第二十九話 決着
四十メートルは軽く超える巨体が弾け、砕かれ、ヘドロのような肉片を撒き散らす。
どこからどう見ても死は避けられない。
心臓も脳も粉々に砕かれた残骸からは生命の息吹は感じられなかった。
そのはずだった。
どぶどぶどぶう!!!! と残骸が泡立ち、膨れ上がり、合わさり、見る見るうちに二足歩行の巨体を作り出す。
ヘドロのようにドロドロとした体表が蠢く。
そう、第一王子から弾き出された時と同じように砕かれた残骸を軸にしてその巨体は君臨した。
びちゅり、と。
頭部にあたる箇所が裂けて、震え、声を吐き出す。
「ハッははっ。残念だが、俺様は肉体を砕いた程度では殺しきれないんだよなあ!!」
完全復活。
先のダメージの一切が拭い去られていた。
それこそ第一王子から光系統魔法によって追い出された時のように、『雷ノ巨人』の身体が再構築されていた。
と、そこで声があった。
「……あの巨人は肉体を完全に破壊しても魂だけでもある程度は生存可能だ。しかもどれだけ肉体を破壊しても魔力と魂があれば新たな肉体を『生み出す』ことができるんだから……」
「殿下っ。大丈夫なのですか!?」
「平民の少女やメイド、それに何より婚約者が戦っているというのに……いつまでも寝ていられるか。そうでなくても、我が国に害をなす存在を王族たる俺が放ってなどおけないからな」
飾るでもなく、当たり前のようにそう言っていた。
まさしく幼き頃の第一王子そのものであった。いいや、正確にはこれが憑依によって歪められることのない、本来の第一王子ブレアグス=ザクルメリアなのだ。
「それより、あの肉体再構築魔法だが……」
「ここは私の出番だねっ。アンジェリカ様、もう一度あの巨人を粉砕して!! どんなに強力な再生能力でも私ならどうにかできる! 私の光系統魔法であらゆる魔法を無効化して、もう復活できないようにしてやるから!!」
「大事なのは肉体を粉砕した後だ。肉体再構築にしろ憑依にしろ、奴の魂に直接光系統魔法をぶつけられれば使えないんだからな」
「たましいにちょくせつ???」
「奴の魂の気配は俺が感じ取れるから心配するな。これも奴の魂が長期間俺の中にあった影響なんだろう。奴の記憶が一部混じっているおかげで奴の魔法について把握できているのも含めてな。そういう意味では、俺に憑依してこの国を内側から掻き乱そうとしたのが巡り巡って奴の首を絞めているとも言える」
第一王子は『雷ノ巨人』を見上げて、
「あの巨人は憑依ができるからこそ魂だけでもある程度は生存可能だが、それは一分くらいが限度だ。つまり肉体を再構築できず、憑依による他者の肉体への移動さえも封じれば一分もあれば魂が維持しきれず死に至るというわけだ」
その会話を聞いて、『雷ノ巨人』は忌々しそうに表情を歪める。
「余計なことをしてくれる」
「ここで全て終わらせるぞ『雷ノ巨人』。これ以上、貴様の好きにはさせない!!」
そして。
そして。
そして。
「ああ、やめだ。そんな結果のわかりきった勝負とかつまらないよなあ。いいよ、俺様の負けでなあ」
軽く。
そう言って。
「このままみっともなく足掻くとか萎えるってもんだ。どうせ使えなくなるなら、その前にぱーっと吐き出すべきだろ。というわけで、喜べ人間ども。貴様らは『雷ノ巨人』に勝利した」
言葉だけ聞けば降伏や諦めのようで。
だけど違う。ここまでこの国を乱し、腐らせ、殺そうとした『雷ノ巨人』に限ってそんな展開になるわけがない。
つまり。
「だが、ただ負けるってのも味気ないからなあ。この国でも道連れにしてやろうか」
瞬間、『雷ノ巨人』の肉体がぶくぶくぶくう!! と膨れ上がった。次にバヂバヂバヂッ!! と雷が荒れ狂う。
