゃん、三日ぶりだな! 怪我したって聞いたが、もう大丈夫なのか?」
「見ての通りピンピンしているよっ。心配かけてごめんねっ」
「やっぱりシャルちゃんがいると場が華やかになるよなあ。ちっとばっかちんちくりんなのが残念だが」
「うるせーてめーはそのだらしない腹を引っ込めやがれ。不摂生でくたばったら承知しないからね」
「よっしゃ! 今日はシャルちゃん復活の祝いとしてじゃんじゃんお高いの注文してやるぜ!!」
「きゃあ☆ それなら私い、ドンペリタワーってヤツが見てみたいなあ?」
「はっはっ、絶好調だな、おい。あれが『雷ノ巨人』を撃破した少女なんだっつったら戦士の国の連中はどんな顔することやら。……つーかいつのまにドンペリとか仕入れていたんだ?」
三日ぶりだからか、テンションがちょっと斜めにぶっ飛んでいるシャルリアを眺めながらガルドがそんな風に呟いていたが、誰にも野郎の呟きなんて聞こえていなかった。
そんなこんなで後ろで一本にまとめた茶髪を靡かせながら店の中を駆け回るシャルリア。
と、そこで新たな来客が一人。
服装こそ平民のそれではあったが、それでも隠しきれない美しき女であった。
黄金から切り取ったような煌く金髪、宝石を埋め込んだのではと思うほど綺麗な碧眼、スレンダーなシミひとつない身体の彼女。
つまりは──
「アンさんっ!!」
「お久しぶりですね、店員さん」
予想以上に困難な状況ではあった。
『雷ノ巨人』がどんな状況でも台無しにしたい、あるいはなりたいなどという理解しがたい行動原理からペラペラと喋って情報を垂れ流して隙を晒していなかったら今頃どうなっていたかはわからない。
本当に運が良かったとしか言いようがなかった。
どうにも『約束』した時の想像を超える困難な状況が待っていたが、それでも最後に勝ったのはこちらだ。
だから『アン』はこうして店を訪れた。
必ずこの店に来るという『約束』を果たすために。
言いたいことは色々あった。
言葉にできない感情が荒れ狂っていた。
だからシャルリアはこの一言に全てを込めたのだ。
「いらっしゃい!! 今日もビールに合うおすすめの料理があるよっ!!」
未だに店員の少女がシャルリアだとアンジェリカは気づいていなくて。
それでいて自分のことを『アン』という平民だと騙せていると本気で考えていて。
おそらくバラしても今のアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢であれば恥ずかしがっても『不慮の事故』なんて物騒なものは振りかざさないとわかっていて。
だから。
だけど。
(もうちょっとだけ、このままでもいいよね?)
この関係を壊すのは簡単だ。
だけどそうしたら、向き合うことになったら、この心地よい空気がどう変わるのか読めなかった。
先に進むのはいつでもできる。
ならばせめて何かしら『答え』を出してからでも遅くはないはずだ。
「ひっく。そういえばですよお」
と。
気がつけばいつものようにビールを煽って空のジョッキを机に積み上げて酔っ払ったアンジェリカはこう言った。
「シャルリアちゃんのお父さんは何かのお店をしていてえ、学園を卒業したらお父さんと一緒に店を切り盛りしたいんですってえ。店員さんたちみたいに親子で店を切り盛りするのは珍しくないんですねえ」
「え、あ、うん。そうだね」
「店員さんと同じ……不思議とシャルリアちゃんと店員さんは似ている気がするんですよねえ。見た目も性格も違うはずなのに……纏う空気がぁ、あったかいのがあ……同じでえ」
あれ? これもしかしてバレちゃう? まだ心の準備ができていないんだけど!? と内心慌てまくるシャルリアであるが、酔っ払いかくありきなアンジェリカが気づくわけもなく。
だから、構うことなくぼそりとこう言ったのだ。
「ふたりとも……だいすき、です」
ぐー……と寝息が続く。
本当の本当に酔っ払いかくありきであった。
どれだけ固まっていたか。
ぽん、といつのまにかやってきた黒髪のメイドがシャルリアの肩に手をやる。
ニタニタと、からかうように笑うメイドが口を開く。
「これはまた面白くなってきましたね、シャルリア様」
「うわあん!! あんなこと言われたら騙している罪悪感が半端ないよう!!」
どうやら正体がバレようがバレなかろうが、シャルリアが心乱されるのは変わらないようだった。
〜〜第一部、完〜〜
それは一ヶ月ほどあった夏の長期休暇最終日のこと。
全体的に派手で色っぽい女や周辺気温を低下させるほどに冷たい女、見るからに騎士然とした女、特徴的な耳の女の子などと野郎ばかりだった店にも彩りが出ていた。
……ガルドは『何でこうなった?』と頭を抱えているが。
シャルリアとしては常連が増えるのは良いことだし、それが女であれば話も合いそうだから大歓迎であった。もちろん野郎であってもいいというかこの店に来る客の大半はゴロツキ一歩手前なので慣れたものである。
そんなある日。
いつものように『アン』という平民の女に扮したアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢からのシャルリアとの日々に関するお悩み相談──そう、相談している相手がまさしくシャルリア本人だとまだ気づいていない──に乗っていた時だった。
新たな来客が一人。
それは深淵が滲むような漆黒の髪に瑠璃色の瞳の七、八歳だろう女の子だった。
くせっ毛なのか髪が二本のツノのように跳ねており、誰かのおさがりなのか床に引きずるほどサイズのあっていない黒いマントを身に纏っていた。
黒髪だからだろうか。それにしてはメイドにはそうは感じなかったが、とにかくどことなくシャルリアの母親に似ている気がする女の子は──なぜか派手で色っぽい女や物理的に冷たい女が慌てまくっていた──とてとてとシャルリアの目の前までやってきた。
流石に酒を嗜むには若すぎるのでは? と思っていたシャルリアへと彼女は年相応に明るく、それでいてどこか底冷えのする笑顔でこう言った。
「はじめまして勇者の娘サン。魔王の娘が会いにきてやったゾ」
というわけで第一部完結です! いやまだまだ続くのですが、一応十万文字前後で一区切りつけようと考えていたので。
もちろんこの作品は恋愛ジャンルなのでシャルリアとアンジェリカがくっつくまでは続きます! なのでここから先も読み進めてもらえればと思います!
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