第八十四話 特別ではなくても、普通に幸せになってほしいから
「んうーっ! やっぱりお母さんのだし巻き卵は最高に美味しいねっ」
「ふっふん! そんなこともあるかなっ」
翌日、朝食の時間であった。
もっと言うとシャルリアたち親子が三人揃っての家族団欒であった。
……一応はかなり前に死んだことになっている母親がこうして生き返っていることを父親がすんなり受け入れていることに違和感はあったが、こうして家族三人が揃って昼食を囲んでいる幸せな事実のほうが大きかったからすっかりシャルリアの頭の中から抜け落ちていた。
母親お手製のだし巻き卵の味は世界一だった。
涙が溢れてくるのもあまりに美味しいからだ。
そうに決まっている。
「なんて顔しているのよ、まったく」
「だっ、だって……」
「ごめんね、寂しい思いをさせたよね。だけどもうシャルリアが生きている間は絶対にいなくなったりしない。だからそんな顔しないの、ね?」
「うん……うんっ」
ああ。
頑張ってよかったと、シャルリアはそう思う。
もちろんシャルリアの力なんて微々たるものだ。一応はあの戦いに関わった当事者であったはずのシャルリアでも知らない『戦い』だってあったのだろう。
少なくともシャルリアが知っている範囲ではどう足掻いてもこんな結末にはもっていけない。足りないピースは誰かが力づくでもぎ取ったのだ。
つまりこういう形で終わらせるためには多くの障害があったはずなのた。そもそも魔王や七つの大罪を倒す『だけ』でもシャルリアでは絶対に成し遂げられなかったくらいである。
こういう形で終わらせるためにシャルリアの母親をはじめとして多くの者の協力があってこそだ。それでもシャルリアが歯を食いしばって抗ったからこそ、そして折れそうになった彼女の手を掴んで引っ張り上げてくれたアンジェリカのおかげでここまで繋げることができた。
辛くて、苦しくて、今でもふとした時に無数に殺された記憶が呼び起こされてしまうが、それでもこういう形で終えられたならばそれはハッピーエンドに間違いない。
(私の寿命もどうやってか元通りになったみたいだし、焦ってアンジェリカ様に告白する必要もないよね。というか絶対に受け入れてもらえないのに自分から玉砕しにいくとかばっかじゃないの!? せっかく、その、友達くらいには思ってくれているんだよ。こんな幸運を自分の手で壊す必要なんてない。うん、そうだよ。これでいいんだ。私はちゃんと自分の身の丈をわかっている。平民が公爵令嬢と付き合えるわけないんだから)
だから。
だから。
だから。
「そういえば昨日はなんであんなに怒っていたの?」
「アンジェリカ様に告白しようとしたのを邪魔されたから……って、あれ?」
今。
なんと口走った? と今更ながらに口を塞ぐがもちろん遅かった。
それはもういい笑顔で母親は身を乗り出して、
「アンジェリカ様ってあれよね、あの綺麗なお嬢さんのことよね!? いやあ、シャルリアもそんなお年頃なのねえ」
「まずはちゃんと謝れ。詳しい事情は知らないが、どうせお前がやらかしたんだろう」
「うっぐ。厳しい……。まあその通りなんだけど。シャルリア、ごめんね。そうよね、告白を邪魔されたら怒るわよね」
「いやっ、それはもういいんだよ! あの時はもう死ぬんだって思って勢いに任せただけで……冷静になって考えれば無謀にもほどがあるしね」
そう、無謀なのだ。
シャルリアがあのアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢と付き合えるわけがない。
「んー? なんで無謀とかって話になるのよ? 見た感じ、向こうも結構シャルリアのこと好きそうだったけど。まあ殺し合いでもなかったし、そこまで精査してはいないから好意の種類や大きさまではわからないにしてもね」
「いや、だって、お母さんは知らないかもだけど、アンジェリカ様はヴァーミリオン公爵家の令嬢なんだよ? 平民なんかとじゃ釣り合いが取れないよ」
「そんなのシャルリアが望むなら公爵でも何でも手に入れてあげるわよ。これでも昔は望みもしていないのにナンチャラ侯爵とか押しつけられていたあたしだしね。ちょろっと頑張ればヴァーミリオン公爵家と同等の身分をむしり取ることだって簡単だって」
「いや、だけど、女同士だし! だから──」
「それでもシャルリアはアンジェリカちゃんを好きになったのよね? それなら向こうだってそう思ってくれているかもしれない。女同士だろうが何だろうがね」
