三日目
蒸し暑い室内。生温い風が頰を撫でる。
汗が酷い。こめかみから首へ流れる滴を拭って身を起こす。
寝苦しかったのか寝返りも酷かった。シャツもベッドも乱れ、挙句はベッド下で寝ていた。ちょっと酷すぎる。
いつものように準備をしながらスマホを開くと、気付かない内にメールが来ていた。
『ごめんね。しーちゃんにツラい思いさせてるよね? 見つけてとかたすけてとか、一緒にいたいなんて……あたしのワガママなのにね。しーちゃんは何も悪くない。だから、もう気にしないでね。アケミより』
あーちゃんからだ……。気遣い屋なところも変わらない。
彼女は幽霊としてメールを送ってるのかな?
彼女のアドレスではないし、試しに返信してみようかな。
『あーちゃんは私が見つけるよ。絶対に一緒に帰ろう。シイナより』
送った文面は短文で単純なもの。
送信完了したらしい。無事に出来たようだ。
絶対に見つける。現実から目を背けるのは、もう止めるんだ。
*
神社の境内はガラガラで人がいなかった。平日ならこんなものだろう。
夕方でも日は高い。暑さは少し収まってるものの、じんわりとした汗で髪が張り付く。
手水舎で清めてからお参りを済ませた。今からあーちゃんが命を絶った場所へ向かう。一年前は見に行く勇気が一つも無かった場所へ。
「おや、こんにちは」
振り向くと男性が微笑んでいた。優しげなおじいさんって感じだ。格好から察するに神社の人だろう。宮司さんかな。
「こんにちは」
「はは、若い子が来るなんて珍しいから、ついつい声を掛けちゃったよ」
「それは……その」
事件があったから客足が遠のいた。暗にそう言っているような気がした。宮司さんは察したのだろう。困ったような微笑みで、手を振る。
「そうそう。一年前のでね。アケミちゃんには何の罪もないのにね」
「……えっと、見つけたのって宮司さんなんですか?」
「いいや、働いてくれてる女の子だよ。彼女に聞いて初めてその子を見つけたんだ。びっくりしたね。まさかここでとは」
彼の曇った表情にズキッと胸が痛む。
曇らせたこともそうだけど、本当のことだったんだ、という確信を得てしまったから。嘘ではなかったから。
「何か話されてるんですか?」
視線を上げると、巫女さんがやって来た。竹箒を手にしたお姉さん。大学生くらいかな。割と若い。
「一年前のことだよ」
「……っ、そうでしたか……」
「ごめんね。君も見ちゃったから思い出すのも苦しいだろう?」
この人が第一発見者。顔を歪めているところを見ると、本当に痛ましい場面だったのだろう。
「実は私、彼女と友達だったんです。だから彼女が最期に来た場所に来ようと思って……」
「そうだったのかい。君も辛かったろう。私で良ければその場所へ案内するよ?」
「わ、私も!」
宮司さんと巫女さんの申し入れに少し考える。
案内してもらわなければ、正確な場所は分からない。
「よろしくお願いします」
案内してもらおう。
彼女の最期の場所へ。
*
「ここだ」
草が生えただけの地面には打ち付けた木材と、手向けれた花のみ。
少しだけ不気味だった。
しゃがんで地に触れる。
彼女が死んだと実感するものはそれだけ。思った以上にショックはなくて、逆に不思議なくらいだ。もっと涙が出るくらい辛くなるものだと思っていた。
「——命を納め、新たな命となり生きることが許される」
「どういう意味ですか?」
「私のお爺さんが言っていたんだよ。死は悪ではないとね。輪廻転生の概念だろう。ただ、君の友達は早過ぎた。死は悪でなくとも、周りの人にとっては失うことだ。哀しいことに違いない。でも死は終わりではないと思うよ。きっと彼女は幸せだろう」
「…………。そうだと良いです」
月並みな言葉だけど、彼女が死を迎えることで私の世界は色を失った。
そして今は彼女の救難信号を知った。
慰めの言葉を、素直に受け止めることは出来なかった。
「彼女は……首を切っていたの。近くに血塗れたナイフが落ちていて、倒れていて……頭が真っ白になったのを覚えているわ」
「そう、だったんですね」
自ら斬首する行為。私なら恐怖で、首に刃を当てることさえ出来ない。それを彼女は……?
