命だけは助けてくれませんか
証明する身分もなく、自身がここに来た経緯も何も話すことができないのであれば、話せない人になるしかない。
つまり記憶喪失者になるしかない。 焦りと恐怖で、半ばヤケになってしまってた部分もあったと思う。
俺の怒声を正面から受け止めた髭の男は、豆鉄砲でも喰らったように、きょとんとした表情を浮かべていた。
そして、左右にいる男たちと何やら視線を交わすと、3人とも腹を抱えて大笑いを始めてしまった。
「――おいおい、旅芸人か何かなのかお前は? それか道化か? この状況でいい度胸をしてるもんだぜ」
肩を震わせている大男3人の前で、俺はなんとか決死の形相を造り上げる。 一度言ってしまった以上、もう後戻りはできない。 ただただ必死に「何も覚えていない」と言い張り続け、記憶喪失を装うことしかもうできない。
やはり悪手だったか、じわじわと後悔の念が押し寄せ始めてくる。
しかし、少なからず印象の変化があったのか、俺の発言は全くの無意味というわけでもなかったようだった。 思わぬ一言が目の前で飛び交う。
「ロウ、こんなバカなこと言うやつが、何か企むとは思えねぇんだが」
「俺も同感だ」
俺の反論はかなり斜め上を行ったようで、左右で腕を組んでいた男たちが、ロウと呼ばれた髭の男に向けて意見を言ってくれている。
決して味方をしてくれているわけではないが、これは助け船とも捉えることができる。 もっと言ってくれ、頼む。
「本当なんです…信じて下さい…」
これ見よがしに頭を垂れ、小動物が鳴いているような弱々しい声で訴えてみる。 悪人であったならば、こんなか弱い姿を見せるはずがない。
察するに、このロウという髭の男が中心人物なんだろう。 表情は見ることはできないが、ロウは唸りながら考えているようだった。
必死に記憶喪失者っぽく振る舞ってはいるものの、一応どこかからルシファーが見ていないかどうかを、バレないように周囲をチラチラ確認してみる。 ほんの僅かではあるが、助けてくれないかなという期待はまだあるのだ。
しかし、やはりどこにもいない。
もしかしたら透明になる能力でも持っていて、すぐ側で見てるんじゃないだろうな。
怒りが表情に出てしまっても見えないように、俺は再度俯く。 あいつに関しては、どんな能力を持っていても不思議はない。
「だが……ここらでは見ない服装といい、やはり自由にするのは…」
左右の男たちの意見に耳を傾けている様子ではあるが、依然としてロウは眉をひそめたままだった。 怪訝な眼で吟味するように俺を見てくる。
当初の身が縮こまるような雰囲気は消失しているという点では、少し進展しているかもしれない。 流石に棍棒で脳天を一撃、という事態は避けられた、と思いたいところだ。
しかし、疑いは決して晴れていないのはわかる。 なんとかしなければいけない、俺の掌は汗でびっしょりだ。
もう一押し、もう一押しいくしかない。
勢いよく頭を振り上げ、心の叫びを演出するように叫んでみた。
「――本当なんです、本当なんですよ!! 頭がガンガンするくらい痛くて、思わずここで休んでしまっただけなんですよ!」
情緒不安定か。 と自分でも突っ込みたくなる。
繰り返し「本当」「本当」と言う言葉が次いで出てしまうのが、俺の焦り具合を物語っている。 かえって怪しく見えなければいいのだが。
正直なところ、演技は得意ではない。
しかし、命が関わるとなれば話は別だ。 恥ずかしいだのどうだの言っていられない、言い出した以上は貫き通すしかないのだ。 背に腹は代えられないというやつ。 願わくば、この姿をルシファーに見られていないことを祈るばかりだ。
いや、見ているならすぐに助けろと言いたい。 こんな序盤でなんでこんな目に…。
「…そうは言われても、判断のしようがないな…」
ロウは左右を一瞥し、ぽりぽりと頬を掻いている。
俺の悪あがきにより、場の空気は「どうするんだよ、これ」感に包まれていく。
これ以上何かを言っても効果は見込めないか。 なにか証拠のようなものを提示できなければ。 だが、そんなものはないのだ、どこにも。
何も言う事ができないから、記憶喪失を装う羽目になっているんだから。
かくなる上は泣き落としか。
