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第二話 始まりのもつ煮込み その二

 

 注文を伝えに厨房に引っ込んだ風に装って公爵令嬢の目が届かない場所まで移動したシャルリアは頭を抱えていた。


「なんでこんなことになるのよ……」


 万が一にもアンジェリカに聞こえないよう声を抑えてはいたが、厨房で調理中の茶髪を短く刈り込んだ厳つい顔の父親にはバッチリ聞こえていたようだ。


 何やら『調理中にうるせーぞ!』と言わんばかりに凶悪な目つきでシャルリアを睨んでいるように見える父親だが、これは別に怒っているわけではない。


 単に困っているシャルリアを心配して見ているだけなのだが、致命的に感情表現が苦手な父親は基本的に威圧感満載なのである。


「どうかしたか?」


「どうって、ええっと……」


 果たして素直に公爵令嬢がやってきたと伝えていいものか悩むシャルリア。わざわざ平民らしい格好までしてやってきているのだ。俗に言うお忍びだとすると、下手に彼女の正体を教えても逆効果になりかねない。


 というわけであの客が公爵令嬢であることは隠して『お任せ』だと丸投げされて困っていると伝えることに。


「そんなことで悩んでいるのか? らしくない」


「うっぐ」


 確かに注文に悩んでいる客がいようものなら『今日はこいつがおすすめだよっ!』と勧めるのがいつものシャルリアである。相手が単なる美人さんであればシャルリアだってその日の食材の状態や客の好みなどを考慮して最高だと思うものを勧めていただろう。


 だが、


「詳しくは言えないけど、あれだよ。なんか舌が肥えてそうな人だったからどうしようかなって。あっ、お父さんの料理がダメってわけじゃないよ!? そうじゃなくて!!」


「落ち着け」


 かつて騎士として働いていたからか、全身傷だらけの父親はその大きな手をシャルリアの頭に乗せて力強く撫でる。


「シャルリアの好きにすればいい」


「お父さん……」


「まあ、俺の料理は自信をもって勧められないと言われればそれまでだがな」


「そっそんなっ、お父さんの料理はいつだって最高に美味しいんだから! お父さんが未熟だなんて絶対にありえないよ!!」


「なら、何の問題もないな」


 微かに、口の端を緩める父親。

 仏頂面が基本の彼にしては珍しいその笑みを見て、シャルリアも腹をくくることにする。


 そうだ。幼い頃からずっと口にしてきた父親の料理はいつだって美味しかった。父親の料理を前にすればいかに舌が肥えた公爵令嬢でも文句をつけられるわけがない。


 ……基本酒飲みに合わせた味付けなのがちょっと不安要素だが、大丈夫ったら大丈夫なのである。


「ようし。やってやるんだからね、こんにゃろーっ!」



 ーーー☆ーーー



「はいっ、おまちどうっ!」


 どんっ! とほとんどヤケクソで持ってきた料理をアンジェリカの前に並べるシャルリア。


 どこをどうひっくり返しても高貴な身分の人間が食べるようなものは置いていないので、それならとびっきりこの店らしい料理で挑戦することに。


「これは……?」


「もつ煮込みだよっ!」


「もつ……煮込み」


 シャルリアの言葉を不思議そうに繰り返すアンジェリカの様子から予想通り口にするどころか名前すら聞いたことのない料理だったようだ。……今更ながらに『もつ』が何を意味するかバレたら内臓なんて食わせるつもりかと魔法が飛んできそうだったが、これが一番この店らしいのだから仕方ないと吹っ切れるシャルリア。


 百年以上前、神託を授かった『白百合の勇者』が魔王の討伐よりも熱心に尽力していた衣食住の改革。


 その中でももつ煮込みのような『食』は『白百合の勇者』が広めた『安くて美味い』料理の一つである。一説には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは『白百合の勇者』が自分好みの環境を整えるためだとか昔からの憧れを叶えただとか言われているが、詳しいことはわかっていない。


 一つ言えるのはシャルリアと同じく光系統魔法の使い手であった『白百合の勇者』のお陰で食事を楽しむ余裕もなかった平民が飲み屋で生一丁と叫んで飲んで騒いでとできるようになったということだ。


 とはいえ古き良き高貴な身分の人間はわざわざ『安くて美味い』ものを口にする必要はない。普通に『高くて美味い』ものを食べる余裕があるし、そういった昔からあるものを伝統として大事にしている。一部では『安くて美味い』平民の食べ物に食いつくような真似は貴族らしくないという風潮があるほどだ。


 そういった背景もあって平民の食べ物を公爵令嬢相手に出していいか悩んだが、今のところアンジェリカがこんなもの食べられるかと机をひっくり返して暴れるようなことはなかった。


「あの……」


「っ! はいはい、なにかなっ?」


「これは、そのまま食べていいのですか?」


「もっちろん! さあ、どうぞっ」


「それでは、いただきます」


 予想通り『白百合の勇者』が広めて今では平民がよく使うようになった箸ではなく古き時代から使われてきたナイフとフォークを手に取るアンジェリカ。


 普段酔っ払いどもが荒々しく食べているもつ煮込みだが、彼女が手をつけるだけでまるで高級店のディナーのように見えるのだから不思議である。これも染みついた作法のなせる技なのか。


