第四話 置いてきたモノ
俺が異世界に転生して、半年が経過した。
一月ほど前には首もすわり、手足に筋肉がついてきたのか、ベッドから起き上がれるようになった。
自分の力だけで起き上がれた時は、ことのほか嬉しかった。
これでやっと寝たきりの老人のような生活からも、おさらばできる。
それがもう一月も前の出来事だ。
俺は時の流れの早さと、赤ん坊の体の成長速度に舌を巻く。
まず起き上がれるようになってから間もなく、俺は新たな特技を習得した。
赤ん坊が最初に覚える移動手段、這いずりハイハイだ。
その上位互換である赤ちゃんハイハイは、這いずりハイハイの練度が上がれば習得できる。
這いずりハイハイができるようになり、俺がはじめにしたことは、わが家の探検だった。
赤ん坊に生まれ変わってからこっち、とにかく代り映えのしない毎日で、じっとしているのが退屈でしょうがなかった。
たとえ家の中しか移動できなくても、いい気分転換にはなる。
なにより自分の好きな時に散歩ができるようになったのは、大きな違いだ。
まあ、いざ意気込んで探索を開始したものの、俺はまだわが家の半分も踏破できていない。
何故かというと、あまり遠くまで移動すると、どこからともなく母親が現れて俺をベッドに連れ戻すのだ。
もっとあっちこっちに行きたいのに、どうやっても赤ん坊時代は必ず母親にエンカウントする仕様らしい。
生後六か月の這いずりハイハイでは移動速度に難があるからな。逃げようとしても回り込まれてしまう。
親の目が行き届いていると思えば腹も立たないが、いつかはこの家を踏破したいものだ。
もはや気分は冒険家だった。
次の大きな変化は、この世界の言葉が理解できるようになってきたことだろう。
変化が現れだしたのは、親の会話を意識的に聴くようになって二月ほど経過したころだった。
意味不明だった親の話す言葉に、会話の片鱗のようなものを感じるようになった。
片言ながら理解できるようになってきたのは、つい最近だ。
「おはよう。ト――――」
「おやすみ。トウ――」
意識せずに聞き取れる言葉はまだ少なかったが、ようやくこのころになって両親の毎日の挨拶が実を結んだ。
異世界に転生して生まれ変わった後の自分の名前が、片言ながらも把握できるようになったのだ。
発音は全然違うものだったが、驚いたことに生まれ変わっても俺の名前は「トウマ」であるらしい。
最初はとても信じられなかった。聞き間違いの可能性が高いと思った。
俺がこの異世界の言葉を間違えて覚えていると考えたほうが、よほどすんなりと納得できる。
あるいは、獏がなにかしらの介入をしたのかもしれない。
結論から言うと、俺の名前はトウマに間違いなかった。
獏に確認したところ「自分という存在を一つでも持っていくことは、いつかきっと何かの支えになるじゃろう」と言われた。
獏の言いたいことは、少しだけわかるような気がする。
前世の俺は毎日がつまらなくて、本気でファンタジーの世界に行きたいと思っていた。
楽しくもない毎日に、先の見えない人生。
こんな人生は、さっさとおさらばしてやりたいと、いつもそう思っていた。
でもだからといって、それでいいわけがない。
自分勝手に、この先の人生に幕を引くのは違う。
楽しくないからといって、辛いからといって、自分自身の手で終わらせた先にいったい何が残るのだろう。
家族はどう思うのか。悲しまないわけがないのに。
今ここに自分が生きているのは、自分だけのものじゃない。
父親や母親、兄や姉といった家族がいて、歩いてきた道の後ろには数多くの親類縁者がいる。
小さな頃からお世話になってきた祖父母は、親戚たちは、従弟はどう思うのだろう。
自分に家族と変わらぬ愛情をそそいでくれたのに、いったいどう思うのだろうか。
これまで受け取ってきた愛情をという名の恩を、俺は裏切っちゃいけなかったんだと思う。
それが俺を形成する要素で、欠かせないモノの一つだったのだから。
俺を培ってくれた縁は、いまもここある。
それを自覚した時、不意に視界がぼやけた。
(まだ何も返せていないのに……)
異世界に転生するという俺の夢は心構えをする間もなく訪れて、俺はいろいろなものを置いてきた。
自分のこの先の人生に未練はなかった。
けれど、自分が置いてきてしまったいろいろなモノが、この先に何を思い、どうしていくのかを思うと涙があふれてとまらなくなった。
(気づいた時には手遅れで、親不孝者かよ)
その涙が止まったのは、俺が体力を使い果たして眠りに落ちてからだった。
こういった展開はありなのかなーとは思いましたが、家族が嫌いではないのならば、こういう展開もあるだろうと投稿しました。異世界に行ってもホームシックは感じるでしょうしね。