間話 ある令嬢について その一
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は後悔していた。
『白百合の勇者』を生き返らせ、なんだかんだで魔王を倒すことができた。それによって『みんな』が殺されてこの世界が滅びる最悪の末路は回避できた。
だから?
そのためにシャルリアに『魂魄燃焼』を使わせてしまった時点で完璧に守れたとは言えないではないか。
そうするしかなかったのはわかっている。
どう考えても今生き残っている生命体だけで魔王を殺すのは不可能なのは数多もの繰り返しで証明されている。魔王撃滅可能な『白百合の勇者』を盤面に引っ張り出すにはシャルリアに『魂魄燃焼』を使ってもらうしかなかった。
だけど、それでも、そのせいでシャルリアの寿命は削られた。それどころかラピスリリアとかいう『娘』を生かすために、そして最後の最後に確実に勝つために追加で『魂魄燃焼』を使っている。
莫大な魔力を用意しておいたのでまだ猶予はあるかもしれない。だけど確実に、絶対に、シャルリアの寿命は削られている。
これを守り抜けたと言えるほどアンジェリカはお気楽な性格はしていない。シャルリアに気を遣わせないために態度にこそ出していなかったが、それでも、魔王を殺してすぐに倒れたシャルリアを抱き止めた時には思わず自分の情けなさに叫びそうになっていた。
ここまで無理をさせてしまった。
他ならぬアンジェリカに魔王を殺せる力がなかったから。
『で、あたしを殺してハッピーエンドにでもするつもり?』
数日前、魔王を倒した直後に『白百合の勇者』とガルドとかいう男の会話があった。
『その口ぶり、ある程度の事情は理解しているわけだな?』
『この世界……第七は死者がいつまでも存在するようにはできていない。もしもこの世界由来の生物が一度死んで生き返ったならば理が狂って内側から破裂してこの世界は消滅するという感じよね』
『そこまでわかっているなら今すぐ死ね。死んだ人間が生きているのがエラーの原因ならもう一度死ねば何の問題もなくなる。それがこの世界、というかシャルちゃんを含む全人類を生かす唯一の方法だ』
『本当に?』
アンジェリカは周回遅れも甚だしかった。
知らなかったでは済まされない前提。
真なる実力者は魔王を殺す『まで』しか見据えていなかった彼女よりももっと多くのことを見通した上で立ち回っていたのだ。
正直信じられない内容ではあったが、発言者は魔王さえも殺した女だ。精度は高いと考えていい。
そう、遅れに遅れているアンジェリカが信じられなくても、それは確かな真実として世界に横たわっているのだろう。
ならばそれを受け入れないことには話についていくこともできない。
『確かに全人類を救うのは不可能かもだけど、少数ならどうとでもできる。世界が崩壊するということは普段は強固に区切られている世界の壁のようなものも崩れるってことよ。つまり世界崩壊のどさくさに別の世界に乗り込むことも不可能じゃないわよね』
『この世界の壁はともかく、乗り込む世界の壁はどうするつもりだ?』
『世界の壁だって一枚くらいなら力技でどうにかできるわよ──シャルリアとあの人と、まあ、二人と仲のいい何人か連れて世界を脱出してしまえばあたし「は」何も困らない。あくまであたしという存在が悪影響を及ぼすのはこの世界に関してだけのようだしね?』
もったいぶって大仰に言うのではない。こんなのは当たり前だと、特に気負うことなく全人類のほとんどを見殺しにできる精神性。
おそらくはガルドとかいう男が危惧していた事態。
過剰に美化された英雄譚の中の話ではない。『白百合の勇者』という女と実際に共に過ごしてきたからこそ、彼女に救いを求める危険性もまた理解していたのだ。
利害が一致すれば強大な救いになるかもしれない。
だけどほんの少しでもズレてしまえば、彼女はわざわざ下に合わせることはしない。当たり前のように素通りしていくのが彼女なのだ。
力があろうがそれを見ず知らずの他者のために使うとは限らない。そんな勇者のような慈愛を持ち合わせてはいない。募金だのボランティアだの、そういうことをほんの気まぐれならまだしも自身の生活を切り詰めてまでやるような者は少ない。それが命を左右する話であればなおさらだ。
普通の人間はわざわざ他者のために命懸けで尽くすようなことはない。綺麗事を抜きにすればそれが普通だろう。
……絶大な力があって、それでも罪悪感の一つもなく『普通』に自分勝手に生きてきた『白百合の勇者』はそれはそれで突き抜けた精神性の持ち主なのだとしても。
