正しいヴァレンタインデーの過ごし方?
私の目の前に全裸のヴァレンタインが現れた。
「我こそは多産と豊穣の神、ファウヌスである!」
警察? 救急車? 呼ぶのはどっち? ちょっと待って、落ち着こう私。どうして私の部屋に全裸のおじさんが仁王立ちしてるの? なにこの幻覚? え? 私が救急車?
あぁ、疲れて見る幻覚なら、せめてもう少し私のストレスを解消してくれるような、優しい幻覚であって欲しかった。正気度を削らないで欲しい。
「いや、我は幻覚ではないぞ。女よ、よく見るがいい」
「い、ちょっと、全裸で迫らないで変態! おじさんの裸なんてよく見たくも無い!」
「我は変態では無い。我の足をよく見てみるがいい」
「……ものすごいすね毛、モジャモジャですね」
「ここまで毛むくじゃらの足の人間がいるのか? 足の先をよく見るのだ、女よ」
「足の先?」
全裸のオッサンの足を見る。ワッサワサの毛の生えた足の爪先は、ヤギの蹄みたいな足だった。よく見ると膝の関節とかも、人の足というよりは馬の後ろ足のような? 毛がモフモフだからヤギ? 羊? 下半身がヤギって、そんな妖精の話があったような?
「見ての通り、我は人では無い。ローマの神の1柱、ファウヌスである」
改めてオッサンをよく見る。顔はイケオジ、全裸だけど。正確には肩には野性味溢れる毛皮を引っかけて、手には杯、頭には花冠。確かに神々しい。全裸なんだけど。
これでスーツでも着てたらイタリア人の素敵なおじ様に見えるだろうな。顔はキリッとしてるから。全裸でさえ無ければ。
何をどうしたら私が、イケてるちょい悪オヤジの全裸の幻覚を見ることになるの? 私の深層心理に何が起きた?
「だから我は汝の幻覚では無いというのに」
「それで、その、ローマの神様? がいったい何の御用で私の部屋に?」
「うむ、我がこうして独身で一人暮らしのまま、仕事一筋でそろそろ30歳になろうかという女の部屋に現れたのは理由がある」
「通報案件ですよね? その上、ケンカ売ってます?」
「明日はヴァレンタインデーではないか」
「ヴァレンタインデーの前日に全裸のオッサンがやって来る、というのは聞いたことありませんが」
「ヴァレンタインデーというのは、現代のルペルカリア祭のことだろう。ルペルカリア祭というのはこの我、ファウヌスの祭祀のことである」
「聞いたこと無いんですけど?」
「5世紀ごろに無くなったからな。しかし2月14日と2月15日に行われるルペルカリア祭が、後にヴァレンタインデーと呼ばれるようになったのだ」
「いえあの、ここ日本なので」
「む?」
「起源とか由来とかどうでもいいんですよ。お祭りで盛り上がれば。日本ってそういう国ですから」
「なんと嘆かわしい。神を称え神の加護を賜らんとする信仰の現れが祭りであろうに」
「日本はクリスチャンじゃなくても、クリスマスとかハロウィンで盛り上がれるんですよ」
「ハロウィンはキリスト教由来では無くケルトなのだが。ま、そのおおらかさが我がここに顕現したことに繋がるのか。だが、こうして我が来たからには正しいヴァレンタインデー、正しいルペルカリア祭というものを教えてやらねばなるまい」
「あの、うちの学校、ヴァレンタインデーでチョコの持ち込みとか禁止ですから」
「堅苦しいな」
「私、これでも教師ですから」
「うむ、ではそこの高校の女教師よ。汝の名前を書いた紙をこの箱に入れるがいい」
自称神様の全裸のおじさまは箱をズイと出す。上に穴が空いてるくじ引きの箱みたいな。そして渋い声で説明する。
「先ず、ルペルカリア祭とは、2月14日に未婚の女性が自分の名前を書いた紙を箱に入れるのだ」
「どうして私がルペなんとか祭りに参加する流れに?」
「ノリの悪い女だな。汝もそろそろ結婚しないの? とか親族に言われたりしてないか?」
「親がネチネチ言ったりしますけどね、あの人達の価値観を押し付けられても迷惑なんですよね。時代が違うというのに」