そんなことも考えたが、男の涙に需要などあるのか。 そもそも役者じゃあるまいし、そう都合よく涙などでない。
「…お願いします、命だけは助けてくれませんか…」
ここらへんが限界か。 もう命乞いくらいしか何も言葉が浮かんでこない。
きっと牢屋のような場所に監禁され、取り調べを受ける日々が待っているのだろう。 この様子なら殺されることはたぶんない、大丈夫だ。
必死に自分へ言い聞かせて平静を保とうとする。
そんな諦めが頭をよぎり始めていた時のことだった。 思いもよらないところから、声が飛んできた。
「その人、たぶん本当に記憶がないよ」
幼い女の子の声がどこかから聴こえてきた。
俺は内心安堵した、やっとルシファーが来てくれたのか、と。
しかし、俺の視線の先には、ルシファーよりも一回り小柄な子供が映っていたのだ。 何が起きているのか、今一つ飲み込むことができない。
女の子は大きな三つ編みが特徴的で、建物の陰に隠れるように立っていた。
訝し気な視線を女の子に向けたロウは、「なぜわかる」と問い掛けた。 すると、女の子は三つ編みを揺らしながら、ずいずいとこちらへと近づいてくる。
「入ってきたとこまでは見てないけど、その人がさっき1人でボソボソと喋りながら歩いてるのは見てたの。 なんか様子おかしかったもん、普通じゃない。 まるで見えない誰かとお話してるみたいだった」
たどたどしい口調ではあるが、女の子はきりりとした表情をしてロウに訴えていた。
そして、異質な者を見るような目で、俺を一瞥する。 だが、それは決して俺に対する警戒心の現れというようなものではなく、何かが気掛かりといった眼差しに見えた。
なにがなんだか理解が追い付いていないが、思わぬ助け舟到来、と考えていいのか。
「本当か、メイビ」
どことなく懐疑的な目つきをしながらも、ロウは悩ましげに頭をぼりぼりと掻いている。
俺は目の前で繰り広げられる会話を、黙ってみていることしかできなかった。
おそらく、最初にルシファーとダラダラ歩いていた時くらいから、この子は俺の事を見ていたのだろう。 その時ぐらいしか、目撃されるタイミングはあるまい。
だがそうなると不可解になるのが、ルシファーの存在だ。 間違いなく、あいつは俺の横を歩いていた。 にも関わらず、この女の子の発言には奴の姿はない。
つまりはだ、これから示される仮定として、あいつの姿は普通の人間には見ることができない、と考えるのが自然なのか。 あの悪魔、恒例パターンの、俺にしか見えない存在だったのかい。
しかし、今回はそれが幸いしたのか。
「本当だよ! 見てたもん」
強調するように再度声を出し、胸を張るメイビという女の子。
幸いにも、この子の登場で、男たちの俺へと向ける視線は、徐々に憂わしげなものへと変わっていった。 なんて出来た子供なんだ。 ルシファーが悪魔なら、この女の子は間違いなく天使だった。
◇
なんだかんだ、メイビの証言のお陰で、さきほどまで俺を訝し気に見ていた男たちは、「記憶喪失で迷い込んできた人間」として断定してくれたのだった。
記憶のない人間への情け、記憶がない以上悪さはしないだろうという予想。 あとは、俺が悪人面じゃなかったことが幸いしたんだろう。
つまり助かったのだ。 大人しく首を垂れて解放の時を今か今かと待っていると、ロウが側にいる男へと指示を出し、拘束を解き始めてくれた。
「たぶん頭でも強く打ったんだろうなぁ」
縄を解いてくれている男は、悩まし気に呟く。 どこか気の毒そうにロウはこちらを見ているが、ずっしりと重い口調で、
「一旦は開放するが、君の状態次第ではまた縛り上げることになるかもしれない。 そこは理解してくれないか」
そう言い、すぐ隣でくっついているメイビの頭を撫でていた。
俺は口を開かなかったが、コクンと頷く。
――一時はどうなるかと思った。
だがしかし、なんとか結果的に首の皮一枚で繋げることができたのだ。
メイビには、感謝してもしきれない。
緊張がほぐれていくと同時に、俺の中に湧きあがってきたのはルシファーへの苛立ちだった。
あの悪魔め、一体どこで遊んでいるんだ。
あやうくこの場で撲殺、あるいは監禁されて自由を奪われるところだった。