六日目
夢の中であーちゃんは笑っていた。
私も笑っていると思う。
今は数歩分の距離で、すぐにでも彼女に触れることができる。助けることができる。
最初からやりたいことは変わらないんだ。
声を掛ける。
手を伸ばす。
一歩足を踏み出す。
昔の自分とは違うんだ。
ただ泣いていた時の自分とは。
*
三度目となる神社。
今の私には、禍々しく映る。
あれ以来、あーちゃんからメールが来ることはない。代わりにマヤちゃんから『今日も休み? 生きてるー?』と連絡が入っていた。
彼女には正直に、神社に行ってから学校に行くことを伝えた。
早く、あの人に聞かなきゃならない。真実を。
鳥居をくぐり、石畳みの道を抜ける。
拝殿の近くに宮司さんを見つけた。彼は人の良い笑顔で手を振ってくれた。その裏の顔を知っている私からすれば、胡散臭さしかないけど。
でも冷静に考えれば、巫女さんの話を鵜呑みにするのは危険でもある。彼ではなく、彼女が何かを企てたなら……。
いや、それをはっきりさせる為に来たんだ。
先入観で物事を考えてはいけない。
「おはよう。また来てくれてありがとう。今日は学校じゃないのかい?」
「——あなたに聞きたいことがあって来ました」
私の真剣さに気付いたのだろう。
驚いたように目を開き、再び笑んだ。
「大切な話のようだね。暑いし中で話そうか」
そう言って、社務所に向かった。
巫女さんは来ていないのか、別の場所を掃除しているのか、姿が見当たらなかった。
「彼女は夕方からだよ。一応、大学生だからね」
気付いた彼はそう言った。
そっか、毎回夕方頃には居たからずっと居るものだと思っていた。そもそも私がここに居るのも異例なわけだし。
「君が聞きたいのはどんなことかな?」
「一年前のことです」
言葉を選ぶ。まず疑問を解消する前に確認しよう。
「事件についてどこまで知っていますか?」
「神社裏で女子高校生が首を切って自殺したことだね。あの子が見付けてくれたんだ。その後は大変だったよ、警察に連絡して事情聴取されてね」
「では、彼女が自殺した理由はご存知ですか?」
「いいや。警察も聴くだけ聴いて教えてくれなかったよ。闇の中さ」
「事件前後で変わったことはございましたか?」
「前、は分からないね。悲鳴が聞こえて、駆け付けたら死んでいたんだよ。後は、神社に訪れる人がめっきり減ったことくらいかな」
聞いた限りおかしいところはない。
でも不思議なところはある。
「女子高校生のことについて、本当に知ってることはありませんか?」
「ああ。全く」
「では、なぜ名前を知っていたんですか?」
「名前? いや知らないよ」
嘘だ。なぜなら彼は最初に言っていた。
「……『アケミちゃんには何の罪もないのにね』。あなたはそう言ってました」
眉が動く。彼は困ったようにこめかみを掻いた。
「そうだったかな。覚えてないよ。あの時は覚えてたんじゃないかな?」
しらばっくれる気だろうか。
やっぱり怪しい。
「質問を変えますね。本当に彼女のことを知らないなら、彼女と親類であり愛していた、という話がたくさん出てくるのは不思議ではありませんか?」
たくさんは嘘。しかしこれで十分だ。
彼の表情は驚愕に歪み、さっと顔色が悪くなった。隠しようもなく図星の反応。
「……本当に……ああ……いけないなあ……」
ついには様子がおかしくなった。
まずい。
後ずさりして、カタンと背に壁が当たる。いや棚? クローゼットだろうか。観音開きのドアが衝撃で開いた。
「————ッ!」
隙間から見えた光景に固まる。
裸体の女性が縛られてグッタリした様子。
白い肌には裂傷とアザが目立つ。
彼女は、巫女さん……。
「ああ、気付いちゃったかあ……ダメだな……他人のものは勝手に見ちゃダメじゃないか……君といい、彼女といい、プライベートを侵すイケナイ子たちだね……躾けないとね? 神様もお喜びになる……」
肩に食い込む骨張った手。
力が強い!
