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第一話 始まりのもつ煮込み その一

 

 アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢の名は魔法に関しては名門中の名門である王立魔法学園でも有名であった。


 座学だけでなく実技でも一位をとるのが当たり前、十五歳ながら歴戦の魔法使いにだって劣らない実力の持ち主であり、このまま成長していけばいずれは今は亡き『白百合の勇者』や『第七位相聖女』、『轟剣の女騎士』や『無名の冒険者』といった勇者パーティーの面々にだって匹敵するだろうと言われている。


 加えて黄金から切り取ったような煌く金髪に宝石を埋め込んだのではと思うほど綺麗な碧眼、スレンダーなシミひとつない身体、赤が好きなのか公爵家の財を尽くした豪勢な真紅のドレスが霞むほどに美しい令嬢ともなれば誰もが羨むのも当然というものだった。


 十五歳ながらに第一王子の婚約者であり次期王妃として誰もが認める圧倒的存在感を放つアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢。まさしく平民では一声かけることも叶わない天の上の存在である。



 そんなアンジェリカが王都の片隅にある小さな飲み屋で顔を真っ赤にして酔い潰れていた。そこらの酔っぱらいに混ざっても何の違和感もないほどに、である。



「……ですよ」


 公爵家の財を尽くした豪勢な真紅のドレスなんて着ていない。庶民でも簡単に手に入る地味なワンピースを着た彼女は通算十杯目のビールが溢れんばかりに注がれたジョッキを掲げて、机に突っ伏していた。


 顔どころか首まで真っ赤にして突っ伏していながらビールが注がれたジョッキだけは掲げて手放さない。酔っ払いかくありきである。


「違うんですよぉおお」


 まるで伝説の泉のエルフが奏でていたとされる琴のように清らかだと称される声の見る影もなかった。もうふにゃふにゃな声音で彼女は言う。


「わたくしはあ、別に怖がらせたいわけでも傷つけたいわけでもないんです。ただあ、あの子が困ってそうだからあ、手伝えることはないかって言いたかっただけでえ」


「うん、うん」


 そんな彼女に相槌を打ちながらも手早く空になった皿やジョッキを片付ける同年代の店員の少女。長い茶髪を後ろで一本にまとめて、前髪を純白の百合を模した髪飾りで留めた活発そうな店員があちらこちらに動き回るのも構わず酔っ払い令嬢は続ける。


「本当はあっ、もっとあの子とぉっ、シャルリアちゃんと仲良くなりたいだけなのにいぃっ。どうしてうまくいかないんですかぁああっ!!」


「……、うん」


 公爵令嬢であることを隠してお忍びでこんな場末の小さな飲み屋に顔を出しているアンジェリカに対して平気な顔で相槌を打ちながらも店員の少女は内心こう思っていた。


(まだ私がシャルリアだって気づいていないんだね)


 ちょっとボサボサな髪を後ろで纏めて目元を覆うように隠している前髪を髪飾りで上げただけなのだが、意外と気づかれないものである。


「ううっ。どうにかシャルリアちゃんと一緒に遊びに行けるくらいには仲良くなりたいですーっ!!」


 まさかあんなに『いじわる』なアンジェリカの本音をこんな形で聞くことになるとはほんの数ヶ月前まで思ってもいなかった。



 ーーー☆ーーー



 数ヶ月前のある日のこと。


 目元から腰まで覆うように伸びたボサボサの茶髪、人目を避けるように丸まった背中、そして絵本の中の魔女のように全身真っ黒なローブにとんがり帽子をかぶった小柄な少女、それが学園でのシャルリアであった。


 彼女は世にも珍しい光系統魔法の使い手である。


 歴史上でもシャルリアを入れて十三人しか確認されていない光系統魔法は他の魔法と違って『できること』の幅が広い。かつては破壊に特化した使い手もいれば防御に特化した使い手もいたし、中には魔法といえども不可思議すぎる力を発揮する使い手もいたのでシャルリアもいずれ伝説の英雄たちに並ぶのではと思われていた。


