第七十六話 数多に繰り返してきたからこそ、この程度は脅威でも何でもない
魔王と勇者が激突する大陸中心部、地下。
『生き残りの魔族の本拠地』の最深部に彼女たちは倒れ伏していた。
『魅了ノ悪魔』クルフィア=A=ルナティリス、『轟剣の女騎士』ナタリー=グレイローズ、アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢のメイド。各々が高い技量の持ち主なのは間違いない。彼女たちが負けるほうが珍しく、その実力は上から数えたほうが早いだろう。
真に頂点に近い存在から見てみれば等しく弱敵だっただけで。
『傲慢ノ悪魔』グリファルド=L=ライピーファ。
六枚の漆黒の翼を生やした美しいその男は七つの大罪の中でも最強に君臨している。他の大罪の悪魔と比べてもその力は突出しているのは間違いない。
「があ、ばぶべぶう!? なあ、にがあ……あの野郎何をしたのよお?」
「そう悩むな。吾と貴様らの間には理解できないほどに力の差があるというだけだ。いかに色欲を取り込もうとも、魂魄を燃やそうとも、既存の力を底上げしようとも、所詮は矮小な生命が可能な足掻きだ。小さく丸まった生命がどれだけ足掻こうとも最強に届くことはないのは当たり前だろう」
まさしく傲慢そのものだった。
そうなるよう己を歪めるのが彼の能力なのだから。
自分こそあらゆる面において優れていると傲慢にも誇る罪を現実にする力、すなわち敵対者よりもあらゆる面で優れるよう自己を進化させる『体質』の持ち主、それが『傲慢ノ悪魔』グリファルド=L=ライピーファなのだ。
『体質』だから魔力切れで使用不可になることはない。
『体質』だから使うも使わないもなく、使用していない隙を見出して攻撃を仕掛けるようなことはできない。
『体質』だからそう易々と消えたりしない。
生まれながら傲慢にならざるをえないほどに強大な個。何もしなくても最強が手に入る、大罪を司る悪魔に相応しい特性。まさしく絶対強者とは彼のための称号だろう。
だから。
だから。
だから。
「チッ、どこまで読んでやがったでありますか?」
「もちろん一から十までですね。『過去の事例』ありきではありますけど、それでも過去にない戦況を掌の上で転がすことができるのはお嬢様において他にいないですよ」
おかしい。
勝敗は決した。ここからどう足掻いても勝つことはできないと思い知らされたはずだ。現にクルフィアは怯えを滲ませている。
では、女騎士やメイドはどうして絶望しない?
ここに至ってどうしてメイドは誇らしげに笑うことができる!?
「一体が限度でした」
「なに?」
「召喚と違って退去のためには絡んだ糸をほぐすような丁寧さが必要らしく、知識ありきとはいえ専門家でもない『彼女』では時間をかけて一度に一体退去させるのが限度らしいです。そして、話に聞く七つの大罪は流石に二度も三度も成功させてくれるほど甘い相手でもなさそうなので残り五体は直接乗り込んで倒す必要があったわけですね」
「待て。何を言っている? 魔族の男ということになっているトリックスターならともかく、この世界ではもう悪魔召喚の術者も知識も遥か過去に断絶したはずだ!!」
「過去に魔導書なり何なり知識を得るための方法があったなら、それらを復元すればいいんですよ。……『失敗した時間軸』でのことですからそっちが把握していないのも無理はないですけど、ね?」
ーーー☆ーーー
ザクルメリア王国、その王都でのことだ。
シャルリアが魔王を殺そうと繰り返し挑戦した記憶。
その中でも2850回目(前の記憶を完全に保持可能になって541回目)の時間軸でのことだ。
──数多の召喚に関する魔導書を光系統魔法で復元、古の知識をもとに一度に一体なら最強の悪魔でも退去させることはできたが、それが限界だった。悠長に退去させようと詠唱しているところを狙われては六体も退去させるのは難しかった、というものがある。
六体同時は不可能でも、一体なら時間をかければ退去させるための知識を他ならぬシャルリアが覚えている。ならばその切り札を最大限活かせるよう立ち回ればいいだけだ。
エルフの長老の娘の転移の魔法、そして『轟剣の女騎士』やメイドという戦力をいつ投入するか。
魂を保存・『娘』に刻み込む秘奥を破壊されないよう色欲以外の大罪の悪魔を秘奥防衛のために控えさせているのもシャルリアの繰り返しの挑戦でもってわかっていたから、アンジェリカはその防衛網を確実に突破できるよう考えて協力を取り付けていたのだ。
全てはアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢の狙い通りだった。だから王都の広場においてガルドやエルフの長老の娘と合流後、必要に応じて『轟剣の女騎士』やメイドを送り込むよう指示をし終わったアンジェリカの耳にはシャルリアの詠唱が届いていた。
「──すなわち北欧の外に蔓延る外来種、傲慢に囚われた悪魔に光り輝く居場所はない!! 明けの明星よ、疾く宵に転じて地の底に堕ちるがいい!!」
目立った光や音はなかった。
それでも何か重く冷たい何かが拭われたような感覚があった。
「これで『傲慢ノ悪魔』を退去させられたと思うけど……本当に大丈夫かな? 他の大罪の悪魔も中々にチートだったけど」
「魔族四天王や勇者パーティーの一員に加えてわたくしのメイドもいますからね。ここまですれば防衛戦力を一掃して魔王の魂を保護する魔法道具を破壊することはできるはずです。つまり魔王を殺しても魂だけは逃げ延びていた、という展開は阻止できるでしょう」
「問題はそもそも魔王を一度でも殺せるかどうかだがな」
ガルドの悪態にアンジェリカは下手に逆らわずに頷き、
「そればかりは『白百合の勇者』に頼る他ないでしょう。少なくとも現存する戦力では魔王には勝てないのは間違いないのですから」
「そうかもしれないけど、だけど」
ぎゅっと。
拳を握りしめて、そしてシャルリアはこう言った。
「私にだってまだできることはあるはず!! そうだよね、アンジェリカ様!?」
その言葉にアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は僅かに瞳を揺らした。逸らそうとして、しかしシャルリアの目の力強さに逃げ切れなかった。
(数多の過去の時間軸でのシャルリアさんの気持ちが今ではよくわかりますわね。本当は危ないことも辛いこともしてほしくありません。シャルリアさんにはこれ以上は少しだって傷ついてほしくないのです。ですけど、それでも、他ならぬわたくしが『そういうの』は嫌だと言ったのです。ええ、ええ、本当に嫌ですけれど何かできるのに何もできない辛さを押しつけるような真似はできませんわよね!!)
「確かにシャルリアさんだからこそできることもあります。それでもシャルリアさんが無茶をして死んでしまえば全て台無しなのです。ですのでわたくしの言う通りに、無茶をしないよう行動すると約束してくださいね?」
「うんっ。ありがとう、アンジェリカ様!!」
そして。
「アリスフォリアさん。わたくしとシャルリアさんを魔王と勇者がぶつかっている場所まで転移の魔法で飛ばしてください」
「正気かにゃー? あそこはあーしでも下手に近づけば普通に死ぬような激戦区なんだけど???」
「それでも、シャルリアさんの想いを無下にはできませんし、わたくしはもう二度とシャルリアさんを一人寂しく死なせるつもりはありません。この手で守り抜くと、そう誓ったので」
「なんだか愛の告白みたいっしょー」
「ぶぅふふ!? 責務っ、貴族として平民が野垂れ死ぬのを黙って見ていられないだけですわ!!」
「まーなんでもいいけど、そちらのシャルリアちゃんとやらはそれでいいのかにゃー?」
問いに。
僅かに迷いが混ざったのはアンジェリカまでついてくるつもりだからか。
それでも、もう、変に気を遣って遠ざけられるのは嫌だと言われている。巻き込めと、二人揃って生き残ればそれでいいのだと、そのために必要なものは全て用意してやると、その背中は示した。何よりいくら繰り返してもここまで魔王を追い詰めたことはなかったという結果が全てだ。
だったら。
ここまでされたら、もう、仕方ない。
「うん。アンジェリカ様が一緒なら無敵だから」
「……っ。よ、ようやくわたくしの偉大さに気づけたのですね!? まったく、仕方がない人ですこと!」
これから魔王と勇者という究極の怪物たちがぶつかる戦場に乗り込もうとは思えない雰囲気だった。端的に言えば惚気が溢れている。
「はいはい。お互いがお互いを大好きなのはよーくわかったから時と場合を考えるべきっしょー」
「だっ誰が大好きですか誰が!?」
もう何から何まで真っ赤なアンジェリカはひとしきり叫んで、息を整えて、そしてこう言った。
「ご、ごほん。とにかくですね、このまま放っておいても勇者が勝つならそれでよし、もしもそうでなければ──」