ルシファーとシンプソン
展開遅くてスイマセン…
よくあるパターン、なのだろうか。
ふと気が付いた時、俺は壮大な草原の一角にある丘の上に立っていた。 だが、己の目を疑うようなとてつもない風景が広がっていた。
空は雲一つ見当たらないあっぱれな晴天、そよそよと吹き抜けていく心地よい風は、足元の原っぱを揺らしている。 そして、視界いっぱいに広がっている雄大な山脈、頂上は雲がかかっており何も見えないほどだ。 一言で表すのなら、絶景。
「おぉぉぉぉお……」
無意識に声が出てしまっていた。 人間というのは、心の底から感動すると勝手に口が開いてしまうらしい。 丁度今体験したばかりの経験談ではあるが。
何より素晴らしいのは香りだった。 日本では嗅いだことの無い、純度の高い自然が生み出した至宝のような香り、他に例えようがないのは俺の語彙力が不足しているからだ。 日本はおろか、海外のあらゆる場所でも、この風景に勝るものはないだろう。 ここに立つことができただけで、異世界に来た意味があるというものである。
「ねぇ、なにボーっとしてんのぉ?」
横を振り向くと、きょとんとした表情の悪魔がこちらをもの珍しそうに見ていた。 そうか、いたのか。 あまりの超感動に存在を忘れかけていた。
俺は思わず、悪魔の両手をがっしりと掴んでしまった。
「悪魔様! 望みを叶えていただいて本当にありがとうございます…!! 本当は悪魔なんかではなく、天使様なのではないですか」
全身全霊のお礼を述べなければ気が済まない。 しかしそんな俺とは対照的に、眉をハの字にして首をかしげている。
「なに考えてるのか完全に理解不能なんですけどぉ~? それに悪魔のボクを天使呼ばわりするなんて、この上ない侮辱だってわかって言ってますぅ?」
語気の強さとは裏腹に、顔は半笑いでヘラヘラしている。 だが奇異な目で見られていることには変わりはなかった。
きっと、この悪魔は俺が絶景だと思うような風景も、日常的なものとして見えているのだろう。 それか、人間の価値基準と全く異なる美的感覚を持っているのか。
まぁそんなことはこの際どうでもいいが、こんな場所に連れてこられてしまったからには、こいつを異質な存在として認めざるを得ない、完全に完敗だ。 痛苦しい中二病患者などと呼ぶことはもはやできそうにない。
「ッ!! 生暖かい目でこっちを見るのやめてぇ! なぁ~んか無性に腹が立つっていうか、失礼なこと思われてそうっていうかぁ…」
じっとりとした目つきで、こちらを見てくる。 思わずドキッとしてしまったが、どうやら俺の目線に嫌悪感をもった程度のようだった。 可能性の話だが、時間停止や異世界転移なんてぶっ飛んだ能力を持っているなら、心を読む程度の能力も持っているのかと考えてしまった。 だがそれは杞憂に終わったらしい。
不満げな顔をしながらも、大事そうにライトノベルを胸に抱えている様子を見て、今更ながらふと思うことがあった。
「…そういえば聞いてなかったけど、名前って何なの? というか、悪魔って名前とか持ってんの?」
何の気なしに質問を投げかけてみたのだが、想像したような反応は返ってこなかった。
「はぁ~? なんでボクが名乗らないといけないんですかぁ? その辺に生え散らかしている雑草程度の存在に? 馬鹿言うのもほどほどにしてもらえまぁ~す~?」
悪魔はこちらを見下すような眼光で口を尖らせた。 目線は俺の方が高いから、どう頑張っても見下すなんてことはできないんだがね。
しかし、意外といえば意外だった。 てっきり水を得た魚のように、猛烈自己紹介が始まるのかと思いきやだったのに、だ。
「あぁ、じゃあいいよ」
とはいえ、反抗的な態度を取られると、腹が立つことには違いない。
「ちょっと! 待って待って!! も~ちょっと食い下がらないぃ!? もしかしたら言っちゃうかもしんないよ!? ポロっと! 本当にお前はノリが悪いというか、釣れない奴だ!」
袖をぐいぐい引っ張って牙を剥いてくる。 だんだん悪魔の扱い方がわかってきたような気がする。 悪魔の扱いというと凄いように聞こえるが、子供の扱いと言い換えても遜色ない。
「じゃあ教えて」
「そぉだね~~じゃあこうしよう! お前がいた世界では、悪魔のことをなんて呼ぶんだ? それも最上級で最強で無敵なやつだよぉ~!?」
結局言わんのかい。 特に興味があったわけではないが、肩透かしを食らってしまった。 相手にするのも正直めんどうではあるのだが、目の前で瞳を輝かせている少女?を相手にしないわけにもいかない。
悪魔の名前、パッと思いつくのは数少ない。 天使であれば、割とたくさん浮かんでくるんだが。
「俺の知識不足で大変申し訳ないんだが、正直サタンとかルシファーくらいしか思いつかないな」
「るしふぁーっ!! それ、それがいい! なんか洗練された悪みたいでグッときた! るしふぁー! ルシふぁー!」
