第二十六話 さあ、そろそろ反撃を始めよう
夏の長期休暇前の集会。
普段は魔法の実技のために使われている広大な建物でのことだった。
第一王子からの一方的な婚約破棄、及び平民の少女を新たな婚約者にするという宣言。それだけでも大きな騒動になるには十分だというのに、シャルリアやアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢が真っ向から第一王子に立ち向かった結果、何かが切り替わった。
色恋を軸にした若気の至り。
そんな流れを無視して血生臭い『真実』が噴き出す。
魔族四天王の一角である『雷ノ巨人』ライジゲルザ。魔王しか使えないはずの瘴気の極大魔法の顕現。
なぜか得意げに説明してきたが、それでもアンジェリカは全てを理解できてはいないだろう。
理解できたのはあの瘴気にはどうやっても敵わないほどに力の差が広がっていること、そしてその瘴気を軽度の傷しか癒せないはずのシャルリアの光系統魔法が吹き飛ばしたということだ。
「そっちがやるってんなら私だって容赦はしないんだからね、こんにゃろーっ!!」
浄化。
それも聖女認定された者たちの浄化系統魔法であっても不可能な瘴気そのものの粉砕。
それは──
「光系統魔法。やはりな。あの店で使われている魔物の肉を浄化していたのは貴様か、シャルリア!!」
アンジェリカは知る由もないが。
シャルリアが店員をつとめる飲み屋では魔物の肉が提供されている。ただし魔物の肉はそのままでは食べることはできない。瘴気によって汚染されたその肉は人体に悪影響を及ぼすのだから。
そのための『下処理』。
光系統魔法によって瘴気による悪影響を取り除くことが可能だからこそガルドが持ち込んだ魔物の肉を料理として提供できるのだ。
「これだけの力、ハッ! かつてアンジェリカを元に戻した『何か』。『計画』の邪魔をしてくれたのはやはり貴様だったわけだ!!」
アンジェリカは思い出す。
あの日、魔物のような醜い身体に変貌した自分が王都から連れ出される時に遭遇した救いの光を。
馬車にあるほんの僅かな隙間から入り込んできたあの光。瘴気によって変貌した身体を元に戻すほどに強力な浄化の力。
そんな力を使える者がこの世に二人もいるとは思えない。つまりあの日、アンジェリカを救ったのはシャルリアで間違いない。
そのことに思うところはあったが、今はその時ではない。向き合うべき事柄は別にあるのだから。
とっくにシャルリアとアンジェリカ以外誰もいなくなった広大な建物の中で『雷ノ巨人』に憑依された第一王子と向かい合う。
「瘴気、魔族にとっての力の源を削ぎ落とす貴様の存在は厄介だ。手元に置いて封殺できないならこの場で確実に殺さないといけないよな。そうだ、だから、ハッははっ、あくまで魔族の未来のために、決して俺様の趣味じゃないが、今この場で殺すしかないよなあ!! ハッははは!!」
「やれるものならやってみろっ! 瘴気なんて何度だって吹き飛ばしてやる!!」
「おいおい、忘れたのか? 俺様が何と名乗ったのか。『雷ノ巨人』。その冠する通り、俺様の得意技は瘴気ではなく雷だ!!」
瞬間、光が溢れた。
その名の冠する通り、必殺の雷が。
掲げた腕に先の瘴気のように金色の光が集う。雷撃。不思議と魔法によっての顕現が『雷ノ巨人』以外に観測されてこなかった力である。
「治癒系統魔法を光系統魔法だと偽ってその光は軽傷しか癒せないのだと偽っていたのだろうな。とはいえ、その光の真髄が聖女どもを遥かに凌駕する圧倒的な浄化能力だろうとも、逆にいえばそれが貴様の限界だ。魔法によって『できること』には限りがある。貴様の光系統魔法が浄化に特化しているのならば、俺様の雷は防ぎきれないよなあ!?」
「シャルリアさん!!」
咄嗟にアンジェリカがシャルリアを庇おうとしたその時、『雷ノ巨人』が雷を凝縮した腕を振り下ろそうとしたその動きが止まった。
ギヂギヂ、と軋むような音が響く。
腕が不気味に震える。
まるで異なる二つの力が体内でぶつかって拮抗しているようだった。
「これは、まさか、ブレアグスか!? あり得ない、貴様はもうとっくに消滅したはずだ!!」
