第七話 はじめての敗北
シェリルとヤツが現れてから、はや一ヶ月が経過した。
どうもシェリルは、うちのママンの従姉らしい。
とすると、俺とモニカははとこの関係になるのか。
生後間もないころに、俺が遭遇するくらいだ。
肉親か親類のどちらかだろうと思っていた。
シェリル・クドリャフカ。
モニカの母親で、ママンの親戚。
年齢は二十代前半くらい。おそらくママンとそこまでの差はないだろう。
濃紺色の髪と瞳をしていて、髪は背中で束ねている。
穏やかで優し気な容姿と、扇情的なお尻や足が魅力的。
ママンとは違ったタイプの美女といえる。
もしかしたら母方は美人が多い家系なのかもしれないな。
モニカ・クドリャフカ。
シェリルの娘で、年齢は四歳。
青みがかった黒とも濃紺ともとれる髪と、同色の瞳をもつ幼女。
ワクワクを閉じ込めたような目は好奇心いっぱいで、髪は後ろで短いしっぽのようにまとめている。
遠慮のかけらもない無自覚な自由と、あり余る体力で家の中を駆けまわるガキ。
別名、フリーダムわんこ。歩く暴風雨。
俺の天敵である。
この一ヶ月、俺はシェリルのお世話を受けていた。
シェリルのお世話は嬉しい。だが、余計なやつまでセットでついてきたのが困りものだ。
なぜこの二人が俺の生活空間に通うようになったのか疑問だったが、両親の会話を聞いて俺の疑問は氷解した。
シェリルが俺の世話をする理由は、いたって単純だった。
赤ん坊の育児に疲れ果てて、空に旅立ちかねないママンを案じたパパンが、彼女に手伝いを頼んだのだ。
はじめはシェリルも自分も子育て中だからと断ったが、そこでパパンが交換条件をだした。
俺の育児期間中にかかる費用は、モニカの分も合わせてパパンが持つと。
要するに、仕事として俺の乳母を頼んだのだ。
俺の育児にかかる費用は当然として、二人の食事代、おやつの時間はデザート付き。
報酬は四日につき、ロマニア大銅貨一枚。
ロマニア大銅貨は、田舎ならば一枚でも家族四人が八日は食べていける。
ロマニア王国の王都ローレルでも、節制すれば五日はもつらしい。
仕事としては破格の好条件だ。
ちなみに俺とモニカの生まれも、ロマニア王国の王都ローレルのようだ。
ロマニア貨幣は、ロマニア王国が鋳造している貨幣である。
上から順にロマニア金貨、ロマニア銀貨、ロマニア大銅貨、ロマニア銅貨、ロマニア鉄貨とある。
前世とは通貨も貨幣価値も、まるで違うだろうがお金はあればあるだけ良い。
お金で命は買えないが、生活するためにお金は必要だ。
俺も体が大きくなったら、仕事を探して貯蓄を頑張ろう。
今回のことで俺は認識を改める。
どうやら、うちのパパンは商人として大物のようだ。
いくら商売がうまくいっているといっても、俺の育児のためにかなりの大盤振る舞いをしている。
その理由の大半はママンのためだろうが、普段の様子からして愛妻家だしな。
俺だってあんな深窓の令嬢みたいな奥さんができたら大切にする。
初めての育児で疲れ果てたママンは、お客様用の離れで寝ている。
その間の俺の世話はシェリルがすることになった。
ママンのことを考えれば、俺もシェリルの世話をうけるのは、やぶさかではない。
むしろママン以外の女性に授乳されるのは、興奮するからラッキーだ。
何故かママンに授乳をされても興奮しないが、シェリルの授乳には興奮した。
俺は男として正常のようだ。
そんな気持ちを精神感応で、つい獏にもらしたら「盛りのついたエロガキめ。わしに話しかけるでないわ。耳が汚れるじゃろう」とか言われて、それから音沙汰がない。
獏の発言は、全世界の盛りのついたメス猫をけなすものだった。
エロを冒涜するとは人類の敵め。
いつかメス猫のように、にゃんにゃんしてやる。
二度目の邂逅から数日。
その日も俺はいつも通りに、わが家を高速ハイハイで散歩していた。
「タタタタタッ、タタタタタッ」
寝室から居間を経由して台所に行き、この世界の食材を観察。
そのついでにお昼を作っているシェリルの後ろ姿を眺める。
ママンはすらりとした体形と、あの見事な胸が魅力的だが、シェリルは後ろ姿が素晴らしい。
スカートの上からでもわかる見事な曲線をえがくお尻に圧巻され、しなやかでむっちりした太ももからのびるふくらはぎに異性を感じ、普段は見えない膝の裏にエロスの真理を学ぶ。
尻もエロいが足もエロい。
もしも俺が見境のないエロガキだったら、きっと毎日のようにあの尻に抱きつき、膝枕でふとももの感触を堪能し、ついでにふくらはぎを撫でただろう。
赤ん坊の体で夢を叶えるには、まだ身長が足りなかった。
とても残念だ。
早く大きくなりたいよ、神様。
鬱屈した感情を力に変えて、俺は高速ハイハイの上を目指す。
まだ先があるはずだ。
さらなる上の世界を、俺ならば体感できる。
俺の前を走るやつぁ、ぶっちぎる。
そんな決め台詞まで考えていた。
正直に言おう。俺は調子に乗っていた。
ママンをぶっちぎったあの日から、己は最速の存在だとうぬぼれていたのだ。
「あー、赤ちゃんだ! おはよー、赤ちゃん」
「タタタタタタッ、タタタタタタッ」
天狗になった俺は、モニカを華麗に抜き去る。
ふっ、あっけないものだ。
どこかに俺に追いつける奴はいないのか。
「キャハハハハ! すごいねー、赤ちゃん! はやいはやい!」
「ダウ!?」
驚いたことに、ヤツは俺と並走していた。
スタートで後れをとったヤツが、どうやって俺に追いつけるというのか。
くそ! 負けてなるものか! 赤ちゃんハイハイの神髄をみせてやる!
俺は服の袖を伸ばし、両手で地面に接地させる。
そして膝を地面から浮かした。
「タタタタタタタダウッー!」
見よ! これぞ高速ハイハイを超えた荒業、『奥義』雑巾がけ走りだ!
服が汚れるのも構わず、俺は力を解放する。
この荒業は高速ハイハイの上をいく速度だ! これで抜き去れない奴などいない!
並走していたヤツを抜き去り、「勝った」と俺は勝利を確信した。
「わーい! 赤ちゃん、待て~! キャハハハハハハハ!」
「バブゥゥ!?」
勝負の決着は、あっけないものだった。
禁断の奥義まで使った俺を、ヤツは難なく抜き去ったのだ。
両手を真横に伸ばした、その華麗なる走りで。
「てめぇはア〇レちゃんかよ!」
そう言い放つ気力もなく、モニカの後塵を拝する俺の意識は薄れていく。
この荒業は体力の消耗が激しいのが難点だな。
この日、俺は生まれて初めての敗北を味わった。
そのできごとはモニカの純白のパンツともに、俺の記憶に終生にわたって刻まれることになる。