第一話 コスプレ少女、獏(バク)
『……~い……じゃ』
……うう。
『お~い、起きるのじゃ』
……うるせえ。
やかましい声から逃げるように、俺は腕で顔を覆い隠す。
『こぉれ、はよう起きんか!』
……なんだよ、うるせえな。
寝ているときにガキのキンキン声は不快指数マックスだ。
俺はゴロンと寝返りを打ちながら、思わず叫ぶ。
「あ~、もうッ! うっせえぞ糞ガキが!」
『なんじゃとぉ、だぁれが糞ガキじゃ! このッ!』
ゴンッッッ!
「うっごあぁぁぁっ~! ぐうぉぉぉぉぅ~!!」
唐突に後頭部へ激痛がはしった。
過去最悪の起床である。
俺はたまらずゴロゴロと地面を転がりまわり、頭にはりついてくる痛みを追い出そうする。
「うぐぐぐぐッ!!」
いや、逃げようとしても無駄だし……と、いまさら気づき、俺はひたすらうずくまって痛みがマシになるのを待つ。
人間ってのは、ときどき馬鹿だ。
『ふん、自業自得じゃ! 馬鹿たれがっ』
そんな悟りを開いた俺の頭上から、偉そうな声がかる。
……ムカつく。
たしかに馬鹿だけど、人に言われたくはない。
つーか、こいつか。この痛みの原因は。
おそらく人の後頭部にトゥキックでも入れたのだろう。
時間が経過したおかげで、なんとか痛みがマシになってきた。
……おのれぇ。
「このアマッ!」
俺は怒りにまかせて勢いよく顔を上げた。
顔を向けた先には、白い布切れが広がっていた。
白。ひたすら白かった。
――父さん、桃源郷はあったんだよ。
『……なんじゃ、呆けた顔をしよって。なんぞ面白い物でもあるのか?』
「おまえ、コスプレしてる癖に、なんでふんどしなんかまいて――ぶべらっ!」
思わず口にした一言で、白いふんどしからのびるカモシカの足がしなりを上げる。
素晴らしい光景から放たれた一撃で、俺はきりもみ回転しながら地面に顔面着地した。
……やべぇ、これヘタしたら死ぬぞ。
とりあえず、あの言葉だけは頑張って言っておこう。
「わ、我が……生涯に、一片の……悔いなしっ! ……ぐふッ」
『なぁにを勝手に見ておるのじゃ! はよう起きぬか! このっ! このぉぉっ!』
ラ〇ウみたいに悔いなく往生しようと思ったら、容赦ない追撃が襲ってくる。
地面に顔面着地したのに死にそうにないな。
ギャグマンガかよ。
……いや、たぶん夢だな。
いろいろなことを考えつつ、俺は哀れっぽく命乞いをしてみる。
「し、白布様ぁ! 白布様ぁ~、後生ですから、どうかご慈悲を!」
『だぁれが白布様じゃ~! この変態めがっ! 変態めがっ! 破廉恥男めっ!』
むしろ逆効果だった。
ちらちらとのぞく暴力女の「ふんどし」を眺めながら、俺は「本当に人間って馬鹿だよな」と二度目の悟りを開いていた。
しばらくして白布様こと目の前のコスプレ少女が、なにかをとりつくろうようにして居住まいをただすのを、俺は正座で待たされることになった。
(なんで俺が。……しっかし、これって夢じゃないのか?)
夢のようで夢じゃない。
頬をつねってみたら痛かった。
そもそも蹴られたときに激痛を感じているし、明晰夢のたぐいでもなさそうだ。
(うむ。全然わからん)
さっぱりわからない。
頭のいい人間の領分は、俺の担当じゃない。
(積んでいるゲームソフトでも出てこないかな)
俺にわかるのは待たされている時間が、ひたすら暇だという事実だけだ。
正座中で動けないし、自由にできるのは両手ぐらいである。
ゲームでもあれば時間をつぶせるのにな。
(ったく、暴力女め)
正座なんぞしたのは、いつ以来か。
しかも強制とか、人権はどうした、人権は。
たかが白い布を一枚見たからといって、目の前の暴力女は怒りすぎだと思う。
俺が見たいのは、もっと別の物だ。
(この暴君め。勘違いするなよ、俺は中身派だ! 俺を罵倒したいなら、まず中まで見せろ!)