「何やら家庭に問題がありそうだな。とにかく未婚の女性であれば名前を書いた紙をこの箱に入れるのだ」
「なんの為に? それを聞かないと何をされるか不安なんですけど? というかそろそろ服を着てくれませんか?」
「では説明しよう。2月14日に未婚の女性が名前を書いた紙を箱に入れる。2月15日には未婚の男性がくじ引きをする。紙に書かれた名前の女とカップルになりデートをする。これがルペルカリア祭だ」
「え? メッチャ強引なマッチングアプリ?」
「これが形を変え、くじ引きからメッセージカードとなり、やがては恋心を伝える日となったのがヴァレンタインデーなのだ」
「はー、そんな歴史があったんですか」
「この祭りは人気があって、キリスト教徒がやめさせようとしてからも150年と続いたのだ」
「結婚したい願望のある未婚の人には人気がある祭り、になるのかしら?」
「くじ引きから生まれたカップルがそのまま結婚することもあったのだ。我がこの時代に顕現したのも、多産と豊穣を願う者の祈り故のこと」
「結婚減少と少産化はどこの先進国でも問題になってたような」
「というわけで、そこな未婚の女高校教師よ。名前を書いた紙をこの箱に入れるがいい」
「イヤですよ。私、結婚する気無いですから」
「いきなり結婚まで行かなくとも、1日デートをするだけではないか」
「んー、まあ、1日だけデートするぐらいであれば、お見合いみたいなものですか」
「昼はデートして夜は一夜を共にするのだ」
「イヤですよ! なんで初対面の誰かも分からない人と一夜を共にしなきゃならないんですか!?」
「初対面では無いぞ」
「え? どういうこと? くじ引きでは?」
「我がここに顕現したのも、汝の教え子の男子高校生たちが『先生に童貞を奪われたい』と願う祈りが我に届いたからだ」
「あんのマセガキどもがッ!!」
「そして汝の教え子の男子高校生たちは、ルペルカリア祭を正しく行うために司祭ルペルクスを務めると我に約束した」
「司祭ルペルクス?」
「うむ、ルペルカリア祭の祭司である。祭りの日に全裸にヤギの皮を腰に巻き、その姿で町を駆け回り、豊穣と多産を、と叫びながら、女性を見つけては山羊皮のムチでペチペチと叩くのだ」
「ド変態ですッ!!」
「何がド変態か。ルペルカリア祭とは、男女がめぐり合うことのできる唯一の機会、年に一度の大イベント。民衆に大人気で紀元前から5世紀まで1000年以上も続いた歴史ある祭りであるぞ。現代の常識で紀元前の祭事を語るで無い」
「現代人の私は21世紀の常識で判断しますッ! 腰巻き1つの全裸で町を駆け回り、女性を見つけては叫びながらムチで叩くのはド変態ですッ!」
「そんなにおかしなことか?」
「おかしく無いと思ってるところがおかしい。一刻も速く捕まって下さい」
「汝の教え子達が、先生と一夜を共にできるならなんでもやります、と既に準備万端なのだが?」
「止めてくださいッ! うちの学校はバレンタイン禁止でッ! 変態止まれッ!!」
「そうはいかん。我は男子高校生たちと約束したのだ。くじ引きで先生の名前を引けたら先生とデートして一夜を共にできると。我は豊穣と多産を司る神ファウヌスとして、正しくルペルカリア祭を行うのだ。さあ、名前を書いた紙を箱に入れるのだ」
「それは強制猥褻ッ! 強制ヴァレンタイン猥褻です! おまわりさーん!!」
「女教師と言えば男子生徒に優しく手ほどきするものだろうに?」
「変なエロマンガの読み過ぎみたいなこと言ってる神がここにいますッ!!」
うわあ、このままでは訳の分からない祭りでうちの男子生徒の誰かとデートして夜を? 朝チュンチュン? 大問題発生、教え子に手を出して教師をクビになる? というかどこのバカがこんな神を呼び出した? 私が教えるのは数学で夜の手ほどきとか教えられるかー! 誰かこのエロ神なんとかしてえ!
「とお!!」
え? あれ? 願いが届いた? 突然に顔面を殴られた全裸の神が崩れ落ちてる?
