第十三話 かき氷(飲んだくれ仕様)
アンジェリカが小さな飲み屋にやってきて数ヶ月が経ったその日は汗が噴き出すほどに暑かった。
長期休暇も近い夏のある日。
飲み屋の無骨なメニュー表に浮きまくっている可愛らしい文字が追加されていた。
かき氷、はじめました。
「店員さん、かき氷とは何ですか?」
「あ、ああー……。かき氷『は』平民の夏の風物詩というか何というか、とにかく色のついた甘いシロップを砕いた氷にかけただけの食べ物だよ。近くの店の人から古いかき氷器もらって、どうせならこれでひと稼ぎできないかなってメニューに付け加えた……んだけどさ」
「……?」
珍しく歯切れが悪かった。
そんな会話があった少し後、店員の少女に常連のおっさんがかき氷を注文していた。なぜかシロップはかけないよう頼んで。
「またそうやって……。本当どうしようもないんだから。何でもアルコールに直結させてさ」
「そう言うなって。これがまた冷たくて最高なんだしな!!」
そう言って常連のおっさんはかき氷にビールをぶっかけていた。シロップの代わりにビール。キンキンに冷えたビールをさらに冷やしながら、古いかき氷器では荒くしか削れていない氷を噛み締めることでジャリジャリとした食感も楽しめるようだ。
氷を噛み砕く音とビールが喉を鳴らす音を聞いていたアンジェリカは反射的に店員に声をかけていた。
「かき氷一つ、シロップは抜きでお願いします」
その時のちょっぴり冷たい店員の視線にアンジェリカは思わず背筋を震わせていた。だけどそれはネガティブなものではなくて、と思ってそれ以上考えないようぶんぶんと首を横に振る。
この辺りを深く追求すると戻ってこれなくなりそうだった。……少なくとも酒飲みとしては後戻りができなくなりそうなところまで踏み込んでいる気がしないでもないが。
ーーー☆ーーー
「んっんっ……はぁーっ! やっぱりお酒は冷えていないとですねっ」
せっかくのかき氷なら色んな味を楽しまないとな、と言ったのはどの常連の馬鹿だったか。一応ビール以外にも安物ながら焼酎やらウイスキーもある程度揃っているとあって『味変』には事欠かなかった。
かき氷に次から次へと新たな酒をぶっ込んでいるので混ざりに混ざってとんでもない状態になっているのだが、酔っ払いどもにそこまで考える頭が残っているわけがない。何なら味がどうのと言っているが、まともに味を感じているかもわかったものじゃなかった。
「おっ、かき氷にゃあトッピングもあるんだな。レモンとか味が引き締まりそうじゃないか!?」
「なら、僕はイチゴにしてみるっすか」
「わたくしはチョコレートにしますわ」
「チョコレート、だと……っ!?」
「酒にそんな甘ったるいもんをぶっこむとか嬢ちゃん攻めるな!?」
そんなこんなで(実はトッピングとか率先して用意してかき氷に力を入れていた)シャルリアの目の前でアンジェリカ含む飲んだくれどもはアルコールで全部塗り潰してどんちゃん騒ぎであった。
「頭がぐるぐるしますわー……。あ、えへへっ店員さあん!」
「この飲んだくれが」
「ひうっ!?」
……その冷たい声と見下すような眼差しに開けてはいけない扉がほとんど開いてしまったのは一生の秘密である。
ーーー☆ーーー
「──魔法の『暴発』は慣れてきた時にこそ起きやすいです。何せ最初の頃は完全に失敗してそもそも魔法という形になることもなく魔力が霧散して終わりですけれど、何度か成功させて慣れてきた時にこそ中途半端な形の魔法が『暴発』するのですから。また、その『暴発』において最も危険なのが魔法の性質さえも不明瞭な状態での『暴発』です。治癒や遠視といった破壊力のない魔法であっても、そもそもその性質自体が出力できていない状態で『暴発』すれば、込められた魔力量に応じて術者さえも巻き込んで周囲一帯に破壊を撒き散らします。……光系統魔法は必要な魔力も多いと聞きます。『暴発』には気をつけることですね」
アンジェリカが最後にぼそっと言ってから今日のお昼の『勉強会』は終了した。声音は鋭利な刃物のようだったが、嫌味もなくそう言えたのは大きな進歩だろう。
足早に去っていったアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢を見送って、そういえば今日の内容は前にガルドさんから聞いたことがあったなどと思いながらシャルリアは図書館を出た。
しかし学園ではシャルリアに対してあんなにも冷徹な空気を醸し出している公爵令嬢と最近の色々と染まりきってふにゃふにゃな飲んだくれが同じ人物とは思えなかった。
あんな姿を知っているのは(どうせ酔ってろくに覚えていない常連の馬鹿どもは除くとして)自分だけだと思うと悪い気はしないが。
と、外に出た彼女は何やら人だかりを発見した。
その中心にいるのは第一王子だった。
「学園に来ていたんだ。珍しい」
すっかり忘れていたが、アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は第一王子の婚約者である。そして、学園にはその第一王子も通っている。王族として忙しいのか登校することはほとんどないのだが。
ということを学園でのお昼休み、高位の貴族の令息令嬢で出来上がった人だかりを発見してシャルリア(目立たないよう背中を丸めた魔女っ子スタイル夏の薄着バージョン)は思い出していた。
そこで人だかりをかき分けて真っ直ぐにシャルリアめがけて銀髪赤目の美男子──すなわち第一王子ブレアグス=ザクルメリアがやってきたのだ。
「光栄に思え。俺様が貴様に一目惚れしてやる」
「……、はい???」
これが全ての始まりだった。
あるいはもうとっくに始まっていたのかもしれないが。