 優雅な手つきで脂が凝縮されたもつ煮込みにナイフとフォークが走る。


 具材はもつだけ。それを濃厚で甘辛い煮汁で煮込みに煮込んで表面がぐずぐずに溶けるまで味を染み込ませた健康とか知ったことかと言わんばかりな一品である。


 シャルリアが生まれてすぐに開店したこの店の定番メニュー。十五年継ぎ足し続けてきた煮汁で煮込まれたこのもつ煮込みはシャルリアが一番好きな料理であるが、それはあくまで平民の口に合っているというだけだ。


 この店のもつは牛や豚のもの()()()()が、それを考慮しても公爵令嬢の口に合うかどうかは予想がつかない。


 と、そんなことを考えていたらとにかく色んなものを鍋に突っ込みすぎてどの種族のどの部位かもわからなくなった、煮汁が染みてぐずぐずなもつをあのアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢が優雅に口にするところだった。


「んっ……ふっ、んくっ!?」


「だっ大丈夫!? 口に合わなかったかな!?」


 途端に口元を押さえて咳き込むのを我慢するものだからこれは口に合わずに『不慮の事故』一直線かと冷や汗が噴き出した。


 だが、小さく首を横に振って、アンジェリカはこう言った。


「い、いいえ、味が濃くて驚いただけですわ。普段食べているものは薄味なので」


 噂に聞くだけではあるが、貴族の食事は素材の良さを徹底的に強調するがあまり味付けに関しては最低限であるのだとか。そんなものばかり食べているなら、酒で流し込むのが基本の味濃い・脂っこい・大雑把な飲み屋の料理に驚くのは当然だ。


 脂だらけの濃厚な甘辛いもつ煮込みなど、こんなところに来なければ公爵令嬢が口にする機会は絶対になかったはずだ。


 だから。

 だから。

 だから。


「店員さん、これ美味しいですね」


 取り繕うでも何でもなく、綻ぶような笑顔でそう言われて、シャルリアは今までとは別の意味で心臓が跳ねるのを感じていた。


 父親の料理が高級な料理で舌が肥えた公爵令嬢にも受け入れてもらえたことが嬉しかったのもあるだろうが、その笑顔に目が離せないのはもっと別の理由があるような……とそこまで考えて何を考えているのだと首を大きく横に振る。


 その数秒が致命的だった。


「はははっ! そうだろ、おやっさんのもつ煮込みは最高なんだよ!! だがな、それだけじゃ五十点ってもんよ。もつ煮込みにゃあビールがないと始まらないからな! 一応聞くが、嬢ちゃん酒はいけるクチか?」


「ワインであればたまに飲んでいますけれど」


「だったら問題ないな! シャルちゃん生一丁っ!!」


「あ、はーいっ!」


 反射的に答えて、シャルリアは頭を抱えそうになった。


(ちょっ、待って、適当に食事だけしてさっさと帰ってもらうつもりだったのに! 料理はともかくやっすいビールとか公爵令嬢の口に合うわけないじゃん!!)


 とはいえ今更断るわけにもいかない。

 こんなの飲めるかと公爵令嬢が暴れたら、若い女にテンションが上がってビールなぞ勧めやがった常連のおっさんを生贄にしてやるとそう思っていたのだが──


「ビール、初めて飲みましたけれど、さっぱりしていて、それでいてほろ苦いのもいいですわね。甘辛いもつ煮込みともよく合いますわ」


「だろう!? やっぱりもつ煮込みとくりゃあビール飲まなきゃもったいないってもんよ!!」


「何を食ったって結局ビール飲むくせに何言ってやがるんだか」


「っつーかもうおめえの身体の中は血じゃなくてビールが巡ってるんじゃないか!?」


「ははっ! それならそれで本望ってもんよ!!」


「あ、店員さん。ビールおかわりお願いできますか?」


「おおっ、嬢ちゃんいい飲みっぷりじゃないか!」


「こりゃあ将来が楽しみだな!」


「へっ、俺らも負けてられねえな! シャルちゃんこっちにも生追加で!!」


 何やら気がつけばアンジェリカに店中の客が集まってきていた。おっさんや冒険者からの飲み屋特有の荒々しい絡みにも彼女は嫌な顔せずに対応している。そんな彼女からは学園での令息令嬢に対する完璧だが近寄りがたい様子もシャルリアにだけは嫌味たっぷりな様子も見えてこない。


 もしかしたらこれがアンジェリカの素の姿なのだろうかと、そんなことを考えていたら机の上が空のジョッキで埋まっていた。


(あれ? 気がついたら十杯以上飲んでない!? ウチのジョッキ大きめだし、流石にそんなに飲んだらやばい気が……っ!!)


「ひっく」


 真っ赤であった。

 完全に酔っ払いができあがっていた。


 たまにワインを飲んでいるらしいが、そのワインがどれくらいのアルコール度数のものかはわからないし、普段どれだけの量を飲んでいるかもわからない。


 少なくとも顔が真っ赤な様子を見るにここまで浴びるように飲んでも平気というわけでもなさそうだった。


 ……というか、公爵令嬢をこんなにも酔わせて大丈夫なのだろうか?


「あっははははっ! 何だか気分がいいですわっ! 店員さーん、えへへっ、店員さあーん!!」


(いや本当これ大丈夫なの!?)

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