「ごめんなさい。私はお掃除に戻りますね」
巫女さんは謝って、すぐに立ち去ってしまった。その顔は青ざめていた。
「彼女にはトラウマなんだ。よく今も働いてくれてるよ」
「あんなことがあっても辞めないんですね」
「……優しい子だからね。ここの掃除だけは私がやっているから、平気なんだろう」
ここでは彼女が死んだ理由は見当たらない。
やっぱり身近な人に聞いてみる必要がある。
リリカちゃんに、ちゃんと話を聞かなきゃ。
「ありがとうございました」
「お役に立てたなら良かったよ。またいつでもおいで」
拝殿を背に鳥居をくぐる。
掃除中の巫女さんと遭遇。幾分か血色が良くなっていた。
「あの、ありがとうございました」
「いえ……さっきはごめんなさい。思い出したのもそうだけど、もっと早く見つけられたらって、色々考えちゃって」
暗く表情が落ちる。
私も同じことを考えていた。もっとどうにか出来たんじゃないかって。後悔が先に立つことはないのに。
「お姉さんのせいじゃないですよ。私は友達なのに何も出来なかったんです。気付けなかったんです……。今さら現実を見て怖がってる私より、今もここで働いているお姉さんのほうがスゴいですよ」
「それは……私は別に……」
巫女さんは苦しそうに言い淀む。何だろう。チラリと境内を眺めた彼女は、スッと私に近付いた。
「もう神社に来ないほうがいい」
「え?」
「もうここで友達の……あの子の最期の場所は見たんでしょう? だったら来ることもない。ここはお墓じゃないのだから」
「そうですけど、なんでいきなり……?」
「神様が人に優しい存在とは限らない。神聖なモノとは限らない」
有無を言わせず背を押された。
「友達の分までお元気にね」
巫女さんの複雑な声音に、ついぞ問うことは出来なかった。追及する言の葉を飲み込んでしまう。
後ろ髪引かれる思いで神社を後にした。
*
「遅い」
「ご、ごめん」
「久しぶりにメールあったと思ったら何。勝手に呼び出して待たせて、んで辛気くさい顔でトロトロぐずぐずやって来て、あーマジでうざい」
神社を後にした私は、カフェに来ていた。
外の熱気とは別世界で落ち着いたのもつかの間、お相手はお元気にお怒りでした。
神社のほうが早く済むからって、こっちを後回しにするべきじゃなかったかも。反省しつつ改めて向き直る。
テーブルに肘をつきスマホ片手に、イライラと貧乏ゆすりする彼女こそがリリカちゃん。まだ夏休み前だというのに、堂々と髪色を抜くのは尊敬する。
ギロッと睨まれて目を逸らす。やっぱり怖いよ。
「で、なんなの? ウチはあんたと違ってヒマじゃないの。さっさと用件済ませてくれる?」
画面を見ながら、つまらなさそうにスワイプ。
あからさまな嫌がり方だ。壁の高さに溜息が漏れそうになる。けど真実を知りたい。
席に着いて切り出そうとした。が、店員さんがやって来てしまう。
なぜかアイスカフェオレとアサイースムージーが置かれた。
「リリカちゃん?」
「なに」
「頼んだ覚えないけど……」
「頼まなきゃ店の人に迷惑でしょーが。どうせカフェオレカフェラテカプチーノで悩むんでしょ。ゆーじゅーのノロマに選ぶ手間を省いてあげただけ。なんか文句ある?」
「ない、けど。私が悩むラインナップを覚えてるんだなーって」
「あ?」
「……なんでもない。ありがとう」
あまり刺激するのは得策じゃない。怒らせる前に有り難く飲むことにした。一息ついて、こちらを覗き込む視線に萎縮する。
「なんでビクビクしてんの。ウチが脅してるみたいじゃん」
「ごめん……久しぶりだから、ちょっと緊張してる」
元々、人見知りで臆病な性格。
彼女のように友達が多いわけでも、強く堂々としてるわけでもない。一年前のこともある。緊張しないなんて無理な話だ。
と、ここまで考えて頭に衝撃が走る。
「緊張、とけた?」
「いたい……」
なぜか私にだけ暴力を振るうところも健在だった。他に方法なかったかな。
「その、ありがとう」
「手を挙げられて感謝言われるのあんただけだわ。はーどうでも良いから早くしろ」
「えっと、一年前のこと、聞きたくて」
「…………」
押し黙る彼女の顔まで見ることは出来ない。
ボタンが三つほど開けられたシャツから、胸元が見えていた。ネックレスが下がっている。ついでにブラも少し見えている。グラスを掴む手には指輪とブレスレット。
どれも校則違反だ。とても真似できない。
「本気で言ってる?」
いきなり覗き込まれた。咄嗟に声が出ずコクンと頷く。
「だからムカつく顔してたんだ。納得」
「うっ……。事件のことをどこまで知ってる?」
「アケミの誕生日にアケミが神社で死んだこと」
「じゃあ、なんで死んだか知ってる?」
「——知らない。知ってたらどうにか出来たでしょ」
「うん……。じゃあ事件前後で何かおかしなこととかあった?」
「そんなの警察が調べてるでしょうに。何もない。関係が変わったくらいじゃないの?」
マヤちゃんに聞いたことと変わらなかった。
一部を除いてだけど。
「事件前にあーちゃんと口論してたって、本当?」
「…………」
彼女の表情が分かりやすく固まった。
まるで逃げていたことと遭遇したかのように。