第十六話 セーフリムニルのチャーシュー その三
「嫌がる店員さんに言い寄るなど万死に値しますわ!! それ、どこのどいつですか!? わたくしが爆砕してやりますわよ!?」
シャルリアが悩みを吐き出してすぐに机に頭をぶつけて酔い潰れたようにふにゃふにゃになっていたかと思えば、いきなり再起動したアンジェリカは勢いよくそうまくしたてていた。
「いや、そんな大袈裟に騒ぐようなことじゃないって! あくまで、こう、やんわりと対処できればなぁーって感じだからっ」
「遠慮せずともいつでも爆砕可能ですわよ!? ええ、ええっ、いつでもどこでも何度だって爆砕して差し上げますから!!」
「とりあえず爆砕から離れて、お願いだから」
ヴァーミリオン公爵令嬢が望めばそれこそそこらの男であれば文字通り爆砕も可能だろう。相手が第一王子ともなるとそれも難しいだろうが、代わりに内乱レベルの大騒動に発展しかねない。
流石に単なる店員のために婚約者でもある第一王子を敵に回すようなことはしないだろうが。
「店員さんがそこまで言うならひとまず爆砕は置いておきましょうか。それより店員さんを悩ませる男とはどんな方なのですか!?」
「あ、ああー……」
(やばい。何やっているの私!?)
ついうっかり口を滑らせてしまったが、それにしても自殺行為にもほどがある。ただの店員の少女だと思われている彼女が学園でのアレソレを話せば店員の少女がシャルリアだと気づかれる可能性も高くなるというのに。
悩みを吐露するにしてもアンジェリカほど危険な相手もいないとわかってはいたが、それでも……。
(本当、何であんなこと言ったのかな)
悩んでいたのは確かだ、それこそ自分一人では抱えきれないほどに。
だから『誰か』に吐き出したかったのだ。その『誰か』によりにもよってアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢を選ぶというのは何を考えているのだという話ではあるが。
多大なリスクを承知で、それでも結果としてこうして相談してしまっている。
その理由を明確に表すことはできなくとも。
「え、ええっと、あの人は──」
とにかく相談してしまったものは仕方ないと、言い寄ってくる相手が第一王子と結び付けられないように詳細は隠しながらもこれまでのことを話すシャルリア。
どうにか話し終えると、アンジェリカはこう言った。
「なんっっって自分勝手な男ですの!? そんな男、さっさと爆砕するべきですわよ!!」
「だから爆砕から離れて、ね?」
その自分勝手な男はアンジェリカの婚約者なのだが。
そうだ。彼女はあんな男と婚約している。一生を共に過ごすことが確定している。そう思い至ると、どうにも胸の奥がもやもやしてきた。
現状も忘れて、とにかくもやもやして仕方なかった。
「あら。店員さんだって快く思ってはいないようですわね」
「え……?」
「表情にお怒りがありありと出ていますわよ」
言われて、シャルリアは不思議そうに自分の顔を触っていた。怒り。少なくともどうして自分のような平民に絡んでくるのだと不満はあったが、怒りとまではいってなかったと思っていたが──
(あれ? さっき考えていたのは『私に絡んでいる第一王子』じゃなくて……あれ、あれれ???)
やはり明確に言葉にはできなくて。
それでいて『何か』はシャルリアの胸の奥に確かに存在するのだと、それだけは確信できた。
「とにかく、思っていること全て素直に言ってみればよろしいのではなくて? それによってもしも相手が逆上してつまらない真似をしようものならわたくしが爆砕してあげますから」
「爆砕はともかく……うん、そうだね」
このまま手をこまねいていても状況が悪化することはあっても好転することはないだろう。それなら一言くらいはシャルリアの本音をぶつけて、向こうの出方を見ても損はないはずだ。
……それで相手が逆上したら目も当てられないが、それ以上にアンジェリカに変な勘違いをされて嫌われたくなかったから。
そんなことになる前に決着を。
そうでなくても現状の婚約者がいる男性にあるまじき態度を改めてもらえれば、最悪の事態だけは阻止できるだろう。
「私、素直に自分の気持ちを言ってみるよ」
「ええ。付き纏ってきて鬱陶しいのだと、言ってやるのですわ!!」
「う、鬱陶しいとまでは言わないけど、まあ、うん。どうにか穏便に済ませてみるよ」
ーーー☆ーーー
珍しく酔って潰れることなく店を出たアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は馬車に乗り込み、そして誰もいないはずの虚空に投げかけるように言葉を紡ぐ。
「メイド。しばらくはわたくしの護衛よりも店員さんの身の安全を優先してください。『身分の高い男性』とやらが舐めた真似をしたら即座に対応できるようにですね」
『いいんですか? その間、お嬢様をお守りできませんけど』
どこからともかくメイドの言葉が返ってくるが、その姿は見えなかった。音声伝達魔法。指定した相手だけに遠くからでも声を届けるメイドの魔法である。
「代わりに公爵家所有の護衛でも用意しますので問題ありません。『身につけるもの』はこだわるべきですけれど、店員さんの身の安全が最優先ですもの」
『お嬢様がそう仰るならば。……まあ、護衛対象の行動範囲を考えれば最悪私だけでもどうとでもできますし』
何せ昼は同じ学園に通っているし、夜は大体同じ店にいるんですしね、という言葉をメイドが飲み込んだことには気づかないアンジェリカ。メイドは最初から店員さんの正体について調べはついていたのだが、適当に嘘をついてそれを隠すことができる人間であるのだから。
世間一般的なわかりやすい忠誠心とは無縁で、だけどそれ以上に暴力担当としては信頼できる。それがメイドという手札の価値であった。