第二十五話 真実
何が起きたのか、アンジェリカは理解はできても頭が追いついていなかった。
ただただ残酷なまでの『真実』が広がっていく。
第一王子が己の首元に手を突っ込む。
肉を抉り、その中から引き千切るように何かを取り出す。
それは漆黒の宝石が埋め込まれた首飾りだった。
禍々しく宝石が光る。天に掲げるように高らかと持ち上げられたその首飾りから漆黒の粒子が噴き出した。
それが、床や天井に触れる。
瞬間、腐り落ちるように消滅していった。
漆黒の粒子が渦を巻くように第一王子の手の近くに凝縮されていく。魔法……なのだろうが、魔法の基本は増減だ。つまり一目見ればどんな物理現象を軸にしているのかはわかる。
だが、あの漆黒からは基本となる『法則』が見えない。
漆黒の粒子。物を腐らせる『法則』はいくつかありはしても、あのように漆黒の粒子という形に収まるような『法則』は検討がつかない。
いいや。
既存の『法則』を無視するほどに強力な魔法は存在する。そう、魔法の基本は増減だが、全ての魔法がそうであるわけではないのだから。
例えばシャルリアが得意とする光系統魔法。歴代の使い手の中には魔法だとしても不可思議な現象を引き起こすことができていた。それだけ自由度がある系統の魔法なのだ。
だが、先の現象を鑑みるならその正体はこちらだろう。
漆黒の粒子という形、そして床や天井を腐り落ちるように消滅させることも可能な力。
瘴気。
魔王の秘技にして百年以上経った今も大陸中央のある地区を立ち入りが困難な禁域指定に変えた魔法である。
この力は対象の肉体を異形に変えて、記憶を奪い、最後には腐り落ちるようにその存在を抹消する。光系統魔法と同じ、元となった『法則』の存在しない極大魔法。
そう、瘴気の極大魔法こそ第一王子が顕現させた漆黒の粒子の正体だろう。
そして、そうであるならば。
「ま、さか」
点と点が繋がっていく。
もしも第一王子が魔王と同じ瘴気の極大魔法が使えるとしたら、幼い頃のアンジェリカを襲った不条理にも説明がつくのだ。
彼女は何の前触れもなくある日目覚めたら醜悪な異形に変貌した。その理由は今まで不明だったが、瘴気によるものだとすれば説明がつく。
何せ彼女が変貌したのは第一王子との婚約が決まり、何度か顔を合わせた後だったから。その時にアンジェリカに瘴気をぶつけて、時間差で変貌するよう仕込んでいたとしたら。
変貌、記憶喪失、腐敗。
その第一段階、異形への変貌こそアンジェリカを襲った不条理の正体である可能性は高い。
「その瘴気は、まさか、わたくしの身体をあんな風にいじくり回したのは!!」
「やっぱり気づくか。というか気づかせてやったんだしな。アンジェリカの予想した通り、俺様はこの力でお前を異形に変えたことがある」
今更のようにただ事ではないと気づいたのか、生徒たちは我先にと逃げ出していた。禍々しい破壊の力をこちらに向けられてはたまらないと。
『真実』を明らかにするまではアンジェリカだけは逃げるわけにはいかなかったが。
「どうして、そのようなことをする必要があったのですか!?」
「全ては『計画』のために。百年以上前は人間どもを舐めて痛い目にあったからな。勇者どもがすでに死んでいたとしても、いきなり突然変異が現れないとも限らない。生き残りには限りがあるし、慎重に動くのは当然だろ?」
「ま、って……ください」
「だからこその『計画』だ。俺様自ら使い勝手のいい人間に憑依して、国を内側から引っ掻き回し、共食いして弱体化したところをぶっ潰すってところだな。ここまで言えば王家に継ぐ力を持つヴァーミリオン公爵家の人間であるアンジェリカを殺すのでなく異形に変えた理由もわかるよな? 『火種』。人間どもが勝手に争うための理由づくりだ。まあ他にも『不慮の事故』のような共食いが蔓延るように裏で手を回したりと色々やってきたがな。第一王子という身分はやっぱりいいな。国王だと流石に目立ちすぎるし、国を壊すのにこれほど適した人材もいないからな」
「待ってください!! 色々と聞きたいことはありますけれど……憑依、ですって?」
「あん? そこが引っかかるか? 別に言葉の通りなんだがな」
第一王子は笑う。
笑って、告げる。
「今こうして話しているのは第一王子の肉体に魔法によって憑依し、操っている『俺様』だ。アンジェリカの知る『第一王子ブレアグス=ザクルメリア』なんて魂はとっくの昔に潰れているんだよ」
何も返せなかった。
その内容を受け止めるには、あまりにも重すぎた。
「最初から派手に動くとこの国の自浄作用が働いてしまう懸念もあったから、アンジェリカと婚約した時くらいは一日のうち数分ほど操って国家崩壊へのタネを仕込む程度にしていたがな。何事も安全を確保するだけの環境づくりが大事だしな。馬鹿どもを雁字搦めにして後ろ盾として使い潰す仕組みが出来上がるまでは無駄にお利口でだからこそ大半の人間からは敵視されにくいブレアグスという隠れ蓑を利用しない手もないだろ。それにしても、最近は『俺様』が好きに動いていたというのに気づかれないとはな。哀れな野郎だよ、ブレアグスとかいう奴は。あんなに必死に、くっくっ、この国を『俺様』から守るのだと抗っていたのに、はははっ! こうして完全に入れ替わっても『俺様』が台無しにするまで誰も気づかないってんだからなあ!! はははははははははは!!」
誰かの笑い声だけが響く。
どうしようもない不条理が世界を席巻する。
「まあ、くっくっ、なんだ。本当はもう少しこの国を内側から腐らせて、内乱でも起こして、弱りに弱ったところを一気に潰す予定だったんだが、だからこそ途中で全部投げ捨てて台無しにしてしまうなんて本当悪癖だよなあ!! もっとうまく立ち回ることもできたが、ははっ、もう駄目だ、こんな極上の状況で我慢とかできないよなあっ!!」
そして。
何者かは確かにこう言った。
「光栄に思えよ、人間ども。魔族四天王の一角たる『雷ノ巨人』ライジゲルザが直接ぶっ殺してやるんだからよお!!」
言下に漆黒の粒子──かつてアンジェリカを異形に変えた瘴気が解き放たれた。
ただし今回は異形に変えるなどという半端なものではない。記憶を奪い、その肉体をカケラも残さず抹消する極大魔法がである。
死が迫る。このままだと確実に殺される。
それがわかっていて、アンジェリカに抗う術はなかった。
これほどの不条理に抗うのならば、それこそかつて魔王を倒した『白百合の勇者』ほどの力が必要なのだから。
だから。
だから。
だから。
パッァァァンッッッ!!!! と。
アンジェリカを庇うように前に飛び出したシャルリアの腕が横に振るわれ、漆黒の粒子を吹き飛ばしたのだ。
その腕は真っ白に光っていた。
光系統魔法。他者のそれも軽傷しか治せないはずの力が瘴気の極大魔法をいとも簡単に消し飛ばしていた。
「正直、話についていけないところもあるけど」
そう、その光は。
かつてアンジェリカを異形から人間へと戻した謎の白い光と同じで。
「そっちがやるってんなら私だって容赦はしないんだからね、こんにゃろーっ!!」
幼い頃、アンジェリカを救ってくれたように。
今日もまたその光は──シャルリアはアンジェリカを救ってくれたのだ。