第八十二話 どれだけ特別だろうとも母親であるからこそ
第一、
第二、
第三、
第四、
第五、
第六、
第七、
第八、
第九という九つの世界。
加えて第零という神々の世界。それが『全世界』だとしてしまうとサキュバスや七つの大罪の由来が説明できない。
北欧の領域。
そういうものだと信じられてきた概念が力を持ち、真実だと形をなして、実際に存在するまでに至ったのがこの世界の『始点』だ。つまりサキュバスなどの悪魔が生まれたのと理屈としては同じというわけだ。
ならば他の領域だって同じように広がっていてもおかしくない。それこそ北欧では七つの大罪は説明できないが、他の概念では説明ができるからこそ外来種、すなわち北欧の外側に存在しているということだ。……そもそもの『始点』はどこなのかという疑問が残りはするが。
北欧における死とはヘルヘイムやアースガルズに送られるという形が主流であろうとも、他の領域では異なることもある。
輪廻転生。死んだ人間であってもその魂は巡り巡って『別の生物』として生まれ変わるのが当たり前の概念。
あるいは人間でありながら生前の行いによっては死後に星になったり天使や神と同等の存在に生まれ変わるような概念。
すなわち莫大な力や伝説を示してから死ねば新たな存在に自己を昇華させることができる。そういう法則が北欧の外には存在する。
サキュバス。
七つの大罪。
プリンシパリティ。
北欧『らしくない』ものはこの世界にだってとっくに混在している。北欧の外の概念をこの世界に持ち込むことができるということは前例として証明されているのだ。
北欧の概念。すなわちエインヘリヤル、死者の軍勢に組み込まれるだけでは駄目だっただろう。それだとシャルリアの母親のまま天の世界に存在するだけになるのだからそこからどうにかしてシャルリアの住む世界に帰ったとしても死んだ人間が降り立ったと判断されて世界の崩壊が再開してしまう。
だが、そもそもシャルリアの母親の魂が別物に変質してしまえば? 輪廻転生に生まれ変わり。その存在を別物に変えてしまえばこの世界はそもそも彼女をシャルリアの母親だとは認識しないのだから死者が生き返ったと認識することもない。
つまり彼女がこの世界に降り立っても世界の崩壊は起こらないというわけだ。
だからちょっくら神々の世界で暴れ回り、エインヘリヤルという概念を別の法則で塗り潰し、どこぞのワルキューレやカミサマと似通った超常存在として自己を変質させながらも記憶だけは保持した状態で彼女はこの世界に戻ってきた。
ワルキューレとも似通っているならこの世界に降臨することもできる。それは『相談役』ジークルーネがこの世界に降り立っていることからもわかるというものだ。
その際に力の大半は失われたが、彼女の場合は他に制約がまとわりつくことはなかった。変質した彼女の性質が『相談役』ジークルーネと似通っていても全く同じというわけではないからだろう。
とにかく『白百合の勇者』だの何だのそう呼ばれていた人間は魂レベルで別物に変異した。それでも記憶は保持しているし姿形を生前のものに変えるくらいは容易いしと、体感的にはそう変わったとも思えないが、少なくとも本質的にはまったくの別物だ。
死んだ人間は生き返ったりしない。
冥なる理の代わりにこの世界に埋め込まれた理が異物として彼女を認識することはできない。
だから、つまり、これこそ誰一人取りこぼすことのない完全無欠のハッピーエンドであった。こんな無茶苦茶を現実のものとして実現できるのは自分勝手を極めた彼女くらいだろう。
そんな彼女は現在、絶賛正座中であった。
『前の人生』では二度も魔王を殺して世界を救った英雄であり、今だってこうしてワルキューレやカミサマに似通った超常存在として降臨した魂なのだ。それほどの『特別』はそこらの王なんか比ではない……としてもぷんすか怒っているシャルリアには敵わなかった。どれだけ自己を昇華させようともそれとこれは別問題である。
なんか色々凄いっぽいことをやっていようとも、そんなのシャルリアには関係ない。ここから先は世界の命運とか何とかそういうのはもう全部まるっと知ったことじゃないと切り捨てているのだから。
「ごめんね、シャルリア。でも、ええと、どうしてそんなに怒っている、のかな?」
「どうしてって、それは」
チラリとシャルリアの視線が一瞬アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢に向いた気がしたが、その意味まで母親は気づけなかった。かなり仲のいい友達だろうとは察していたが、まさか今この瞬間に告白しようとしていたとまではわかるわけがない。
殺し合いに勝つためならどんな小さな違和感でも見逃さずに現在の状況を見通して必要な情報を取得する『力』を振るうが、娘やその周囲にそんなものを向ける母親がどこの世界にいるというのか。
「とにかく私は怒っているんだよ、もお!!」
だからぷんすかの理由なんて見当もつくわけがなくてとりあえず謝るしかなかった。
そんな風に騒いでいたから。
アンジェリカの視線が母親の前髪をとめる純白の百合を模した髪飾りに向けられていることにシャルリアは気づけなかった。
ーーー☆ーーー
小さな飲み屋ではガルドがこんなことを言っていた。
「──というわけで、なんだ。力の波動はまったくの別物だが、まあ、生まれ変わったあの女だろうな。生まれ変われば自分が生きていてもこの世界が崩壊することはない。そんな無茶苦茶を叶えるか、それとも叶えられないか。二日前にあの女の魂はシャルちゃんを救うために、それでいて力を失わないよう調整して消費するから生まれ変わりって無茶苦茶が本当であれその場を切り抜けるための嘘であれ数日中に死ぬのは間違いない。そういう風に場を整えれば後は好きにしてもどう転んだって俺が困ることはないはずとかって言っていたが……本気で生まれ変わり成し遂げやがったのか。ここまでくると笑えてくるな」
「……ワルキューレやカミサマに似通った超常存在、か。あいつを一人にしてしまわないか、それだけが心配だな」
「あの女ならそんな『特別』に執着はしなさそうだがな。お前さんやシャルちゃんが死ねば一緒に死にそうだし」
まあ、と。
ガルドはこう続けた。
「あんまりハッスルして二人目、三人目とかつくったらなし崩し的に子供だの孫だの子孫だのを見守る存在になりそうだが。守護神というには物騒すぎるからあんまり張り切りすぎるなよ? シャルちゃんだけなら孫の心配はなさそうだしな!!」
「…………、」
「おいこら顔を逸らすなその歳でまだまた現役ってかクソッタレ」