『どれだけの生物が死ぬと思っている?』
『さあ? 顔も知らない他人のことなんて知らないわよ。魔族なのに随分と他人に甘くなったガルドにはわからないかもだけど、普通の人間ってそういうものよ』
『それが勇者の発言なのか?』
『そもそも勇者とかこっぱずかしいもん名乗った覚えはないわね』
『……俺が、この状況に備えて小細工を仕込んでいないとでも思っているのか?』
『へえ。あたしはこれまで小細工だろうが正々堂々だろうが片っ端から粉砕して好き勝手やってきた。そんなあたしの生き方を変えられるとでも?』
『このままじゃ近いうちにシャルちゃんは死ぬぞ』
そんな彼女が、しかしその一言に反応した。
それまで何を言われても平然と受け流していたというのにだ。
『「魂魄燃焼」の後遺症は根深い。覇権大戦においていかに「白百合の勇者」でも「第七位相聖女」の治癒能力がなければくたばっていたくらいだしな』
『それが? 「相談役」ジークルーネの治癒能力でシャルリアを救うって? そこまで高性能ならもっと違った立ち回り方もあったと思うし、あたしの目には不可能に見えるけど、まあ仮に可能だとしても今のそいつはもう魔力の大半を失っているじゃん。現世に降臨した「相談役」に魔力を回復する手段はない。だったら──』
『ワルキューレ。その性質がどういうものか、知っているか?』
『戦死者の魂のうち、優れたものを第零に運ぶ超常存在。エインヘリヤルだかなんだか知らないけど、神々が使役する『死者の軍勢』構築のための使いっ走りよね。冥なる理が一掃されて自由な行き来が禁じられたせいで今ではそのものが降臨するんじゃなくて死んで魂がむき出しになった選ばれし英雄を天に引っ張っているようだけど、そいつは例外のようね。わざわざこの世界の理に合わせて魂をダウンサイジングしてまで降臨するとか物好きなことで』
『そこまで知っているなら話は早い。ワルキューレとは勇猛な選ばれた魂を神々の世界である第零に送り届ける性質を持つ存在だ。つまり魂に干渉できる。なら誰かの魂を別の誰かに送り込むことも可能なはずだ。まあ輸血なんかと同じく他者の魂をそのまま埋め込んだら悪影響が出るだろうが』
『……まさか』
『ザクルメリア王国の王家が秘匿している魔法道具には魔力を誰でも扱えるよう「調整」できるもんがある。組み合わせれば欠けた魂を何の問題もなく誰かの魂で穴埋めすることで寿命を取り戻すことも可能ってわけだ。治癒だの何だのまだるっこしいことせずに直接魂に欠けたもんを補充すればどうとでもなるとか天の上の超常存在らしい解決法だとは思わないか?』
『それがガルドの小細工ってわけね』
『ああ。娘を生かすためにお前の魂を差し出せ』
だから。
だから。
だから。
『やっぱりつついてみるものね。ガルドならもしかしたらと思ったけど、本当小細工だけは世界一なんだから。あ、とりあえずシャルリアを救えるならあたしの魂くらい差し出すわよ』
そう即答した彼女を、アンジェリカは思わず見つめていた。
『ん? なんて顔しているのよ。そんなに意外?』
『正直に言うと悩み抜いて最後にはそう決めるかもしれないという賭けだった。分が悪い賭けだとわかっていたが他に方法がなかったからな。っつーかなに即答してんだよ。「白百合の勇者」なら平気な顔で自分の命を優先していたはずだろうが』
『かもね。だけど今のあたしはシャルリアの母親だもの』
『……チッ。本当に変わったんだな』
『まあね。っていうか、こんなの心を読めば一発でわかることじゃない?』
『一瞬で心変わりするお前の心を読んだってアテになった試しがなかったっての』
『そうだっけ?』
『そうだったんだよ、クソッタレ』
本当は。
ここまでできて初めて守り抜けたと言い切れていたはずなのに。
守り抜くと誓っておいてアンジェリカにはここまでできなかった。
『そうそう。シャルリアを生かすためにあたしを殺すのは全然いいんだけど、あたしの魂を使ってシャルリアの魂の埋め合わせをしてもいくらかあたしの魂には余裕が出てくるわよね? それを残してあたしが寿命を迎えるまでにこの世界は滅びるわけ?』
『ジークルーネ』
『世界崩壊はもうとっくに始まっている。世界を区切る壁には亀裂が入っているなれば。完全に世界が崩壊するまで残り数日。それまでに「白百合の勇者」が死ぬよう魂を簒奪・調整はできるなれば』
『だと思った。なぁーんか風通しいいしね。だったらいい感じに調整してよ。あ、もしもシャルリアを救った上であたしの魂が余りそうならナタリーにでもあげてね。数日で死ぬために削るだけ削って余ったの捨てるとかもったいないし。とまあ、そんな感じでよろしく』
