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第十一話 思い出のだし巻き卵 その三

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、それがだし巻き卵である。


 昆布だしをベースに醤油や砂糖、何より昨日店で使った魔物の肉(できれば骨付き)を煮込んだ汁の余りなどを混ぜただし汁を使うのでその日その日で味は変わる。


 そのことを踏まえても、どうにも母親のだし巻き卵と比べて自分が作るだし巻き卵は味が劣ると感じられた。


 単にシャルリアの料理の腕がその程度だという話なのか、思い出が美化されているのか、それとも……、


「ほいっと」


 最後の一巻きを終えただし巻き卵を皿に移すシャルリア。唯一母親に教えてもらった料理。数少ない思い出の一つであり、最近は朝によく作っているので手慣れたものだった。


 父親は朝食はとらないし、そうでなくても忙しく時間が合わないので母親以外の誰にも食べさせたことはない。母親には劣るにしても極端に不味いわけではないだろうが、どうにも自信はなかった。


(というかお父さんの店で出している料理と違ってだし巻き卵ってそんなに味が濃くないじゃん! それこそ貴族の料理に近いだろうし、比べられたらひとたまりもないって!!)


 貴族の食事ともなればそれこそだし巻き卵よりもなお余計な味づけのない『卵を焼いただけ』だろうが(それでも美味しく感じられるほどに食材も料理人の腕も一流だからこそ『伝統』として誇るだけのものはある)、それにしてもこれまでの味の濃さで勝負していた料理より近いのは事実。


(ダメ出しは覚悟しないとだよね)


 そんな風に考えながら二階で待っているアンジェリカのもとに移動するシャルリア。


 おそるおそるだし巻き卵を並べるシャルリア。

 普段ならサラダやパンも一緒なのだが、流石に一般的な平民の食卓に並ぶようなサラダやパンを出す勇気はなかった。それこそ『素材本来の味』で圧倒する貴族の食卓に真っ向から挑むようなものなのだから。


「これが……店員さんの手料理」


「あ、その、無理して食べなくていいからね? 本当、あれだよ、私なんかの料理なんだしね」


 アンジェリカの顔を見る勇気もなく、机に視線を落としてまくし立てるシャルリア。


 褒めてくれたらいいなと、一瞬でもそんな風に考えてしまった。だから手料理を振る舞うなんてことをやってしまった。


 それがどれだけ無謀なことか、わかっていたはずなのに。


 普段から最高級の食材を一流の料理人が調理したものがアンジェリカの食卓には並ぶのだ。それに、尊敬する父親ならまだしも、自分なんかが敵うわけがない。


 だから。

 だから。

 だから。



「美味しそうですねっ!!」



 その言葉に。

 シャルリアは思わず顔を上げていた。


 そこには嘘でもお世辞でもなく、本気でそう思っているのが表情からすぐにわかるほどに微笑むアンジェリカの綺麗な顔があった。


「食べていいですか、いいですよねっ!?」


「う、うん」


「それでは、いただきますっ!」


 アルコールが入ってもそこまでハイになることは珍しいくらいだった。それくらい楽しみだと隠すことなくアンジェリカはナイフとフォークで切り分けただし巻き卵を口に運ぶ。


「んんっ……家の卵料理はふわふわしていますけれど、このようにしっかり火が通っているのもいいです……。それに何だか味に深みがあって……ふふっ、美味しいですわ!!」


 口元に手をやり、蕩けるような笑みでアンジェリカはそう言った。そのことが、これまで感じたことのないほどに嬉しかった。


 目元から浮かびそうになった何かを拭って、次から次に湧き上がる感情に顔が綻びそうなのを我慢する。


「それに、とても優しい味がしますね」


「そうかな?」


「ええ。店員さんのように、ですね」


「優しいって、私は別にそんなことないと思うけど」


「そんなことありますわよ! 店員さんはすっごく優しいんです!!」


 そう真っ直ぐに褒められるとむず痒くて視線を逸らすシャルリア。


「それより、店員さんも冷めないうちに食べてくださいな!」


「うん、そうしようかな」


 勧められるままに箸で掴んだだし巻き卵を一口かじる。

 口の中に広がるのは食べ慣れた味……ではあったが、どうしてだかいつもより美味しく感じられた。


(ああ、そうか)


