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第二十三話 決裂

 

 夏の長期休暇前の集会。

 普段は魔法の実技などで使用される広大な建物でのことだ。


 多くの生徒や教師が集まる中、その宣言は響き渡った。


「皆の者、聞くがいい! 俺様はアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢との婚約を破棄し、新たにシャルリアを俺様の婚約者とする!!」


 第一王子ブレアグス=ザクルメリア。

 王位継承権第一位たる銀髪赤目の美男子の宣言に周囲は騒然となったが、それだけだ。わざわざその発言に口を挟むようなことはない。


『不慮の事故』。そんなものがまかり通るほどにここ十年前後でこの国は変わった。貴族は平民を殺してもその事実を隠蔽して罪に問われない。それほどに権力の大小は残酷なまでに絶対になった。


 それは貴族社会でも同じだ。

 下は上に逆らえない。逆らったら潰される。

 そういう仕組みが、極端に大きくなったのだから。


 第一王子。この国の王族の一角にしていずれはこの国の頂点に君臨する覇王の子。そんな怪物の決定に何事か口を挟み、怒りを買えば待っているのは確実な破滅だ。


(……、アンジェリカ様)


 第一王子に手を掴まれ、その力の強さに顔を顰めるシャルリアは思う。


 いきなり第一王子の婚約者にさせられた。その混乱よりも、ずっと強く。


(私のことは見捨てていいって言っても無駄だよね。だってアンジェリカ様だもの)


 瞬間、シャルリアの手を握る第一王子の腕が弾き飛ばされた。『彼女』は第一王子を引き剥がし、シャルリアを庇うように前に出る。


 黄金から切り取ったような煌く金髪、宝石を埋め込んだのではと思うほど綺麗な碧眼、スレンダーなシミひとつない身体、赤が好きなのか公爵家の財を尽くした豪勢な真紅のドレスが霞むほどに美しい『彼女』──アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は決して怯まず、堂々と、第一王子と向かい合う。


 相手は王族の一角。

 最悪の場合は公爵令嬢といえども無事では済まないとわかって、それでも迷うことなく。


「殿下、本当にいい加減にしてくださいませ」


 ここまでされては腹をくくるしかない。

 巻き込んで申し訳ない気持ちも、今すぐアンジェリカだけでも逃げてほしい気持ちも、全部心の奥にしまって、シャルリアのためにここまでしてくれた想いに応えるべきだ。


 その背中を力の限り支えて。

 自分にできることは何だってやって。

 そして二人揃ってこの状況を乗り越えて、必ずやもう一度あの店で『アン』と再会するために。



 ーーー☆ーーー



 アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は改めて第一王子と向かい合う。


 王位継承権第一位。

 いずれは共に国を支えるはずの婚約者。

 そして、何より、公爵令嬢よりも『力』ある男。


 それでも一瞬たりとも臆することなくアンジェリカは言う。その背中に決して譲れないものを背負っているからこそ。


「殿下。わたくしと殿下の婚約がどういったものか、わかっていますか? 国王陛下がお決めになったいわば王命を殿下だけの意思で破棄できるわけがないでしょう」


「…………、」


「そうでなくてもわたくしたちの婚約には様々な利権や思惑が絡み合っています。それをこうも一方的に破棄すれば有力貴族たちから非難されるのは殿下となります。それは、覚悟の上ですか?」


「…………、」


「殿下は王家の一員です。その行動にはどうしても責任や義務が発生します。誰かを好きになる気持ちは止められなくとも、それを押し通すには背負っているものが大きすぎるのです。ですので、先の発言はどうか思い直してください。今ならばまだここにいる全員が先の発言を聞かなかったことにしてくれるようわたくしからも誠心誠意尽くします。ですから、どうか、未来の王としてふさわしき判断をお願いします」


 ゆっくりと、頭を下げるアンジェリカ。

 第一王子のこれまでの行動に対して正直言って思うところがなかったわけではない。特にシャルリアを巻き込んだことを許すのは難しいだろう。


 それでも全て飲み込んだ。

 敵対するのではなく、落とし所を見出すために。


「…………、」


 どれだけ沈黙が流れただろうか。

 やがて第一王子は確かにこう言ったのだ。



「つまらない戯言は終わりか、アンジェリカ?」



 断ち切る。

 せめて穏便に、波風立てることなく終わらせることなど許さないと言わんばかりに。


「どうして俺様がヴァーミリオン公爵家の娘程度の意見を聞き入れなければならない? 俺様はシャルリアに一目惚れしてやった。俺様の新たな婚約者に選んでやった。それが全てだ。俺様の決定が絶対なのだ。それをぺちゃくちゃとくだらないことを並べ立ててからに。この国の全ては俺様の掌の上だ。俺様の所有物だ。アンジェリカ、貴様が今するべきことはつまらない戯言を吐き出すのではなく黙って従うことだと知れ」