そこで『白百合の勇者』、いいやシャルリアの母親はアンジェリカに視線を向けたのだ。
『そんな顔しない。これは単なる役割分担よ。できる奴がする。それだけの話なんだから気にしない気にしない』
『です、けれど……わたくしは、わたくしが……っ!!』
『笑顔で迎えてあげてよ』
『え……?』
『あたしたちの大好きでたまらない娘が目覚めた時、お嬢さんが笑顔で迎えてくれたらシャルリアは絶対に喜ぶ。それくらいはあたしにだってわかるからね。それだけでも十分救いになる。ううん、それがないとハッピーエンドとは呼べないのよ』
『それは、だけど』
『それにあたしだって生きるのを諦めたつもりはないからね。小言がうるさいガルドに配慮して死んであげるわけだけど、そこから先はあたしの好きにしたって文句をつけられるいわれはないんだし』
そこからシャルリアの母親は生まれ変わりだのなんだの、にわかには信じられない『解決方法』を語った。もう何が何だかわからなかったが、周回遅れのアンジェリカよりも遥か先を突き進んでいるシャルリアの母親がそう言うなら不可能ではないのだろう。
そう信じるしかない。
『それより、うん。シャルリアはいい友達をもったみたいね。シャルリアを救うために必要なら自分の魂だろうが差し出すだろうし?』
『そんなの当たり前ですわよ』
『あっはっはっ! いい返事だけど、だからこそ死なれたらシャルリアが悲しむから絶対にやめてよね。自己犠牲でもたらされる救いを無邪気に喜べるような娘じゃないし』
『ならば……帰ってきてください。シャルリアさんのためにも、絶対に!!』
それがどれだけ難しいことか、アンジェリカには予想すらできない。そもそも可能かどうかもわからない周回遅れなのだから。
だから。
だけど。
その難度をアンジェリカよりも理解しているはずのシャルリアの母親は、それでもこう即答したのだ。
『ええ、約束するわ』
ーーー☆ーーー
それからアンジェリカはシャルリアの様子を伺っていた。いつ目覚めてもいいように小さな飲み屋の外で様子を伺っていたのだ。……流石に四六時中張り付いて疲労をためさせるような真似はさせられないというメイドからの苦言もあり、シャルリアが目覚めたのをメイドが確認したら連絡する形にはなったが。つまり護衛のように四六時中張りついて見守るのはメイドが代わると言って聞かなかったというわけだ。
だから、目覚めてすぐにシャルリアが駆け出した時、アンジェリカが乗る馬車が目の前に現れたのだ。まさしくメイドから連絡を受けたアンジェリカがシャルリアに会いにいこうとしていたために。
『シャルリアさん、どこか痛かったりしませんか?』
『う、うん。大丈夫だよ』
『本当ですか? 無理していませんか?』
『だ、大丈夫だって! 平民は身体が頑丈なのが取り柄なんだよっ!!』
シャルリアは知らないだろう。
こうして話ができている奇跡が誰の犠牲によってもたらされたのか。
『あの、私っ、アンジェリカ様に伝えたいことがあって!』
そして。
ドッシャアッッッ!!!! と。
アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢とシャルリアの間に割り込むように『彼女』は降ってきた。
『いってて。着地ミスったあ』
黒髪。
漆黒のローブにとんがり帽子。
そして何よりズレたとんがり帽子からのぞく前髪をとめる純白の百合を模した髪飾り。
『あ、シャルリア! 元気そうで何よりよ』
シャルリアをそのまま大きくしたような『彼女』──すなわちシャルリアの母親が帰ってきたのだ。
……犠牲を、犠牲のまま終わらせない完全無欠のハッピーエンド。ここまでできるからこそ彼女は勇者と呼ばれたのだろう。
『お』
『ん? 感動の再会再び的な??? いぇい、お母さんだよー☆』
『お母さんのばかぁっ!! 少しは空気読んで!!』
『ええっ!?』
そんな彼女とシャルリアとが普通の親子として言い合いをしている。そこで、ようやく、アンジェリカは肩の力を抜いていた。
アンジェリカだけではここまで完璧な結末にもっていくことはできなかった。それでも結果として誰一人欠けることなく終わらせられたならばその幸せを享受すればいいだけだ。
シャルリアが心の底から笑えているのならば、アンジェリカとしても何の文句もない。
そうして全ての懸念がなくなったからこそ、アンジェリカは純白の百合の髪飾りに視線を向けることができた。
シャルリア。
そして『店員さん』の共通項に。