 そういった背景もあり各方面から期待されていたシャルリアは光系統魔法の使い手だからというだけで入学試験を無条件で突破して魔法関連の名門たる王立魔法学園に入学を果たした。学園側だけでなく国からの命令でもあったので単なる平民であるシャルリアに断るなどできるわけもなかった。


 さて、そんなシャルリアであったが、入学後の彼女の評判はあまり良くなかった。


 シャルリアが実技の授業で披露したのは真っ白な光をピカピカさせて軽度の傷を癒す程度。しかも自分の怪我は治せない欠点付き。


 それなら教会所属のシスターが得意とする治癒系統魔法のほうがよっぽど高性能だったりする。


 華やかな世界に紛れ込んだ薄汚い落ちこぼれ。

 裏口入学よりもなお哀れな、珍しい才能はあるのにそれを活かしきれない劣等生とシャルリアは入学してすぐにそのように噂されることになる。


 しかも基本的に貴族の血筋が濃いほうが魔法の才能に優れるので魔法関連の名門たる王立魔法学園には高位の貴族の令息令嬢がひしめいており、平民であるシャルリアの居場所などどこにもなかった。


 幸運だったのは学園に所属している高位貴族の令息令嬢は落ちこぼれの平民になど表立って構うことはなく、集団で嫌がらせをしてくることはなかったことか。ひそひそと遠巻きに馬鹿にされるくらいで済むなら安いものである。というか、本気で不快だと攻撃されようものなら単なる平民の命など軽く潰えてしまう。


 ()()()()()落ちこぼれのまま卒業して、お偉いさんから見向きもされずに、いずれは男手一つでここまで育ててくれた父親の飲み屋で働きながら平穏無事に過ごそうとシャルリアは決めていた。


 絶対に特別な力があるからと聖女みたいにはならないと、そう思っていた時だった。


 学園に入学してしばらく経ったある日、シャルリアは一人校舎裏で昨日の余り物を詰めた弁当を食べていた。じめっとした校舎裏には彼女以外誰もいない。とっくに失望されて、わざわざ彼女に話しかける人間はいなくなっていたのだから。


 ──ただ一人を除いて。


「あら。あらあらっ! 相変わらずひとりぼっちですのね、シャルリアさんっ」


 アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢。

 地味で落ちこぼれなシャルリアと違って派手で優秀な彼女がどうしてこうも毎日話しかけてくるのか。


 公爵令嬢直々に落ちこぼれの平民に声をかける理由など一つしかない。


「しかし、随分と茶色いお弁当ですわね。彩りというものが足りませんわ」


「……、そうですね」


「自覚していて改める気がないとは、本当向上心のないことですこと。光系統魔法という特大の才能を活かしきれずに燻っているシャルリアさんらしいですけれどっ」


「…………、」


 こうして直接嫌味を言ってくるのがアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢であった。入学した当初こそ他の生徒のように光系統魔法の使い手であるシャルリアに興味を示して話しかけてきたが、シャルリアが落ちこぼれだとわかって他の生徒が離れてもアンジェリカだけはこうして付き纏ってくるのだ。


 アンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢。

 学園に通っている者の中でも第一王子の次に『力』ある存在である。彼女がほんの少し『力』を振るえばシャルリアなど路地裏で『不慮の事故』一直線だ。今はこうして嫌味を言って遊ぶに留まっているが、そんな気まぐれもどこまで保つか。


 運がいいことに学年は一緒でもクラスは違うので教室で一緒ということはない。それでもこうも絡まれてはいつ怒りを買うか心臓に悪い。


 だからこんなところに入学したくなかったのだ。

 高位の貴族の令息令嬢がそこらに蠢いている魔窟。いくら光系統魔法という金看板があろうとも平民など石ころを蹴るように潰すことができる権力の持ち主がそこらじゅうを徘徊している場所になんて一秒たりともいたくはない。


 だからシャルリアは息を潜めて『力』ある者たちの逆鱗に触れないよう慎重に過ごさなければならない。まかり間違ってもきゃんきゃんと元気に吠える目の前の令嬢に反論などしては一発で首が飛ぶのだから。


