第十二話 思い出のだし巻き卵 その後
正座であった。
帰宅して早々アンジェリカは視線だけで魔物を焼き殺せそうなほどに正座させたメイドを睨みつけていた。
「何か弁明はございますか?」
「あっはっはっ。……あれ? マジで怒っている感じです???」
「当たり前ですわ!!」
黒髪黒目のメイドは主人からの叱責に肩をすくめるが、その口元は僅かに緩んでいた。
公爵令嬢御付きのメイドにしては珍しい平民、それも真っ白な光に救われて色々と吹っ切れた後のアンジェリカに拾われるまではメイドとしての教育すらろくに受けていなかったからか、世間一般のメイドのように恭しさとは無縁だった。
「でも、私のおかげでお気に入りの店員と楽しくやれたでしょう?」
「そ、それは……否定しませんけれど」
「だったら褒められこそすれ、怒られることなくないです?」
「それとこれはまた別ですわよ!! わたくしの唯一信頼できる護衛が勝手にいなくなるなど──」
「いや、ずっとそばにいましたよ。それが私の仕事ですし、何より拾ってもらったご恩はしっかりお返ししないとですしね☆」
…………。
…………。
…………。
つまりアンジェリカが店員の少女に迷惑をかけたと申し訳なさそうにしているのも全てどこかで見ていて、それでもわざと出てこなかったということだ。
「こ、この馬鹿メイド……ッッッ!!!!」
「あっはっはっ! そんな馬鹿も切り捨てられないくらい手駒が少ないとはお嬢様も可哀想ですねっ。……いや本当悲惨すぎないです? 自分にも他人にも厳しいにしても信頼できる護衛が一人だけってのはちょっとなくないです???」
「うっうるさいですわよっ!!」
異形に変貌した時、アンジェリカはもう二度と後悔しないと決めた。今度似たような不条理に見舞われた時は必ずや跳ね返すと誓った。そのために権力や財力など様々な『力』を求めた。それこそ公爵令嬢や第一王子の婚約者という立場を最大限利用してでも多くの人間と繋がりをもった。
そんな中、彼女が手に入れた『力』の一つが黒髪黒目のメイドだった。
もちろん平民のメイドに期待しているのは権力や財力ではない。暴力担当。公爵家が所有する護衛よりも強力な手札が彼女なのだ。
……少々、いいやかなり性格に難ありなのが困りものだが、それもまた悪い気はしないのはアンジェリカに本音で話すことのできる相手がメイド以外にいないからか。
「ねえ、お嬢様。結局シャルリアとあの店員、どっちが本命なんですか?」
「なっななっ、何を言っているのですか!?」
「あ、両手に花で平等に貪り食うつもりとか? これだから貴族ってヤツは欲張りなんですから」
「本当何を言っているのですかあーっ!?」
思わず叫ぶアンジェリカだが、つい邪な想像をしそうになって真っ赤な顔を横に大きく振るのだった。
ーーー☆ーーー
シャルリアの父親は王都近くのかつて森があった跡地に足を運んでいた。
「…………、」
もちろん彼は知らないが、かつて幼いアンジェリカが秘密裏に王都から追い出された時に通った森がここには確かに存在していた。小規模ながらも森があったというのに、今はもう草の根一つ生えていない。生命の息吹がここだけ刈り取られたように。
茶色の髪を短く刈り込んだ彼は一つ息を吐く。
「よお、騎士崩れの料理人。こんなところにいたのか」
そう声をかけてきたのは左目を眼帯で覆ったガタイのいい中年男性ガルドだった。
いつも魔物の肉をシャルリア経由で差し入れてくれる冒険者。そして、それ以上に父親が騎士だった頃からの腐れ縁。それこそ昔は共闘したこともあれば敵対したこともある。
結局、父親は度重なる激突の末にガルドに傷跡も残せなかったが。
片目を奪うほど大きな傷跡を残したのは──
「ガルドか」
「ガルドか、じゃないんだよ。こんなところで遊んでいる暇があるならシャルちゃんと過ごしてやれよ。不満を口にしないだけで絶対寂しがっているぞ」
「そんなことはわかっている。だからこそ昨日は一日一緒にいたしな」
「一日だけだろ? そんなんじゃお前の妻も天国でどう思っていることやら。あの女は禁域指定だろうが何だろうがマウントポジションでしこたまぶん殴るくらい無茶苦茶だったし、化けて出てきてフルボッココースも十分あり得そうだぜ?」
「……、ふん」
その時だけはいつもの仏頂面ではなく、それでいて長い付き合いであるガルドでもどう思っているのか判断がつかない表情を浮かべていた。
「で、愛しい娘を放ってまで何を調べているんだ? とりあえず王女とその周辺のアレソレでよければいくらか教えてやれるが」
「それ、もしかしなくとも今の依頼主だろう? そんな簡単に口を滑らせていいのか?」
「依頼だろうが何だろうが私情を挟むのが俺だからな。最終的に依頼が達せられればそれでいいだろ? つーか俺は冒険者だっつってんのに未知の領域の踏破とかじゃなくてクソ面倒な依頼を投げつけやがる奴が悪いんだよ。守秘義務? 冒険者にそんなもんあると思うなっての」
「相変わらずなようで何よりだ」
呟き、そして。
父親は変わらぬ声音でこう言った。
「娘に手を出すなら容赦はしない」
「それは依頼内容と報酬次第だな」
あくまでいつも通り、何気なく。
それでいて冗談でも何でもなく。
「まあ、俺としてもあんなにちっさな頃から知っているシャルちゃんには元気に過ごしてほしいからな。アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢……はどちらかと言えば巻き込まれた側か。とにかく何やら色々と不穏なのが動き出しそうな気がしないでもないが、これでも平穏無事に済ませようとしているつもりなんだって」
「お前はここで何を思った?」
その問いにガルドは答えなかった。
ただただ静かに笑っていた。
ーーー☆ーーー
世界のどこかで『彼』はこう言った。
「断罪するのは誰か、されるのは誰か。『計画』にうまく組み込むことができれば一番だが、そうでなくとも……」
方針を定めた『彼』は口の端を引き裂くように歪める。
「何年もかけてきた『計画』だからこそ、なあ?」
湧き上がる感情に耐えきれずに『彼』は背筋を震わせて笑い声を上げるのだった。