これまで『雷ノ巨人』が振るってきた力が霞むほどだった。それだけ膨大な力が膨れ上がる巨体の中から溢れ出そうとしていた。
そう、つまり、それは、
「自爆するつもりか!?」
「ハッははは!! 正確には全方位への全魔力の放出だな!! 自爆だと無意味に終わるかもだしな。どうせ負けるなら貴様らが無意味に消費させようとしていた全魔力を今ここで使い果たしてやる!! さあ、台無しにしよう。ここまでの頑張りを、戦いを、積み重ねを、全てかなぐり捨てて道連れにしてやるよお!!」
『雷ノ巨人』はかつて一騎当千の猛者が多く集まっていた西の戦士の国を雷撃の嵐によって消し炭に変えた。そう、すでに国一つを滅ぼし、百年以上経っても人間が立ち入ったら死に至るほどに『力』が蔓延る禁域に変えた実例があるのだ。
このままではこの国もまた消滅して大陸に新たな禁域、人間が住むことのできない第二の雷の地獄が出来上がる。
「くっ。メイド!!」
アンジェリカが繊手を振るう。
体内で練る魔法をメイドが増幅し、今にも全魔力を放出しようとしている巨人へと無数の爆撃を浴びせて粉砕しようとしたのだが──
ドォッッッ!!!! と。
猛烈な勢いで襲いかかった『誰か』がメイドを薙ぎ払ったのだ。
「なっ!?」
確かにメイドを薙ぎ払った『誰か』が近くにいるはずなのに印象に残らないどころか正確な位置すら把握できない。
認識の希薄化。
魔法によって自己を極限まで薄めているのか。
「あのメイドめ、まさかあそこから逆転されるとは思わなかったっす。死んだフリで凌ぐしかなかったとは、本当人間ってヤツは予想外の力を発揮するっすね」
どこかで聞いたことがある声の気がするが、思い出せない。
メイドのようにそもそも姿を隠すのではなく、存在そのものを希薄化しているがためにその場にいようとも声を出そうとも正確に認識しきれないのだ。
魔族、その一人。
『雷ノ巨人』に付き従う魔族の男が真正面から、堂々と、誰に認識されることなく腕を突き出す。シャルリアの心臓を貫く。
その寸前だった。
第一王子の拳が魔族の男の顔面に突き刺さった。
「がぐっ!? どうして攻撃を当てることができるっす!? 第一王子の身体強化系統魔法で感覚を極限まで高めても僕を探知することは不可能なはずっす!!」
「魔法なんて必要ない」
ブォッ、とその手に魔法で生み出した炎の剣を握った第一王子ブレアグス=ザクルメリアは何でもなさそうに、
「姿が捉えられない敵がどう動くか予測して、攻撃を仕掛ければいいだけなのだから」
「……ッ!?」
轟音が炸裂する。炎の剣を袈裟に振るって認識できない『敵』を吹き飛ばす。
「こっちは俺が対応する。悪いが、あの巨人の魔力放出による被害軽減は任せるぞ!!」
そのまま『敵』をできるだけ遠ざけるように炎の剣を振るう第一王子。
アンジェリカは倒れたメイドに視線をやるが、身動き一つとれてなかった。息はしているようなので今すぐ死ぬようなことはなさそうだが、メイドの力を借りることはできなさそうだ。
そして、メイドの力を借りることができなければ巨人の肉体を吹き飛ばして魔力放出を阻止するのは困難だろう。
「はははっ!! さあ、どうする?」
「そんなの私の光系統魔法で無効化して──」
「そうだな、ある程度は無効化できるだろうなあ」
『雷ノ巨人』は笑う。
あくまで認めて、それでもなお笑うだけの理由がある。
「それでも貴様の魔法はあくまでその光が触れた魔法を無効化するというものだ。加えるなら身体から放出するタイプであり好きな座標に展開することはできない。だったら! ここまで肥大化した俺様の肉体から全方位に魔力を放出したとして、その光は『どこまで』届く!?」
「っ!?」