 特別なんていらない。

 そこらのありふれた平民のように穏やかに一生を過ごせればシャルリアはそれで満足なのだ。



 ーーー☆ーーー



 どうにかアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢という特大の爆弾を爆発させずに放課後を迎えることができたシャルリアは急いで王都の片隅にひっそりと佇んでいる家に帰ってきた。


 自宅兼父親が切り盛りする小さな飲み屋。

 所々汚れが目立ち、名前もない、常連が通ってくれているおかげでどうにか成り立っているような飲み屋ではあるが、シャルリアはそんな店の空気が大好きだった。


 だから帰って早々にボサボサな髪を後ろで一本にまとめて、目元を覆う前髪を純白の百合を模した髪飾りで留めて、エプロンのようでいて動きやすい青を基調とした店の制服に着替えて、開店の準備に取り掛かることも苦じゃなかった。


 何なら基本的に無愛想な父親から『店のこと気にせず遊んできてもいいんだぞ』と言われても笑顔で断るくらいには。


「よお、シャルちゃん。肉待ってきたぞ」


「あっ、いつもありがとっ、ガルドさんっ」


「はっはっ。お礼なら酒で頼むわ」


 声をかけてきたのは父親が昔騎士だった時からの友人であり、冒険者の中では上位の実力者(……らしいが、シャルリアはそういう方面には詳しくないのでよくわからない)左目を眼帯で覆ったガタイのいい隻眼の中年男性だった。彼から毎度のごとく依頼のついでに持ち帰ってもらった魔物の肉を受け取るシャルリア。


 その肉の下処理などをしていればすぐに開店の時間となる。王都の中心にある様々な酒を揃えた飲み屋のように大盛況というわけでもないが、それでも安く早い飲み屋ではあるのでそれなりに客は入ってはいる。


 客層は決してお利口さんばかりではないので、客の数の割には騒がしいものであった。


「シャルちゃん、とりあえず生で!」


「はーいっ!」


 学園では目立たないようにと息を潜めているシャルリアではあるが、見慣れた常連が集まる小さな飲み屋では跳ねるように動き回って笑顔を振り撒いている。そんな彼女に常連は癒されているし、騒がしくも温かな店の空気に彼女も針のむしろのごとき学園で荒れた心が癒されていくのを感じていた。


 と、そんな時だ。

 基本的に金のない冒険者がメイン客層である店内に場違いな、そう、いくら平民が着るような地味なワンピース姿であろうとも隠しようもない美しい女がやってきたのだ。


 というか、どこからどう見てもアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢であった。


(ぶっふふ!? なんっなにっなんで!?)


 危うく両手に積み上げた皿を落としそうになって、どうにか立て直して大惨事だけは防ぐシャルリア。


 それにしても……、


(意味がわからない。こんなっ、おっさんとか冒険者とかが汚い言葉並べ立ててギャーギャー騒ぐような場末の飲み屋に何だって公爵令嬢がやってくるわけ!? まさか私への嫌がらせのため!?)


 一瞬そう考えたが、即座に否定する。

 流石のアンジェリカも嫌がらせのためにそこまでしないだろう。公爵令嬢が単なる平民のためにこんなところまで足を踏み入れるとも思えない。


 思えないのだが、現に目の前にいるのだから反応に困る。


「店員さん」


「ひゃっひゃい!?」


「? 席に案内してくださいませんか?」


「あ、はいはい、お席ねっ。こっちにどうぞっ!」


 そこまで言ってから、シャルリアは己の迂闊さに叫びそうになった。つい『店員モード』で普段のように接してしまったが、平民が公爵令嬢にあんな風に馴れ馴れしく話せば『不慮の事故』待ったなしではないか!!



 と思ったのだが、アンジェリカは怒り狂うでもなく、そのままシャルリアが皿を積み上げた手で指し示した席に座ったのだ。普段のように嫌味を言うでもなく、怒りに任せて魔法を振るってくるでもなく。



 本当何がどうなっているのだと思って、ふと新たな疑問が湧いてきた。


 そもそも、だ。

 シャルリアを見つければ即座に嫌味を言ってくるアンジェリカが何も言ってこないとはどういうことだ?


(まさか……私がシャルリアだって気づいていない、とか?)


