第十四話 セーフリムニルのチャーシュー その一
セーフリムニル。
巨大な猪のような体躯、そして魔法さえも使いこなすAランク魔獣である。魔法によって強化された突進は小さな町なら簡単に吹き飛ばすほどに強力であり、討伐には優れた戦士をいくら動員しても足りないとまで言われている。
とはいえ、それほどまでに強力なはずのセーフリムニルをガタイのいい隻眼の中年男性ガルドはたった一人で仕留めて、(流石に大き過ぎたのか丸ごとではなく切り分けた一部ではあるが)荷馬車が悲鳴をあげるほどに大きな肉を持ち帰っているのだが。
「今日のは一段と大きいね」
「まあ、セーフリムニルはデカいからなあ」
「そうなんだ」
「……?」
大量の怪鳥を持ち込んだ時のように元気いっぱいな反応が返ってこずに首を傾げるガルド。久しぶりにハイなシャルリアが見たくなったから長丁場になってきた『依頼』を放置して、わざわざ何日もかけて遠出してでも下処理が大変な大きな肉を持ってきたのだが……、
「どうかしたか?」
「えっ。あ、いや、別にどうもしないけど!?」
どう見ても何かありそうというか丸見えではあったが、ここで問いただしても口を割りそうにもなかった。
彼女は変なところで頑固になる時があるのだから。
(この感じだと全部まとめて下処理して酔うこともなさそうだなあ。普通にほどほどのところで手が止まりそうだし)
せっかくの苦労が水の泡だと思いながら首を鳴らす。
今は昔と違ってシャルリアの周りは自分も含めてむさ苦しい野郎ばかりでもない。こういう時の『適任』はやはり同年代の女の子のほうがいいだろう。
……というか、年頃の女の子らしい悩みを打ち明けられても基本野蛮で血生臭いことしか知らない冒険者に解決できるとも思えないのだから。
ーーー☆ーーー
店員さんの様子がおかしい、と『アン』として店に入り浸っているアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢はビールを呑むことも忘れて店員さんを目で追いかけていた。
普段は後ろで一本にまとめた茶髪を靡かせながら元気いっぱいに駆け回る彼女がふと気がつけばぼーっとしていることが多いのだ。
どことなく虚空に目をやり、心ここに在らずといった様子。そう、それこそ恋する乙女のような──
(あ、あり得ませんわ。店員さんが、そんな、あり得ませんわよ!!)
ただでさえシャルリアに近づくあの野郎のことで頭に血がのぼっているからそんな風に考えてしまうのか。とはいえ、もしも店員さんにも男の影がとなると色々と耐えられそうになかった。
なぜだかメイドの『ねえ、お嬢様。結局シャルリアとあの店員、どっちが本命なんですか?』とか『あ、両手に花で平等に貪り食うつもりとか? これだから貴族ってヤツは欲張りなんですから』といった発言が脳裏を掠めたが、あくまで心配しているのであって別にそういうアレソレではない。ないったらないのである。
(と、とにかく今は店員さんですわ。本当ならシャルリアちゃんに近づく『あの野郎』のことで相談に乗って欲しかったのですけれど、あんな表情をされてはそんな場合ではないですわ!!)
「てっ店員さんっ!!」
「……、ん?」
いつもより鈍いその反応に、普段の笑顔に比べたら影のあるその表情に、どこか虚なその瞳に、とにかく全部が全部ここにはいない『誰か』を想って心ここに在らずなように見えてくる。
正直、想像するだけで心が折れかかっていたが、踏み込まなければ何も始まらない。意を決してアンジェリカはこう問いかけた。
「なっ何か悩んでいることがあるんですか!? わっ、わわっ、わたくしでよければ相談に乗りますわよ!?」
詰まりに詰まったその声も、不満を隠すこともできないその顔も、荒れ狂ってコントロールできないその感情も、ヴァーミリオン公爵令嬢であればあり得ないことだった。
我ながら随分と酷い有様だという自覚はある。だけど仕方ないではないか。どうでもいい、損得勘定だけ考えて接している誰かならまだしも、いつのまにか『友人』だと思えるほどに大事になっていた店員さんの一大事である。いつものように冷静に対応することなんてできなかった。
だから。
だから。
だから。
「ねえアンさん。顔が良くて、お金持ちで、身分が高い男の人に言い寄られたらどうしたらいいと思う?」
致命的だった。
アウトもアウト、これ以上ない答えだった。
思わず机に突っ伏してそのまま力尽きそうになったが、気力を振り絞って醜態を晒すことだけは耐える。……これまでお酒で散々醜態を晒していることは今は置いておくとして。
「わ、わたくしは」
震える声で。
色々全部胸の奥で暴れる感情を押さえつけて、『友人』のために口を開く。
「店員さんがその男の人を好きだというなら、悩むまでもないと思いますわ。もしもその人と結ばれるにあたって何か障害があるのならば、わたくしが全身全霊をかけてぶっ壊して差し上げます。ゆ、友人のためですもの、いくらでも頼ってくださいな」
今くらいはよく言ったと自分で自分を褒めてもいいだろう。何だか視界が歪んでいる気がしないでもないが、こんなのは気のせい──
「あ、いや、好きでもない人に言い寄られていて、どう対処したらいいのかなって話なんだけど」
「……………………、」
もう駄目だった。
気がつけば感情の落差に耐えきれずに頭から机に突っ伏していた。
ぶつけた額が痛いからか、それ以上の『何か』があるのか、涙が溢れてきた理由を具体的に言葉にすることはできなかった。
少なくとも。
今、アンジェリカは、心の底から安堵しているということだけは断言できた。