「勝手に……人のことを消すな、クソ野郎」
その声は第一王子のものだった。
これまでと違って悪意のない、正真正銘第一王子ブレアグス=ザクルメリアの声だった。
幼い頃の、あの男の声に他ならなかった。
「本物の殿下ですか!?」
「アンジェリカ……早く逃げろ。俺、が……抑えておけるのも、そう長くはない……」
「殿下、わたくしは──」
「いい、言うな。全ては俺の弱さが招いたことなのだから。それより、早く……ぐっ。本当に、長くは保たないんだ……」
「……、わかりました。それが殿下のご意志ならば」
言下にアンジェリカはシャルリアの手を握る。
とっくに逃げ出した生徒たちに続くようにこの場から立ち去ろうとする。
だけど。
シャルリアはその場から動こうとしなかった。
「シャルリアさん、早く逃げますわよ!?」
「アンジェリカ様はそれでいいの?」
「何を……っ!?」
「私は正直話についていけてないけど、第一王子様って誰かに操られている感じなんだよね? それを放って逃げてそれでアンジェリカ様は後悔はないの?」
「それは、しかし!!」
「ちなみに私は全然まったく納得できない。ここで逃げたら絶対に後悔する。だって悪いのは第一王子様を操る誰かなんだよ!? そんな奴に好き勝手されたままなんてぜぇーったいに嫌だ!!」
「それでも、だったらどうするというのですか!? 瘴気はわたくしでは抗えないほどに強力でした。あの雷も同様です。どう足掻いてもあの雷を放たれればわたくしは抵抗できずに消し飛ばされます!! 殿下を助けるにはどうすれば良いか方法を探す以前にこのままこの場に留まれば殺されるのですよ!?」
「それは私がどうにかする」
即答だった。
どうやって、と返す暇もなくシャルリアは叫ぶ。
「だから言ってよ、本当はどうしたいのか!!」
そんなの。
決まっていた。
「助けたい、ですわよ……。殿下はわたくしの婚約者です、愛することはできずとも軽々しく見捨てられるような相手ではないのです。本当は、わたくしだって! 見殺しにしたくありませんわよお!!」
その想いを聞いて。
シャルリアは笑う。
「だったら早く第一王子様のこと助けないとね。こんな不条理はさっさとぶっ壊してさ!!」
無茶苦茶だった。
無謀にもほどがあった。
感情よりも合理を優先する貴族令嬢では到底受け入れられない思考回路だった。
だけど。
それでも。
「……意外と我儘なのですね、シャルリアさんは」
受け入れてしまった。
この場に留まった。
だって、本当は、アンジェリカだってそうしたかったから。
無謀だろうが何だろうが、このまま見殺しにするような真似をヴァーミリオン公爵令嬢ではなくアンジェリカという一人の女が受け入れられなかったから。
何より。
アンジェリカを二度も救ってくれたシャルリアの言葉ならば信じられたから。
そこが限界だった。
ブレアグスにできるのはあくまで短い時間稼ぎ。
それが終われば待っているのは四天王の一角である『雷ノ巨人』の本領である。
「は、はは」
笑みがこぼれる。
悪意がこの場を席巻する。
「ハッははは!! せっかくブレアグスの野郎が死力を振り絞って時間を稼いだってのに、それをつまらない問答で潰してひっどい奴らだ!! 台無し、ああ、台無しだなあ!! だからこそ、はっはっ、この背筋が震える感じが、駄目だ、やっぱり自分で積み上げたもんを踏みにじるのもいいが、他人が積み上げてきたもんを踏みにじるのが最高だよなあ!!」
瞬間、放たれるは雷。
いかにアンジェリカがいずれは『白百合の勇者』たちに並ぶのではと期待されている才能の持ち主であっても今はまだそこまでの力はない。
百年以上前に大陸を鮮血と死で埋め尽くした魔族の精鋭、四天王の一角に太刀打ちできるだけの力はない。
だから。
だから。
だから。
「だから! こんな不条理はさっさとぶっ壊すって言ったはずよ!!」
カッ!! と純白の光が弾ける。
歴戦の戦士だろうが問答無用で消し炭に変えてきた『雷ノ巨人』の力が白に塗り潰されて呆気なく消え去ったのだ。
それだけで終わらない。
そのまま真っ直ぐに放たれた光は第一王子の肉体を貫き──憑依の魔法さえも打ち消したのだ。