 目の前には本当に幸せそうにだし巻き卵を口に入れるアンジェリカがいた。その姿を見て、すとんと納得していた。


(一人じゃないから、か)


 父親が忙しいのはわかっていた。

 店のこともそうだが、男手一つで年頃の娘を育てるのだって大変なはずだ。


 それでも父親は文句一つ言わずにシャルリアを育ててくれた。疲れた顔も見せず、気にするなと背中で語って。


 今でこそ好きだからしていることだが、少しでも父親の力になりたいと思ったのが店の手伝いを始めたきっかけだった。


 だけど、あくまで自分では手伝いが限界で、母親のように本当の意味で助けになるのはまだ難しいのも理解していた。


 だから朝、一人でご飯を食べることだって我慢できた。

 昼は学園にいるので一緒になることはなく、夜だって忙しくて一緒にご飯を食べる余裕はほとんどなくて、たまの休みの日だって父親はどこかに出掛けていることが多く、最後に一緒に食卓を囲んだのはもうずっと前だった。


 それでも、寂しいなんて言えるわけがなかった。

 夜は店で一緒にいるというのに、それ以上を望んで迷惑をかけたくなかった。


 だから。

 だけど。


(昔はお母さんと、たまにお父さんも一緒だったもんね。だからあんなに美味しかったんだ)


 家でも、学園でも、誰かと一緒に食事をしたのは久しぶりすぎて忘れていたが、こんなにも『違う』ものなのか。


(お父さんと一緒にご飯が食べたいって、わがまま言ってもいいかな……?)


 それくらいの我儘は許してくれるだろうか。

 許してくれるに決まっている。父親は決して娘を嫌っているわけではないのだから。


 今まではシャルリアが遠慮していただけで、娘が求めれば父親は必ずや応えてくれる。


「アンさん、ありがとうね」


「……? わたくし、感謝されるようなことしましたか?」


「うん。してくれたよ」


 自分の作った料理をあんなにも美味しいと褒めてくれた。本当は寂しかったんだと、無意識のうちに目を逸らしていた事実に気づかせてくれた。


 そして、今、自分と一緒にご飯を食べてくれている。


 店で常連たちと笑い合うのは確かに楽しい。そこに嘘はない。だけどやはり違うのだ。本当の意味で肩の力を抜いて過ごすことのできる『日常』の中でこうして何ともなしにそばにいてくれることは。


 それが、こんなにも嬉しいのだと、おそらくアンジェリカは気づいていないだろう。


 ……シャルリアにとってアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢がいつのまにかそう思えるくらいの存在になっていたということでもあるのだが。


(いや、あくまでアンさんがねっ! 公爵令嬢じゃない、気兼ねなく接することのできるお客さんがね!! そりゃ同年代の女の子と一ヶ月も一緒にいればちょっとくらい気を許してもおかしくないよ、うんうんっ!!)


 誰にともなく言い訳するように。

 だけど『ちょっと』だなんてことはないと、どれだけ言い訳しようとも他ならぬシャルリア自身がわかっていた。



 ーーー☆ーーー



「お父さん」


 ある朝。

 休日のことだった。


 息を吸って吐いて、ぎゅっと胸の前で手を握って、伏せていた目を僅かに上げて、そしてシャルリアは消え入るような声でこう言ったのだ。


「今日、一緒にご飯……食べたいなって」


「…………、」


「あのっ、だし巻き卵っ! お母さんほどじゃないにしても、美味しく作れると思うから……お父さんに、食べてほしくて」


 父親はいつものように目つきは鋭く、無愛想だった。

 だからその返事もまたいつものようにぶっきらぼうなものだった。


「いいぞ」


「あ……。作る、今すぐ作るからね!」


 だけど、その一言が。

 父親なら受け入れてくれるとわかっていても、それでも、嬉しいものは嬉しいに決まっていた。

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