己の信念を心の中で愚痴る。
このままでは憤りのあまり、俺の崇高な信念が口からもれてしまいそうだ。
布一枚でこの扱いである。
口にしたら、きっと俺は死ぬだろう。
(俺は空気の読めるむっつりだからな。小娘め、感謝しろよ)
少年少女を犯罪の魔の手から救う(加害者側)。それが大人の務めである。
己の理性に満ちた対応に満足しつつ、俺は暇つぶしに目の前のコスプレ少女を観察することにした。
第一印象からとんだ暴力女だが、信じられないほどにひきつけられてしまう。
どうやって染めているのか知らないが、腰まで届く髪は綺麗な白髪だ。
透き通った碧眼は、湖水に映える空のごとく澄んでいる。
ただ眺めているだけでも意識が吸い込まれそうだ。
(う~む、美少女すぎる。本当に現実か?)
いまだに疑わしい。
オタクの夢である二次元世界にでも入ったのかもしれない。
(まあ、それはないか)
現代の技術レベルでは、せいぜいVR機器を使って体験する程度だ。
いまもって漫画の「A・Iが止まらない!」に、片手すら届いていない。
おかしな夢を見ている程度にしか思えなかった。
俺は足をくずしてあぐらをかく。
夢のたぐいなら、別に自由にしても怒られることはないのだが、
『これ! 正座をくずすでないわ!』
「……へいへい」
さきほどからこれである。
どう考えても、この女の反応はロボットやVR映像に見えない。
まったくもって不可解だ。
あと、いつまで正座をさせる気だ?
俺は両足を正座に戻しながら、頭の裏を掻く。
後頭部にたんこぶの感触はなかった。
やはりおかしい。
出来がいいだけの夢なのか?
そもそも、この女も現実感が足りないのだ。
性格は最悪でも、容姿だけは絶世の美少女である。
こんな美少女は、ついぞ見たことがない。
もしも俺があと二十歳ほど若ければ、一目ぼれして人生を捧げるレベルだ。
(まあ、おっさんが熱を上げるには、いろいろと敷居が高いか)
その容姿から見るに、年頃は女子高生くらい。
マンモスの角のような装飾のピアスが、耳元で揺れている。
なにより目立つのが真っ白な髪の頭頂部で、その存在を主張する猫ちゃんの耳だ。
お尻にしっぽまでつけている。
(……はぁ、容姿のわりに、頭の残念な子だったか)
おそらく猫耳セットだろう。
微妙に風かなにかでゆれ動くのが気になる。
(妙にリアルすぎるし、似合いすぎだろ……って、いやいや違うから。ひじょうに気になるが、アレを触ろうとしたらひどい目に合いそうだ)
どこぞのラノベで見かけるような格好だ。
たいていの人間はコスプレだと思うだろう。
一番気になるのは、そんな格好をしながら「なんでふんどしなんだ」と言いたいところだが、二度目は命がないと思うので自重する。
しかし、せめてコスプレをするなら、見えないところのクオリティにまで気を使ってほしい。
服の下がふんどしだとわかると、気を使って褒めようにも褒めにくい。
「胸はサラシか?」とか考えて、絶対に笑顔が引きつるわ。
あんな中途半端なコスプレイヤーは見たくなかった。
超絶美少女の服の下はふんどしとか、いろいろと世の中は間違っている。
(だいいち全裸の股を見たわけでもないのに、そんなに怒るようなことかよ)
俺が真面目に馬鹿なことをつらつら考えていると、長々と気を落ち着けていた暴力女が、ようやくこちらに顔を向けた。
『……ふぅぅぅ、よし。お主よ、待たせたのう』
「んー? はいはい、そうだな。待ったな」
俺が気のない返事で応じると、暴力女の片眉がはねあがる。
だって人が気持ちよく寝ているところを、おまえは蹴ったじゃん。
いくら綺麗だろうが、そんな女に礼儀なんかいらんだろ。
『くっ、初対面とはいえ、なんと無礼なやつめ。――よく聞けぃ、おぬしに話があるのじゃ』
暴力女は偉そうにふんぞり返ると、おもむろに俺に向かってビシッと人差し指を突き付けた。
……このアマは、人にたいする礼儀を知らんのか。
俺も礼儀はわきまえていないが、他人にやられるとムカつくぞ。
なるほど。人とはかってな生き物だな。
この実感をくれた、せめてもの礼だ。
さわやかな笑顔で力いっぱい、その指関節をコリコリしてやろう。
俺は素早い動作で暴力女の指先をつかむと、反応すら許さずに全力で指関節をコリコリする。
「よろしくなぁ(ゴォリゴォリ)」
『ひっ、んにょわぁぁぁぁぁ!? なにをするか貴様ぁぁぁぁぁ!?』
「あいだだだっ」
おい、てめぇ猫かよ。めちゃくちゃ顔をひっかかれたぞ。
しつけのなってない野良猫みたいな女である。
俺は渋い顔で引っかかれた箇所をさする。
それにしても目の錯覚か?
