第八話 はじめての魔術
はじめて敗北の味を舐めたあの日から、俺はパパンの書斎にこもるようになった。
やはり体力勝負だけでは勝てない相手が出てくる。
調子に乗っていただけに、四歳児に負けたのはショックだ。
俺は一歳だから負けて当然だとか。
あいつの足の速さはチートだろとか。
そもそも同じ土俵で勝負してないじゃん? とか、そんな見苦しい言い訳はしない。
負けは負けだ。
年上に負けたからって悔しくなんかないんだからねッ!
俺も男だ。精神年齢は37歳の大人だ。
素直にふんぞり返って、今回は負けを認めてやろうじゃないか。
おしっこ臭い女子に負けたくらいで、俺という漢は揺るがない。
え? あの体力馬鹿を、学業で引き離してやろうなんて思っていませんよ?
この世界で俺が次にやるべきことは、もう決めてある。
言葉は覚えたし、会話も聞き取れる。
ならば次は文字を覚えよう。
文字を覚えることは重要だ。
文字がわからなければ、きっと魔法だって使えない。
魔法が使えないなんて「それを捨てるなんてとんでもない」のレベルだ。
俺がこの異世界にきた意味の、半分を失うだろう。
俺が体験したいのは、あくまでも剣と魔法の世界なのだ。
あれから俺は、シェリルに何度も絵本を読んでもらった。
絵本の内容は平凡なものだった。
勇者が並み居るモンスターを蹴散らし、踏みつけ、しつように追いかけ回してから、ついでにドラゴンを倒して岩場に片足を乗せて「俺TEEEEEE」を叫ぶものだ。
勇者が世界を救うありがちなお話だな。
ちょっと勇者が鬼畜だが。
とりあえず絵本の内容と文字は丸暗記した。
わかりやすい内容だったので、丸暗記するのは容易だった。
昔の俺ならとても無理な方法だったが、赤ん坊の体ならたやすいものだ。
この体は物覚えがよい。
目指すは多言語使用者。
文字を覚えることは、その目標への第一歩だ。
あとは覚えた言葉をひとつひとつ、書物の文字と照らし合わせていく。
わからない文字が出てきたら、そのつど獏に呼びかけ精神感応で訊いた。
ちょっと反則だが、これくらいはいいだろう。
この精神感応に関しては、俺も原理すらわからずにちんぷんかんぷんだ。
だが、どうも俺が意識して呼びかければ、あいつにはそれがわかるらしい。なので、都合のいいように使わせてもらっている。
心の中で獏に呼びかけるだけでいいので、やはり使い勝手がいい力だ。
どうにかして俺も使えるようにならないだろうか。
さすがに商人だけあって、パパンの書斎は蔵書が多い。
もちろんこの世界の文字を、まだすべて読めるわけではない。
しかし片言なら読めそうな書物も、それなりにあった。
俺はそれらのタイトルを一冊ずつ吟味する。
ちなみに、まだつかまり立ちぐらいしかできないので、吟味するのはもっぱら本棚の下段だ。
「うーむ。『商人の鉄則』、『歩く大商人トル〇コ』、『ロマニア地方の歩き方』、『薬草大辞典』、『砂漠の街で出会ったぱふぱふ』」
やっぱり商人関連の書物が多いな。
この地方で旅商人をするための書物も目立つ。
商人の知識をつけるのも悪くないが、かなり内容が偏っている。
……異世界にもぱふぱふってあるんだな。
うん。これは後で読もう。
「……ん?」
書棚の端にひっそりと、その本はあった。
一冊だけやけに古びている気がする。
俺はその本を書棚から慎重に引き抜く。
表紙をめくる前にタイトルを確認。
『馬鹿でもわかる、魔術師入門編』
まんまだな。
馬鹿でもわかるとか、馬鹿に喧嘩を売ってるよ。
まあ、俺はバカじゃないから喧嘩を売られても買わないけどね。
自慢じゃないが、俺は頭は悪いが馬鹿ではない。
やればできる子。ただやらない子なだけ。
あれは誰に言われた言葉だったかな。
実に含蓄のある言葉だ。
俺のことをよく表していると言えよう。
そう。俺はやればできる子だ。
「きっと魔術だって使えるさ」
俺は楽観的につぶやいて、表紙をめくる。
魔術とは、この世界にあふれる魔力を扱う術である。
魔術とは、己の魔力を具現化する術である。
魔術とは、守るべきものを守るための術である。
魔術師よ、心して聞け。
魔術とは、世界を変えうる術である。
アニマ魔法学院 初代学長アニエス・エルバッハ
「おお~」
さらにページをめくっていくと、内容が実践的なものになる。
ようし、やったるわ。
魔術の使い方、その一。
呪文を唱えよう。
魔術を使うには、世界にあふれる魔力と自身の魔力のどちらかが必要よ。
たいていの人は自身の魔力を消費して、魔術を使うの。
残念だけど魔力を持っていない人は、このページでそっと本を閉じてね。
ちゃんと魔力がある人は、人差し指を立てながら下の呪文を詠唱してみましょう。
「えーと、人差し指を立てて……万物にあまねく小さき火の精よ、我が呼びかけに応えよ。汝の力をこの手に示せ――イグナイト」
ッボ!
ガスに火が付くような音がして、俺の指先に小さな火が生まれる。
ちょっと指先がムズムズしたが、俺はそれよりも自分の人差し指に生まれた火にくぎ付けになる。
す、すっげぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇ!
出た! 出たよマジで! ちっちゃい火だけど、俺がが作り出したはじめての魔術!
これは、アレだな。アレをやるしかねぇよ。
「へへっ、燃えたろ?」
某格闘ゲームのマイキャラの決めポーズを真似する。
「く~!」
あ、ヤバい。
なんか嬉しすぎて涙が出てきたわ。
結局、その日は何度も決めポーズを繰り返して、そのまま魔力を使い果たした。
詠唱に関して、細かい部分はちょくちょく変えるかもしれません。
大筋を変えるつもりはありませんが、我と我がを一緒に使うのはどうかなーと読み返して変えました。