 確かに服装は違うし、ボサボサな茶髪を後ろで一本にまとめているし、目元を覆う前髪だって髪飾りで留めていつもは隠れている目が出ているが、それにしてもこうも気づかれないものなのか。


(これぞ不幸中の幸いってヤツだよね。とにかく私がシャルリアだって気づかれないようにしよう。バレたらロクなことにならないだろうし)


 未だにどうしてこんなところにアンジェリカがやってきたのかは不明だが、とにかく平穏無事にやり過ごしてさっさとお帰り頂くしかない。


 というわけで両手の皿を厨房の洗い場に放り込んで戻ってきたら、


「おおっ、べっぴんさんだなあ! こんなところに珍しいことで!」


「ここは店は狭めえし、店長は愛想ねえし、酒は安酒だが、なかなかどうして酒に合ううまい食いもん出してくれっからな! 嬢ちゃんも気に入ると思うぞ!!」


「は、はあ」


(ちょおっ、あんの馬鹿どもなに公爵令嬢に馴れ馴れしく絡んでいるのよお!!)


 仕事終わりには決まって酒を飲みにくるおっさんやら荒くれ者と見間違うくらい柄の悪い見た目の冒険者やらに絡まれているアンジェリカを見てシャルリアは心臓が縮む心地だった。


 いかにこの国に特に飲酒に関して年齢制限がなかろうとも、あんなにも若く綺麗な女がこんな場末の飲み屋にやってくることはほとんどない。現に店にいる客は見事におっさんだの柄の悪い冒険者ばかりである。


 若い女がお酒を楽しむにしても、王都の中心にあるもっとオシャレな店を選ぶのが普通なのだ。


 だからこそ、アンジェリカは注目の的だった。

 酒で頭をやられた常連たちが馴れ馴れしく話しかけるのも無理はない。


 とはいえ相手は公爵令嬢。

 あんな風に絡もうものなら怒り狂った公爵令嬢によって何をされるかわかったものではない。


「はいはい、酔っ払いが若い女の子に絡むんじゃないよっ。新規さんが困っているでしょ!」


「なんだ、俺たちが他の女に構ってて嫉妬したか?」


「そーゆーことは鏡で自分の顔を見て言ってよね」


「うおっ、こりゃ手厳しいなあ」


 常連の馬鹿どもをいつも通りいなしながらどうにかアンジェリカから遠ざけるシャルリア。心臓がバクバクなシャルリアだが、幸運なことに血が飛び散るようなことはなかった。


 理由はさっぱりだが、アンジェリカはこんなところにやってきた。理由はわからない。それでも少なくとも平民の酔っ払いたちに絡まれても我慢するほどには『何か』がある。


 下手につついてもロクなことにはならないだろう。

 だったらいつものように接客してさっさとお帰りいただくのが一番だ。


「じゃあ、新規さんっ。メニューはこれだから、ご注文が決まったら教えてねっ!」


 今更口調を変えるわけにもいかず、『うわ、私公爵令嬢にタメ口だよ、うっわあ』と思いながらも表情には出さず机に置いてあるメニュー表を手渡すシャルリア。


 と、そこで気づく。

 いつものようにと心がけてあんなことを言ったが、公爵令嬢に場末の飲み屋の料理を出していいのか?


 口に合わないからと怒りを買う可能性も高いのではないか!?


「あの、店員さん」


「っ……はいはい、何かな?」


「お恥ずかしながらわたくしこういうところに来るの初めてでして。注文、店員さんにお任せでも大丈夫でしょうか?」


「それはもちろん、全然大丈夫だよっ」


 反射的にそう答えたが、内心は『大丈夫なわけないじゃん、ばっかじゃないの!?』と絶叫するシャルリア。


 お任せだと公爵令嬢は言ったのだ。


 普段から嫌味を言ってくるくらいにはシャルリアのことを嫌っている公爵令嬢がである。もしもここで不味いと怒らせて、しかも何かの拍子に目の前の店員がシャルリアだと気づかれればどうなるか。


 そんなの『不慮の事故』どころか即座に猟奇殺人に発展しても何らおかしくないだろう。


(は、はは。こんなのどうしろってのよおーっ!!)

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