「ふん、ヴァレンタインデーを汚す不埒ものめ」
いきなり現れた人が捻りの効いた右ストレートをメギャとぶちこんで、神は倒れた。私を助けてくれたその人は私に優しく微笑んで。
「もう大丈夫です。ご安心下さい、女教師よ」
「ええと、あなたは?」
「私はヴァレンティヌス。ヴァレンタインデーの守護聖人です」
「ヴァレンタインデーに守護聖人とかいるんですか?」
「はい、2月14日といえば私の命日ですから。ヴァレンタインデーを汚す邪神の手から真実の愛を守ることが、聖人とされた私、ヴァレンティヌスの使命なのです」
「あ、なんか聞いたことある。ヴァレンティヌスって、確かローマ帝国時代、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるとかって、結婚禁止になったって」
「はい、時の皇帝クラウディウス2世が兵士の結婚を禁じたのです。ですが人が人を想う気持ちとは皇帝といえど止めてはならぬもの。私は秘密裏に幾人もの兵士の結婚式を行いました。その私が処刑された日、これがカトリック教会のヴァレンタインデーの起源なのです」
「あ、なんかそっちの方が恋人たちの日として綺麗でイイ感じですね」
「そうでしょう。それをくじ引きで決まった相手と乱交する日のどこに愛や恋があると言うのですか」
「ありがとうございます。これで問題を起こさず、学校をクビにならなくて済みそうです」
「いえ、私の聖人としての務めはこれからです。このヴァレンティヌス、恋人たちの守護聖人としてあなたの片想いの成就に力を貸しましょう」
「いえ、私は片想いとかしてませんよ?」
「恋愛の聖人たる私に恋の隠し事などできませんよ。あなたはクラスの担任になってから、教え子である如月弥生さんに懸想していますね?」
「な、なな、ナンノコトデスカ?」
「高校教師が未成年の教え子に想いを寄せてしまうとは、」
「うああ! お願いします! 黙ってて下さい! バレたら不味いってずっと隠して胸に秘めてたのにい!」
「ずっと苦悩してきたのですね」
「いやだって、その、相手は未成年で同性で、こんなの弥生たんに知られたら嫌われるううう! 懲戒免職になる!」
終わる。私の人生終わる。こんな邪な想いを弥生たんに知られるわけにはいかない。できれば弥生たんには尊敬できる先生と記憶に残りたいのに。軽蔑されたくないし学校をクビになりたくもない。どうしよう?
「何も不安になることはありません。私は恋人たちの守護聖人ヴァレンティヌス。あなたの恋のお手伝いをしましょう」
「え? あの、お手伝いとは?」
「この私は皇帝に抗い処刑されるまで、幾人ものカップルの結婚式を行ってきたのですよ。私が聖人としてあなたと如月弥生さんの結婚式を行おうではありませんか」
「いえあの、弥生たんは私の教え子で未成年で、」
「恋愛とは障害があってこそ燃えるもの。相手が学校の生徒? 教え子? 未成年? 同性婚? ふふ、例え掟や法律や倫理に抗おうとも、この私が結婚させてみせましょう。むしろ燃えるッ!」
あれ? この聖人もなんだかおかしい?
「あいたたた、人の分際でいきなり神の顔面を殴るとは」
あ、全裸神が目を覚ました。ずっと気絶してたらいいのに。
「ヴァレンタインデーとはこの神ファウヌスの祭祀、あとから出てきたキリスト教がおかしな改変するで無いわ!」
「ふん、邪神の淫らないかがわしい祭事など認められるものですか」
「聖人と奉られて調子に乗っておるようだが、人が神に勝てると増長するとは。身の程を知れ!」
「もはや崇める民もおらぬ古き神がいかほどのものですか? 人に忘れられた淫らな儀式など復活はさせませんよ」
「我を崇める民はいる! そこの女教師に童貞を奪われたいと純真に願う男子高校生たちの祈りが我を現界させたのだ! 我を崇める新たなる信徒の為に、我は現代にルペルカリア祭を復活させる!」
「させません! 清く正しい恋人たちのヴァレンタインデーを守るため! そこの女教師と女子高生の同性婚を成立させるため! このヴァレンティヌスは一歩も引きません!」
全裸の神と聖人が睨み会う。私の部屋で。何この状況?
私が男子高校生とデートして一夜を共にするか、それとも女子高生の弥生たんと同性婚するのか、全ては明日のヴァレンタインデー次第。
今、私の未来を決定づける神と聖人の最終決戦が始まる。
「ファウヌスレッグラリアートッ!!」
「ヴァレンティヌス聖スクリューブローッ!!」
ヴァレンタインデーって、なに?