「だったら……だけど」
「ねえ」
ゆっくりと。
母親はいつのまにか俯いていたシャルリアの両の頬に手をやり、ゆっくりと視線を合わせるために上にあげて、そしてこう告げたのだ。
「怖いのよね? 好きだって伝えて、受け入れてくれないかもしれないのが」
「……うん」
「だけど言葉にして伝えないと何も始まらないのよ。アンジェリカちゃんが公爵令嬢だっていうなら近いうちに必ず政略結婚で誰かと結ばれるだろうし。何も行動せずにどこぞの誰かに愛する人がとられてそれでシャルリアは満足? どうせ無理だって諦めて、行動もせずに、ただただ百パーセント確実に負けるのがお望み? そんなんでシャルリアは幸せになれる?」
「…………、」
「あたしはシャルリアに『特別』になれなんて望まない。普通に、どこにでもいるありふれた人間のように平凡だけど満ち足りた幸せな人生を歩んでほしい。そのためなら魔王だろうが何だろうがぶっ殺してあげるけど、これはシャルリアが頑張らないといけないことよ」
だから。
だから。
だから。
「フラれたら、慰めてよね」
「もちろん。うんと甘やかしてあげるから普通に頑張ってきなさい!!」
そんな言葉を背にシャルリアは飛び出していった。
今度こそ勢い任せなんかじゃなくて、シャルリア自身の想いに従って。
そんな娘を見送って、母親は一言。
「さて、適当な爵位を手に入れるために国王でも脅しにいきますかっ。とりあえず軍でも壊滅させれば素直に話を聞いてくれるかも?」
「待て。せめてもう少し穏便な方法を選んでくれ」
『白百合の勇者』とかワルキューレやカミサマに似通った超常存在とかシャルリアの母親とか、どんな形であろうとも彼女が己の望みのためなら自分勝手に世界だって振り回すのは変わらない。
そんな彼女だって父親は変わらず愛しているが、それはそれとして流石にそのまま全て受け入れてしまったらとんでもないことになりそうなので被害が最小になるよう軌道修正するべきだろう。
「それよりもしもこれでシャルリアがフラれたらどうしよう!? あたしたちの娘は全世界一可愛いからフラれるわけないだろうけど向こうの見る目がないってこともあるし、うっわ、やばい! 今のあたしは他の世界の力や技術を模倣することはできないし、生まれ変わって新たに得た神域の力の中に役立ちそうなのもないし、いざとなれば拳で脅してゴリ押しするしかないかも?」
「シャルリアに普通に生きて欲しいならそんなことは絶対にするな。そうでなくても惚れた女に変に手を出されて黙っているほど俺たちの娘はちっぽけに育ってはいない」
「そ、そうよね、うん。……ちなみに貴族の家ってのは利益のために結婚するのが普通で、だからこっちでいい感じの利益を用意してやればヴァーミリオン公爵家の当主なんかがいい感じに動いて──」
「シャルリアが好きなのは分かったから少しは落ち着いてくれ。普通に幸せになって欲しいなら最悪失恋してしまったとしてもそれはそれで一つの経験になる。普通の人生ってのはそういうものなんだから」
「だけどぉっ! あたしが焚きつけたせいでフラれたってシャルリアに嫌われたら!? そんなの普通に耐えられないんだけど!?」
もう全体的に最低だった。
自分勝手を極めた彼女らしいといえばそれまでだが。
「とにかくまずはシャルリアの告白の結果を聞いてからでもいいだろう。まだフラれると決まったわけでもないんだしな」
「そ、そうよね? そもそも全世界一可愛いシャルリアがフラれるわけないし? あらゆる第一希望を叶えて何の文句もつけようがないくらい幸せになるのは当然よねっ!!」
しかし、とシャルリアの父親はどこか意外そうな顔で、
「同性同士だと孫の顔が見られないとか騒ぐかと思ったがな」
「何を言っているのよ。シャルリアが本当に好きな人と一緒になって幸せに過ごせるのが一番に決まっているじゃない。それにいざとなったら奇跡でも何でも振るって子供は男女が揃わないとつくれないって理をねじ曲げるだけよ。女王だか女神だか知らないけど、ヘルにできることがあたしにできないわけないしね!!」
「……何というか、本当、帰ってきたんだな」
「今このタイミングでそんなしみじみと呟かれるのはちょっとアレだけど、そうよ、あたしは帰ってきたのよ。だからこれまでの分もめいっぱい愛してもらうんだから覚悟することね!」