 今更ながらに思う。どうしてこうなったのだと。


 十年ほど前、婚約が決まって顔を合わせた彼はここまで考えなしではなかった。王族らしい威厳はあっても決して横暴ではなかった。


『アンジェリカ、とそう呼んでもいいだろうか?』


 何度目かの親睦を深めるための二人きりのお茶会で第一王子は探るような声音でそう言った。


『俺はこの国をもっと豊かにしたい。皆がこの国に生まれてよかったと、幸せだと、そう思えるように。……漠然としている自覚はあるが、俺も具体的にどうすればいいのかすらまだ見えていないからな。情けない限りだが、成すべきことを探すところから力を貸してくれないだろうか?』


『はい。もちろんです』


 情けない、と彼は言っていたが、そんなことはないとアンジェリカには思えた。


 彼は優しすぎるのだろう。

 事前の調査内容によると第二や第三の王子との協力関係を結ぶ際に必要なら王位を差し出しても構わないと口にするくらいには、だ。それで結果的にこの国が無益な身内争いが起きることなく栄えるならそれでいいと即答できるような男なのだ。


 それを踏まえても王として君臨するには甘い男だろう。第二や第三の王子が笑って断ったからよかったものを、そうでなかったならばどうなっていたことか。


 それでも、その甘すぎるまでの善性は責務で踏み潰していいものとは思えなかった。『両立』すると誓ったアンジェリカからしてみれば、その優しさを抱いたまま突き進んでもいいと思えたから。


 足りないなら、情けないと貶められるかもしれないなら、アンジェリカや周囲の人間が支えればいい。


 甘いのではなく優しいのだと、果たすべきことは果たしてそれでいて信念もまた貫くだけの力を積み重ねていけば『両立』は可能なのだから。


 王位を捨ててでも民の幸せを願えるような甘い男。

 つまり少なくとも平民なら虐げてもいいと思っているような決して少なくない貴族連中よりも百倍マシなのだから。


 そんな彼との婚約なら、受け入れることもできる。


 それはそれとして、彼と婚約していても、いずれ結婚しても、おそらく愛することはないだろう。アンジェリカは彼を恋愛対象としては見れなかったから。


 それでも共に国を支えるパートナーにはなれると確信した。一定の距離感で、決して近づくことなく、されど遠ざかることもなく、そう、戦友のように。


 それが気がつけば第一王子は『こう』なっていた。

 一定の距離感。もしもその距離が好き合う者同士のように近かったならば第一王子が変わっていくのにも気づけたのだろうか。


 こんなにも致命的に破綻する前に、引き戻すことはできたのだろうか。


 こんなこと考えても仕方がないとわかっていて、それでも思う。手を伸ばすべき時に伸ばせなかったと。


 だからアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は第一王子と並ぶのではなく向かい合っている。


 ──どんな理由があろうとも尊き血筋であれば責務を背負うべきだ。


 この世に生を受けたならば、果たすべき最低限の責務はある。それを無視して、誰彼構わず迷惑をかけて傷つけて振り回すような者に秩序ある世界を生きる資格はない。


 それが第一王子、次期国王ともなるとその行動一つでどれだけの影響を及ぼすか。単なる平民ならともかく、第一王子ともあろう存在が好き勝手やれば被害は国全体に広がる。決して個人の我儘などという範疇には収まらないのだ。


 そんなこともわからなくなるほど愚鈍と化したのか。

 それともわかっていて、なお、構わずに押し通そうとしているのか。


 どちらにしても見過ごせない。

 ヴァーミリオン公爵家の人間として、第一王子の婚約者として、そして何よりこの国に住む一人の人間として多大な混乱を招き不必要な被害を出そうとする横暴は阻止しなければならない。


 そこで、だ。


「おい、シャルリア」


 矛先が。

 変わって。


「もちろん貴様は第一王子たる俺様を愛するよな?」


 第一王子という身分。

 平民という身分。

 その絶対的な『差』を示して、シャルリアの意思をねじ曲げて、無理矢理に愛すると言わせようとしていた。


 そんなことをしても何にもならない。

 この『流れ』は止められない。


 シャルリアが何を言おうが、それこそ仮に両想いであったとしても個人の感情がまかり通ることはなく、いつかどこかで食い止められる。


 だけど、拒否できるか?

『不慮の事故』などというものが蔓延るほどに身分の差が残酷なまでに強調されたこの国で最下層の平民が最上位の王族からの『命令』を拒絶することが、だ。


 いつか。

 どこかで。


 そんな曖昧な『先』よりも、確固たる『今』絶対的な権力者に逆らえばどうなるか。平民であるシャルリアは骨身に染みているはずだ。


 だから。

 だから。

 だから。



「うるっっっさいのよ、このクソ王子が!! 何でもかんでもお前の思い通りになると思うなよ、こんにゃろーっ!!!!」



 それはシャルリアの叫びだった。

 この場で最も身分の高い男へと、この場で最も身分の低い彼女が真っ向から逆らったのだ。

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