「正面を覆うことは可能かもな。だが背面は無理だ、俺様の身体が邪魔をするからな! となると、ハッはは! これは中々愉快な台無し具合になるなあ!!」
シャルリアの力はあくまで対魔法。肥大化した『雷ノ巨人』の正面全てを光で覆って無効化することは何とかなったとしても、それが限界だ。
『雷ノ巨人』という肉の壁に阻まれればそれより先には届かない。つまり全方位への破壊に対して背面に放出される力を無効化することは不可能なのだ。
それこそ魔力の源である魂に直接光系統魔法をぶつけられればまた違ったのだろうが。
『雷ノ巨人』の全魔力放出はこの国を消し飛ばす。
だがシャルリアの力はその全てを守れるほど広範囲には展開できない。
ゆえに第一王子は被害軽減と言ったのだ。
被害が出るのはもう避けられないと悟っていたからこそ。
「俺様はここで終わるが、多くの命を道連れにする。貴様らが俺様をここまで追い詰めたせいでなあ!! ああ、台無しだな。虚しく、呆気なく、これまで大事に丹精込めて大切に積み上げてきたもんが全部吹き飛ぶんだ!! はっははっははははははははははは!!」
己に酔ったように笑っていた『雷ノ巨人』は、だから気づけなかった。
静かに、だけど確かにシャルリアが拳を握りしめていることに。
「……ねえ、覚えている? アンジェリカ様が魔法の『暴発』について図書館で話したこと」
あくまでアンジェリカの復習というテイで声に出して隣のシャルリアに聞かせる形での『勉強会』。
そこでアンジェリカはこんなことを言っていた。
──魔法の『暴発』は慣れてきた時にこそ起きやすいです。何せ最初の頃は完全に失敗してそもそも魔法という形になることもなく魔力が霧散して終わりですけれど、何度か成功させて慣れてきた時にこそ中途半端な形の魔法が『暴発』するのですから。
「覚えていますけれど、このような時に何を言って……!!」
──また、その『暴発』において最も危険なのが魔法の性質さえも不明瞭な状態での『暴発』です。治癒や遠視といった破壊力のない魔法であっても、そもそもその性質自体が出力できていない状態で『暴発』すれば、込められた魔力量に応じて術者さえも巻き込んで周囲一帯に破壊を撒き散らします。
「私ね、ある人に教えてもらったんだ。『暴発』に指向性をもたせて攻撃手段にする裏技を」
──……光系統魔法は必要な魔力も多いと聞きます。『暴発』には気をつけることですね。
「だから!! 私にだって攻撃手段はあるんだよっ!!」
ボッッッ!!!! と。
肥大化した『雷ノ巨人』よりも巨大な光の壁が顕現した。
「は、は、ぁ……?」
シャルリアの突き出した両手から放たれたそれは『雷ノ巨人』よりも高くそびえる光の壁であった。
光系統魔法に似ているが、違う。
白という色のない──すなわち魔法無効化という性質をもたない──純粋な破壊力だけが込められた『力の塊』なのだ。
それも通常の魔法よりも遥かに多くの魔力が込められた光系統魔法の『暴発』であればその威力もまた既存の『暴発』を遥かに凌駕する。
「ちょっと待て、なんだそれは!? この力の波動は俺様よりも、いや、そんな、ありえない! 俺様は『雷ノ巨人』だ!! 俺様の全力がそんな魔法という形さえも保っていない半端なものに破られるわけがない!! そう、そうだ、この俺様が何も成し遂げられずに終わるわけが……ッ!!」
「成し遂げさせてたまるか」
光の壁が『雷ノ巨人』を呑み込むその前に。
完全に指向性を整えられなかったのか、『暴発』に巻き込まれて両手の肉が大きく抉られながらもシャルリアは力の限り叫ぶ。
「お前のくだらない野望なんて一つも残らず台無しにしてやる!!」
これまでで一番強く輝く光が『雷ノ巨人』の全魔力を込めた破壊の力も、ヘドロのような巨体も、跡形もなく消し飛ばした。