急遽始まったルシファーコール、本当にそれでいいのか。 当の本人が満足ならそれでいいといえばいいのだが。 腕をぐいぐい振り上げ、猛々しく連呼する様子を見ていると、なんだか微笑ましい。 妹がいたらこんな気分を味わえるのかなぁ。
ルシファーという名前がカッコイイかどうかは置いておいて、益々中二臭い存在へと成り下がってしまった目の前の悪魔。 こいつを呼ぶときは今後、ルシファーか。 なんかこっちまで気恥ずかしくなるから、本当の名前を名乗って欲しいものだった。
「ふふん、これからボクはルシファー! うやうやしく呼んでくれたまえ」
「あぁ、ルシファー。 頼りにしているよルシファー」
腰に手をあてて、高笑いを始める悪魔改めルシファー。
詳しくは知らないのだが、ルシファーというのは堕天使であり、元々は天使だった存在だよ、というのは言わない方がよさそうであった。 せっかく気に入っているのだから、気を悪くさせてもよくない。
満足そうな顔ではにかむルシファーを横目に、俺は彼方に佇む山々を見ていた。 その時、山脈の麓辺りに、何やら建物の屋根のようなものがいくつも立ち並んでいるのが目に付いた。 村というには少し規模が大きいような気がする、街という表現が正しそうだ。
だが、この丘からだとかなり距離が離れている、何キロくらいあるということはわからないが、歩いていけば1日や2日では着きそうにもない。 だがあそこへ行けば、この世界の人たち、異世界人にお目にかかることができるだろうと思われた。
霞んで見える街の姿について問おうとルシファーへ目をやると、
「せ~っかくボクに相応しい名前を考えてくれたんだ、今回は特別にこのボクがお前の名前も考えてやろうじゃないか!? どうだ、光栄だろぉ?」
浮足立った様子でこちらを凝視していた。
何を言っているだこいつは、俺には普通に名前があるし、別に隠すつもりも毛頭ないんだが。 それよりも街の方が今は気になる。
「いや別に結構だ。 俺の名前はたな」
――そう言いかけたとき、なぜか途中で口を動かすことをやめてしまった。
俺の名前は田中勉。 平仮名に訳すと、たなかつとむ、だ。
「あぁ~ん? なんだってぇ~? せっかく羽虫同然のお前の名前を、ボクが直々に考えてやろうって言ってるんだよぉ?」
ルシファーは不満そうに眉を吊り上げている。
そう、俺の名前は田中勉、いわゆる普通中の普通の名前。 いや、もはや普通過ぎて逆に新しいのかもしれない。 だがしかし、せっかく異世界まで来たにもかかわらず、この名前はどうなんだ。 もっとこう、あるんじゃないのか。
俺は謎の葛藤に頭を抱えつつ、とりあえずルシファーの申し出を聞いてみることにした。
「いやいや、すまない。 今のは冗談だ、よかったら何か考えてみてくれないかな」
別に、本名に不満があるというわけでは一切ないのだ。 誰に対して説明をするでもなく、ポンポンと言い訳のような言葉が湧いて出る。 ただ、この世界では何か違う、別の自分を一時的に名乗ることくらい、許されてもいいのではないのか。 そう、いいはずだ。
「ふんふん、素直でよろしいじゃ~ないかぁ」
もちろん、名前と言っても名前によるが。 お世辞にも、ルシファーのネーミングセンスは良さそうとは思えない。 場合によっては自分で何か考えたほうがいいだろう。 ただやはり何だか気恥ずかしさを感じてしまうのは、俺が大人になってしまったからなのか。
しばらく「う~ん」と唸りながら空を見上げていたルシファーだったが、長考を終えると、ほんのり口角を上げながら俺の名前を発表した。
「お前は……シンプソンだ! うん、シンプソン! これで決まりぃ~! 英雄みたいな良い名前じゃぁ~ないかぁ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ね、なぜか大喜びしている。
何がいったい楽しいのかは知らないが、想像していたよりも尖っている名前ではなかったので、密かに胸を撫でおろしている自分がいた。
「シンプソン…ねぇ」
元の世界でも、海外の人で普通にありそうな名前。 某大国の中流階級家庭という設定で、レモン炭酸飲料をがぶ飲みしているようなイメージを彷彿とさせるものの、この場で一蹴してしまうほど悪くはない。 検討する価値はなくもないように思われる。
「オッケー、もう少し検討してか」
「さぁさぁシンプソンよ! こんなところで突っ立っていてもラチがあかないよぉ? どんどん先に進まないと~! それともぉ、ボクの決めた名前に不満でもあるのかな?」
俺の言葉を遮るように口を挟む。 そして、猛禽類の如く鋭い目つきでこちらを睨みつけてくる。 よほど、自分の考えた名前にケチをつけられるのが嫌らしい。
まぁ、普通すぎず、異端すぎずの名前を自ら考えておこう。 ルシファーには好きに呼ばせといてもいいが、俺は俺でしっくりとくる名前を名乗りたいのだよ。 不敵な笑みを浮かべるルシファーを、内心鼻で笑ってやった。