第八十三話 女騎士と姫君
翌日。
目覚めたシャルリアはベッドで頭を抱えていた。
「かんっぜんに告白するタイミングを失ったよお!!」
勢いに任せたものではあったかもしれない。それでも横槍が入らなければシャルリアはアンジェリカに告白できたはずだ。まさかあそこで母親が降ってくるとは想像できるわけがない。
ちなみに母親とはもう仲直り済みだ。いつまでも八つ当たりしていても仕方ないし、こうして冷静になってみるといくら時間がないとはいえ一世一代の告白を勢い任せというのはちょっと違うと思う。
今はどこも痛くないし、今すぐ死ぬというわけでもないはずだ。もちろん『魂魄燃焼』を使ったせいで残りの寿命は少ないにしても。
と、そこで扉を開けて母親が顔を出した。
……昨日は確か帰ってすぐに小さな飲み屋に来ていたガルドに向けて『ふっふーん。まさかここまでのハッピーエンドにケチをつけないよね?』と事情はよくわからないがとにかくドヤ顔で煽っていた気がする。
対して父親には常に自信満々、己の道を突き進む自分勝手さなんて微塵も見せずに照れくさそうに目を逸らしていたが、
『おかえり』
『あ……。うん、ただいまっ!』
と、そう返していた。
魔王が相手でも余裕に満ちていた彼女であっても『こう』なってしまうほどに『好き』は絶大なのだろう。
今のシャルリアならそれもわかる。
この胸の奥から燃える『好き』はこんなにも強烈なのだから。
そんな母親は世間話でもするような声音でこんなことを言った。
「そういえばシャルリアが『魂魄燃焼』で失った魂はもう補充しているから寿命が元に戻っているのガルドから聞いた?」
「…………、へ?」
「聞いてなかったのね。とにかくシャルリアがすぐに死ぬようなことはないから安心してね」
死んだら世界が過去の状態に戻る強制効果も野放しにしていたら永遠の時を繰り返す拷問器具に変貌するし、今のうちに何とかしないとねー、などと軽く言いながら母親は出ていった。
「いや、いやいやっ。お母さんそれどういうことお!?」
なんというか、そう。
昨日までの決死の覚悟はなんだったのだ!?
ーーー☆ーーー
北の大国。
魔族四天王の一角『氷ノ姫君』によって国土の全域が氷漬けにされた禁域でのことだ。
王都、その中心にそびえ立つ城の中に彼女は足を踏み入れた。
『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズ。
勇者パーティーの一員である前に姫に身も心も捧げた忠実な騎士であるからこそ。
そんな彼女の手には銀の表面に謎の模様が刻まれ、真っ白に染まった『塩の剣』が握られていた。シャルリアの母親が二度目の死を迎える前に彼女に渡したものである。
『やっぱり世界は広いわね。北欧の「外」の世界の力や技術を組み合わせれば「氷ノ姫君」の暴走を祓い清めて、ついでに「星の力」との接続を切断することもできる武具が出来上がるんだから』
『何の気まぐれでありますか? 「魂魄燃焼」で欠けた私の魂を埋め合わせて失った寿命を回復させただけでなく、こんな施しまで。「白百合の勇者」らしくないであります』
『「白百合の勇者」なんかじゃなくて単なる母親だからね。どうせシャルリアはありふれた悲劇だって知ってしまえば放ってはおけないだろうし、そのために無茶するのは目に見えている。だから先んじて解決しておくってだけよ。そのついでに八つのさらに「外」の概念を抽出する実験もできたし、だから心配しなくてもナタリーのためじゃなくて全部あたしのためよ。わかったら黙ってさっさと救ってやることね』
だから。
王城の内部にて姫様──『氷ノ姫君』を追い詰めるように並ぶ氷像どもを睨みつけながらナタリーは『塩の剣』を床に突き刺した。
効果は瞬時に現れた。
北の大国を覆う氷が一瞬で拭い去られたのだから。
