第三話 始まりのもつ煮込み その三
完全に出来上がっていた。
酔っ払い公爵令嬢いっちょ上がりである。
「あははっ! 店員さあん!!」
「あ、はい。店員さんだよー」
「ははっあはっ、店員さんですわあー!!」
酔っ払いは適当にあしらうに限るというのがシャルリアの持論だが、流石に公爵令嬢を常連の馬鹿どものように扱っていいわけもない。……ちなみに散々アンジェリカにビールを勧めた馬鹿どもは若い女に良いところ見せようと調子に乗ってとっくにぐでんぐでんになって潰れていた。肝心な時に役に立たない連中である。
「ねえ、店員さあん。わたくしの悩み、聞いてくださいますかあー?」
「悩み?」
公爵令嬢の悩みとかどんなとんでもないものなのかと背中が汗でびっしょりになっていたが、もちろん断るなどできるわけもない。まあ、うっかり機密情報を話されでもしたら後日『不慮の事故』で口封じコース真っしぐらではあるが。
「わたくし、仲良くなりたい人がいるんです」
「へえ。そうなんだね」
よかった年頃の女の子のような可愛い悩みだとほっと一息つくシャルリア。少なくとも血生臭い方向にはいかずに済みそうだ。
「ちなみにその子の名前はシャルリアちゃんというんですの。店員さんもシャルと呼ばれていましたし、名前似ていますわねえ」
…………。
…………。
…………。
「そうだね私の名前はシャルだからね決して絶対にシャルリアって名前じゃないからね」
慌てて早口で嘘をついていた。
万が一にも『本名』を知っていてあえて『シャルちゃん』と呼んでいる常連たちに聞こえないように小声で。
衝撃が表情に出ないよう必死に抑えながら、思う。
今、アンジェリカは何と言った?
仲良くなりたい人がいる。それがシャルリアだと???
(意味がわからない!! あれだけねちっこく嫌味を言っておいて何でそんな話になるのよ!?)
実はここまでが壮大な嫌がらせへの前振りなのではと、そう疑ったが、どうにもそんな様子でもなかった。机にぐてーっと倒れて、真っ赤な顔でシャルリアを見上げるアンジェリカは間違いなく酔っ払いのそれである。
小難しいことを企む余裕はどこにもない。ここまで酔っ払った口から出てくるのは本音だけだとシャルリアは経験からわかっている。
わかっているからこそ、混乱も大きいのだが。
(あ、実は私と同じ名前の貴族令嬢とか何とかがいるとか──)
「なのに、どうして……わたくしは学園で顔を合わせたらいつも意地悪なことしか言えないんですかあーっ!!」
(それ絶対私のことじゃん、もお!!)
ぶんぶんっと空のジョッキを振り回しながらいきなり叫び出すアンジェリカ。そういう突飛な行動自体は酔っ払いに慣れているシャルリアが驚くものでもないが、内容が内容だけに驚きっぱなしであった。
「本当は、ただあ、一緒にお食事でもどうかと誘いたかっただけですのに、どうしても余計なことを言ってしまうのですよお!! お弁当のことだって少しはお野菜も食べないと健康によくないと言いたかっただけですのにい、あんな言い方ってないですわよおぉおおおお!!」
「え、ええっと」
つまり、だ。
あの嫌味は素直になれない女の子の精一杯のアプローチだったと、そういうことなのだろうか。
(いや、いやいやっ! なんで? 私の光系統魔法はちんけなものだってことになっているし、公爵令嬢が私のような平民と仲良くなりたい理由なくない!? だから、ええっと、だから!!)
だから。
だけど。
「うう、シャルリアちゃあん。いじわる言ってごめんなさぃいいい」
目の前の女の子の言葉が全てだった。
だからこそ、どうすればいいのかわからなかったのだが。
「店員さあん!!」
「っ!? な、なに?」
「そう、そうですっ、わたくしシャルリアちゃんと仲良くなりたいんです! ですからどうかお悩み相談のスペシャリストである店員さんの力を貸してください!!」
「…………、へ? ちょっ、なに、お悩み相談のスペシャリストって何なの!?」
そんなの誰からも言われた覚えがないのだが、なぜかアンジェリカは期待に満ちた目を向けて、
「『メイド』から聞きましたわ!」
そんなデマを流した『メイド』は何者なのかと問い詰めたくなったが、それよりも先にアンジェリカはこう言ったのだ。
「だめ、ですか?」
「うっ。……だめ、じゃないよ」
公爵令嬢の頼みを断れるわけもなく、頷くしかないシャルリア。たったそれだけで嬉しそうに笑みを浮かべるのだから、本当学園でのアンジェリカとはえらい違いである。
その素直さをほんの少しでも学園で出してくれれば簡単に解決する悩みだとは思うのだが。
「えへへ。これで安心、ですわあ……」
そう言ったかと思えば可愛らしい寝息がアンジェリカの口から漏れた。酔って寝たのだと気づいて、この眠りこけた公爵令嬢はどうすればいいのだと頭を抱えることになるシャルリア。
常連のおっさんや冒険者なら叩き起こして店の外に蹴り出すのだが、もちろん高貴な身分の令嬢相手にそんな真似はできない。だからといってこのまますやすや眠っていられても困るのだが。
「お嬢様であれば私が連れて帰るので問題ありませんよ」
「そっかよかった……って、うわっ、誰!?」
気がつけばアンジェリカのそばにメイド服の女が立っていた。年齢は二十台前半か。肩まで伸びた黒髪に黒目の彼女は素早くシャルリアの耳元に口を近づけて、一言。
「これからお嬢様のことよろしくお願いしますね、シャルリア様」
「……ッッッ!?」
何事か返す暇もなかった。
メイド服の女は手早くアンジェリカを背負い、アンジェリカが飲み食いした料金をなぜ知っているのかぴったり机に置いて、シャルリアの反応などお構いなしに店から出て行ったのだから。
色々なことが一気に起きすぎて頭がこんがらがったシャルリアはついに膝から崩れ落ちていた。
「こんなのどうしろってのよお!!」
ーーー☆ーーー
真夜中の王都を馬車が走っていた。
すっかり眠っているアンジェリカの頭を膝の上に乗せた黒髪黒目のメイドは素直になれない面倒くさい主人を見つめながらこう呟いていた。
「本当、どうしようもなく不器用なんだから」
巻き込まれたシャルリアには悪いが、メイドにとっては敬愛すべき主人の幸せが一番だ。そのためなら彼女は何だってやる。それこそシャルリアに正体をバラされたくなければと言わんばかりに釘を刺すことも仕えるべき主人に嘘をつくことだって。
「早く仲良くなれるといいですね、お嬢様」
ーーー☆ーーー
ガタイのいい隻眼の中年男性ガルドはいつも魔物の肉を渡している馴染みの店から公爵家の家紋が刻まれた馬車が去っていくのを見つめていた。
鍛え上げられた手を首にやり、ゴキリと鳴らして、一言。
「できれば殺したくはないんだがなあ」
まあ依頼内容と報酬次第か、と呟き、それはそれとしてもつ煮込みでも食べながらビールを飲もうと店に入った彼を出迎えたのは膝から崩れ落ちているシャルリアだった。
いつも屈託なく笑っている少女が完全に涙目であった。