慌てて押し飛ばして離れた。
足をもつれせながら、ドアノブを捻る。
開かない。冷静に鍵を開けて外に出ようとするが、間に合わなかった。
グイッと引っ張られて首が締まる。
「ぐっ……! ぁ……」
「大人しくしようね? 大丈夫だよ。トモダチも一緒だから、ね?」
終わりだ。ここまで狂ってるなんて思わなかった。息が出来ず、意識が朦朧とするのが分かる。ぼんやりする視界に、映る姿。
あー……ちゃん……。
「——シイナちゃんッ!」
聞き覚えのある声に、身体に走る衝撃。
「なん……で……」
「はあっ……はあっ……。私は、シイナちゃんの大親友で、救世主でありたいからね」
マヤちゃんが居た。学校にいるはずのマヤちゃんが。
私をおんぶしながら奇声を発して走り出す。
ザッザッザッ……。
砂利が悲鳴をあげる。
社務所を出て、手水舎を通り過ぎ、鳥居を抜け——。
そこで記憶は途切れた。
*
「……ん……」
夢を見ていた気がする。
痛む頭を押さえて起き上がった。
「よかった」
目の前にはマヤちゃん。思いっきり抱き締められた。苦しいくらいの抱擁。ギブギブと背中を叩く。
「ほんっとよかったああああああ!」
ニコニコとバンザイ。安心の度合いから、あの悪夢の出来事は夢ではないと悟った。
「ありがとう」
真相を知れて、気持ちは晴れるどころか曇ってしまう。
あの人は、宮司はあーちゃんを殺し、さらには巫女さんに酷いことをした。そして私にまで危害を加えようと手にかけた。紛れもない犯罪者。
あーちゃんは自殺なんかじゃなかったんだ。
だから返信も出来なかったのかもしれない。
「そ、そうだ。お姉さんを置いてきちゃった……」
「いやそれどころじゃなかったでしょーに! 大丈夫、さっき警察に連絡したから」
マヤちゃんの言葉に一安心。警察が出てくれば何とかなるだろう。なんたって被害者で証人がここにいるのだ。
「よく来てくれたね。びっくりしちゃった」
「びっくりはこっちのセリフ。最近になって事件にこだわるし、昨日は体調不良で休んじゃうし。今日は珍しくズル休みしてるんだもん。緊急事態に決まってるじゃん? そりゃ駆けつけるよ!」
「そんなに?」
「うん。だってシイナちゃん、皆勤賞逃しちゃったよ?」
「皆勤だったの?」
「おい本人!」
て、今さら気付いたけど、ここはマヤちゃんの家?
「マヤちゃん、どうしてここに来たの?」
「ん? どうしてもこうしても、シイナちゃん家に行けないよー。ニイナちゃんとシイナママに見付かったら困るだろうし、家の鍵は持ってないし、あれにはシイナちゃん家はバレてるし。メリットの一つもないじゃん」
そっか。確かに二人にこんなこと説明できない。
それにあのストーカー宮司のことだ、あーちゃんのみならず私の存在も知っていたに違いない。追い掛けるとしたら私の家に向かうだろう。……?
そこで違和感に気付いた。
いや、気付いてしまった。
「マヤちゃん」
「んー?」
「なんで宮司さんが私の家を知ってるって、断言したの?」
一瞬、時が止まったように錯覚した。
マヤちゃんの表情は特に変わっていない。
なのに、どこか寒い。
喉が渇いて、手に汗が滲み、ドクドクドクと鼓動がうるさい。世界が変わってしまったかのような異質な空気と、身動ぎさえ出来ないくらい緊張した空間。
一瞬のことが頭の中で巡り、警鐘を鳴らし始める。
言い間違えたと言ってほしい。嘘だと言ってほしい。
そう、断言するのはおかしいのだ。
彼女が宮司について知っているのは、“あーちゃんの叔父だ”という情報。彼がストーカー気質であーちゃんを盗撮していたことも、歪んでるくらい愛していたことも、知るはずがない。
知っていたら、はじめから言っていただろうし……。
あーちゃんの叔父だから私の家を知っている。ならまだ筋が通っていて分かるけど、断言するほどではない。
彼女の口振りはもっと、宮司を直接見てきたような、知っているような感じ。
「ちょっとした言い間違え! ごめんごめん!」
取り繕う笑顔にヒヤリとする。
「……あー……そんな怖がらないでよー。ダメかあ。せっかくお膳立てしたのに、こんなヘマしちゃうなんてなー」
「どう、いう……?」
「へへへ、欲しいものを手に入れる為なら手段は問わないよ? でもなるべくなら私を見てほしい。心も捧げてほしい。そう思うのって当然だよね?」
言ってる意味が分からない。
「これは仕方ないよねー。うんうん。失敗だ」
近い。逃げ、ないと……!
起き上がる私を組み敷くマヤちゃん。
ビリっと痛みが駆け巡り、全く身動きが取れなくなった。身体が痺れてるみたいで、目だけを動かす。
彼女は黒いリモコンを持っていた。いや、スタンガンってやつだ。
「あ、大丈夫大丈夫。強いのじゃないから気絶したりはしないよ。しばらく動けなくなるだけ。そーだ。これじゃ帰れないだろうし、お家に連絡しておくね? あと警察に連絡したーは嘘だから。へへー」
何を言って——?
彼女の瞳は、宮司さんと似た歪んだ光を孕んでいた。