拓くこと 君に友達はいらない
おおきな志がいつだって世界を変革する。おおきな目的と展望を描こう、そこに感動は生まれて人を動かす流れが生まれる。この内容が頭に残った。明治維新やアメリカの独立、なんだっていいが変革は新しく単純な野望であることだ。ばかげているし相手にされない。けれどもそれが実現してほしい、なんとか実際にことが起こせないだろうか、そんなひとりの願いからすべては始まる。やりたいことをとことんまでやる、突き詰める、妥協しない、最善をどんな手段を使ってでも尽くす、そんな感じだろう。新しいこと、それが変革と同じ意味を持つ気がした。誰もが考えていなかった、今まで作ってこなかったものを新しいスタンダードにすること、それは世界に新しい概念をプレゼントすることだろう。なかったものがこの世界に存在してこののちの世に残っていく、その主体を自分がなす。甘美でワクワクする。一人の人間が生み出した世界がすべての人間の目に触れてそのアイディアを何かしらの形で使うこと、これはこの世の中にあふれているなんにだって言えることだ。バイク叱りスマホ叱りこのワードでさえも誰かがすでにこの世界に生み出した考え方だ。これからの世界に自分がそういうものを残すこと、これはおもしろい。誰も踏んでない雪の上に足跡を残す感覚だ。道の上を人が歩くのではない、人の歩いた後が道になるのだ。その道は自分の後についてくる、自分の歩みが道を作る、そのあとにすべてがついてくる、そういう拓く存在になることにわくわくする。新しいこと昨日まで世界のだれもがやらなかったことを今日の自分はやっている。これってすごいことだし、やれたらめっちゃかっこいい。いろはすの話が頭に残っている。コカ・コーラが新しい飲料水を作りたいです。けれどおいしいみずやら、どこぞの天然水のおかげで市場は飽和しています。売る場所ありません、どうするんですか。産地はダメ、水の硬い、柔らかいも既にある。何が新しいものなんだろう。そうだボトルだ。これをやろう。実際にどんな水よりもそれが売れた。いろはすだ。誰も触らなかった場所こそが新しい海になる。無限の広がりと底のない深さを持つ、そんな市場になっていく。そこに一番最初に飛び込んで一番最初に誰よりも新しい感動と出会うこと、それこそが最初に手を出した人間の特権だろう。甘い蜜が出ている木にはすでに強力なカブトムシたちが独占している。とてもじゃないがカナブンは甘い蜜にありつけない。ならばどうするのか、新しい木を探すしかないのだ。カブトムシと戦うためにカナブンが筋トレをすることは努力とは言わない。時間の浪費だと思う。持っている羽と木につかまるための手足の使い道を選べるカナブンこそが生きながらえる。それ以外はそうそうに飢えて地面に転がって飛ぶことはかなわない。空を飛ぶことができるやつは自分の使い方を自分で選べる奴だ。新しいまだ見ぬ場所に触れてみる、憧れや何かからことを始めるにあたっても変革を起こしたいなら新しい海を見つけることだ。そこで力を蓄えて大きくなることだろう。広い視点を持つこと、これも自分の海を見つけるためには必要なことだろう。魚は水を得て本来の力を発揮する。その際に得る水は広ければ広いほどいいし深ければ深いほど都合がいい。その分広く自由に泳ぎ回れるからだ。そういう場所を見つける意味で自分の畑を区切らないことが重要だ。自分はいつもトマトを栽培している、しかしどうやら隣の畑では花だけ咲いて何も実らせない草を育てている。なんだあのうつけは、そんな感想を抱くことがあってもいざとなりの畑に行ってみると地面の下にまだ見ぬ宝を育てていることだってざらにある。自分の目で見えている以上のものを他人の眼は知っている。だから新しい世界を広げることはまだ見ぬ人間と出会うことなのかもしれない。違う畑にお邪魔して育てている作物のことやその育て方を教えたり教えてもらう。新しい知見が広がって自分の畑に応用できる手札が増える。それだけ使える手の組み合わせも技術も増えてくる。そうやってできることを増やしていって新しい大きなものを作ること、これがきっと楽しい。高い危険性と代償を伴うがその分得られる見返りは大きい。こういう誰も触れないいがぐりに手を突っ込んでおいしい実を得ることが新しい世界の広がりにつながる。人の可能性や熱意に投資することがそれにあたるのかもしれない。まだ伸びるかわからないし何が実るかもわからない、このまま放っておくとそのまま枯れてしまうかもしれない。けれどもここで自分が肥料と水を買い与えればひょっとするととんでもないくらい大きな木になってたくさんの実を結ぶかもしれない、そんな若い芽に与える水と肥料が投資の本質なのだろう。自分の作り出す流れに周囲のチカラを借りること、そのためには自分の熱意や野望を相手に伝えることだ。これから大きなことがおきる、何かが変わる、そういう自分が感じている高揚を相手にも感じてもらうこと、それがチームで動く最初の一歩だ。チームはそれぞれの欲望を達成するための手段でしかない、そういう自分の欲望がむき出しの集団のほうが強い。なぜならひとは結局は自分のためが一番頑張れる。自分の根源的な感情、その人のもつ底の部分にある強い欲望にどれだけ働きかけて熱を持たせることができるのかが群としての強さにかかってくる。意外なところにつてはある、そのつてを広げたり探すためにも広く畑をのぞいてみることなのかもしれない。かかわりを持って深め合うこと、これって楽しいが難しいことだと思う。自分で脚本を書いて自分で演じろ。その物語には登場人物がいる。道を共にするやつ、道の途中で話すやつ、助けられたり手伝ったりする関係、仲良くなってところどころ協力するやつ、いろいろいる。あえてマイナスな方面は書かない。うんざりするし、そういう関係は少ないほうが前に進めるからだ。ただどんな出会いにも学びはあると思う。だからすべての出会いに感謝して自分の縁に感謝したい。すべての経験がきっと自分の前に進むためのチカラになってくれるから。グーみたいなやつがいてパーみたいなやつがいてチョキみたいなやつがいる。ゲームが変われば歩みたいなやつがいてこれから大きく変わろうとしているかもしれない。応援してやりたい。いろんな特性の奴がいろんなゲームで戦っている。その特性や特徴を組み合わせて新しい楽しみを作ること、そうやって楽しめる領域を広げていく。見える世界、できることの応用範囲が広がってまだ見ぬ楽しみに触れていける、そんな楽しみ方がしたい。ひとつの戦場で研いだ刃は別の局面でも鋭さを発揮する。それが楽しい。たとえその刃がおれようが研いだ経験と鉄に触れた時間は決して消えない。新しく美しくも実用的な刃に生まれ変わるかもしれない、世界を拓く刃になり得るかもしれない。使い手次第だ。大切なことはなんのために磨くのか、なんのためにふるうのか、それだけだろう。でかい海を拓きたい。