大国を禁域に変えるほどの氷結は単に氷で覆っているのではない。肉体及び魂の状態を完全停止、つまり『第七位相聖女』の封印のように概念的に対象を封じるというわけだ。
力の中心、『氷ノ姫君』リアルル=スノーホワイト……つまりナタリーが仕える主だけは暴走した力に晒され続けていたために後少し遅ければ肉体も魂も内側から崩壊していたかもしれないが。
それでもナタリーは間に合った。
腰まで伸びた白髪に淡い蒼の瞳、透き通るような肌に雪の結晶を模したドレスを身に纏った敬愛すべき主が倒れそうになるのを抱き止める。
その瞼は未だ固く閉じられているが、それでもこうして氷の底から解放できたならばやりようはいくらでもある。気に食わないが、エルフの長老の娘であるアリスフォリアに頼ってでも。
それよりも、だ。
大国が概念的な停止状態から解放されたということは『凍りつく前の状態』の認識のまま国民全員が動き出すということだ。
北の大国の王族には魔族の血が混ざっているという事実を魔族の性質が色濃く現れたリアルルを抹殺することで隠そうとした王、そしてそんな王の命令に従ってここまでリアルルを追い詰めた騎士どもが。
「あれを早く殺……って、なっ、ナタリー=グレイローズ!? いつのまに──」
「ぎゃーぎゃーうるさいであります」
北の大国の王に向けていい言葉ではなかっただろう。
王の近くに侍る騎士どもは見るからに狼狽えていたが、ナタリー=グレイローズは気にしない。
目の前の王はくだらない自己保身のために、そう、王族の血筋の秘密を隠すためだけにリアルルを殺そうとしているのだ。騎士として悲劇に晒されている誰かを守る剣であるべき者たちがそんなクソ野郎の命令を受け入れているのだ。
そんなの。
見逃してやれるわけがない。
「全員まとめて叩き斬ってやるからさっさとかかってこいであります!!」
一分も必要なかった。
騎士として落第の半端者の集団も、そんな奴らしか従えていない王も『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズの敵ではなかった。
本当は百年以上前にこうするべきだった。
ずっとずっとこうしたかった。
あの時、間に合ってさえいればここまで待たせることはなかったのだ。
それでも、だとしても。
ようやく解放された姫をその腕に抱いて、女騎士はこう言った。
「遅くなって申し訳ないであります。これからはこの命を懸けて守り抜いて──」
「相変わらず……大げさ」
固く閉ざされた瞼を開いて。
女騎士の言葉を遮ってリアルル=スノーホワイトはこう告げた。
「でも、うん。……やっぱりナタリーはかっこいいね。くだらない嘘を少しでも信じたのが申し訳ないよ……」
「……う……」
「わっ。そんな……いきなり泣かないでよ」
「姫様のご命令であっても、それだけは無理でありますよお!! うわあぁああん!!」
「命令なんて大げさなものじゃ……まあいいや。……心配かけてごめんね」
「いいえ、いいえっ! 姫様がご無事であればそれだけでいいのであります!!」
時間はかかったかもしれない。
『これから』だって決して順風満帆とはいかないだろう。
それでも姫には女騎士がついている。
これまでも、これからも、その剣は大切で大好きな姫を守り抜くために振るわれる。
ーーー☆ーーー
そんな結末をエルフの長老の娘・アリスフォリア=ファンツゥーズは邪魔にならないよう遠くから観測していた。
あの女騎士はともかく、姫のほうは昔はお茶会を一緒していたくらいには親しい相手だ。救われたのは素直に喜ばしかった。
「にゃーはー。あーしでも手の施しようがなかった問題を一発で解決するんだからやっぱり『白百合の勇者』……いいや今はノルンの変異種だっけ? とにかくあの女はチートっしょー」
そんな風に嘯いて。
だけどその後の一言だけは心からの本音だった。
「ありがとうね」
誰にも聞かれていないからこそそんな言葉が漏れるくらいには彼女にとっても姫は大切な友人であった。