暴力女の猫耳と尻尾が一気に逆立ったように見えたんだが。
『――コホン、とんでもないことをしよって。よくぞわしの許へ来たの、トウマよ。待っておったぞ』
こいつが何を言っているのかよくわからず、俺は首をかしげる。
なんで俺の名前を知っているんだ? 俺は教えた覚えがねぇぞ。
『なんじゃ、まだわかっておらぬのか。お主はかつての宿木を離れ、わしの管轄する宿木へと転生するのじゃぞ』
「……は?」
宿木? 転生? なんだ管轄って。意味がわからんぞ。
『……頭の回転が悪い奴じゃのぉ。しょうがない、いちから説明するぞ。わしは夢を管轄する獏という役目をもつ者。
お主たちの世界で分かりやすく言うのならば、夢の世界を管理する役人の一人じゃ』
「はぁ……」
理解しているのかいないのか。
俺があいまいな反応をかえすと、獏というコスプレふんどし少女はこめかみを押さえる。
見た目のわりに時代錯誤な話し方をするやつだな。
コスプレ+ふんどしだし。歴女か?
それともラノベを愛するコスプレ好きの歴女か?
『よう聞けよ。こたび、わしの管轄する夢の世界の一つに生を受ける宿木に、お主を転生させることに相なった』
「へー、へー、へぶっ!」
気のせいか?
いま暴力女のくねくねする尻尾が、俺の顔を叩いたような……疲れてるのかな。
『馬鹿たれが、ちゃんと聞けぃ。前々から候補は探しておったのじゃが、わしも忙しい身でな。役目の合間に片手間で探したが、うまいこと見つからなくてのぉ』
「ふーん、大変だな」
んで、それって誰のお話し?
『さよう。大変なのじゃ。お主のような馬鹿者の相手をせねばならぬからの』
やれやれ困ったもんじゃとでも言いたげな表情で、獏が首を振る。
どうやらまた指関節をコリコリされたいらしい。
隙を見せたらやってやろうじゃないか。
『なかなか転生候補が見つからぬ折に、別の世界に行きたいともらすお主を見つけたのは、渡りに船よ。ゆえに、わしの力で前の宿木を冬眠状態にさせて、ここに来させたのじゃ』
――ん~? 前の宿木? 冬眠状態?
なにかひっかかるんだよなぁ。
そもそも、なんで俺はここで寝てたんだっけ?
たしか帰り道の途中で上から変な音がして……あれは金属音だったような。
「ひとつ質問なんだが、その前の宿木とやらは、どうやって冬眠状態になったんだ?」
……妙に嫌な予感がする。
とてつもなく嫌な予感だ。
『はてのぉ。確か、信号機? とかいう鉄の塊に上からぶつかられての。お主の宿木が植物状態とやらになったからじゃな』
待て! 待て待て待て! それってなんかつじつまがあうぞ!?
意識を取り戻す前の記憶に似かよってないか!?
「ハハッ……ということは、なにか? 俺は不幸な事故に遭って、体は植物状態で、ここにいる俺は霊体みたいな存在ってことかッ!?」
『おお♪ その通りじゃ。なんじゃなんじゃ、ちゃんと事の次第を理解できるではないか』
「その通りじゃ、じゃねぇっぇぇぇぇ! じゃあなんで、さっきからお前にやられたところが、こんなにズキズキと痛むんだよ!? そんなバカみたいな話し信じられるかっ!」
引っかかれた顔の痛みは、まだ消えていないのだ。
痛みがある霊体なんて聞いたことがない。
いきなり俺が怒り出したせいか、獏は目を白黒させている。
『なんじゃ、突然に騒ぎだしおって、お主が前の宿木から離れたのは変えようのない事実じゃ。
魂だけといってもな、魂には記憶が残る。宿木に住まっていた時の記憶がの。その記憶が痛みなどの反応を再現するのじゃ』
「痛みの再現?」
『さよう。一時的なことじゃがな。この手鏡で確認してみよ。もうすぐお主の顔の傷は消えていくはずじゃ』
なんの前触れもなく、獏の手の中に手鏡が出現する。
俺は驚きのあまり、獏から素直に手鏡を受け取って反射的に自分を顔を確認した。
「ウッソ、だろ」
録画したTV映像を巻き戻すように、みるみるひっかき傷が消えていくではないか。
すべての傷が消えるころには、ズキズキとした痛みまでなくなっていた。
俺は頬を触って確かめる。
最初から傷もなにも存在しなかったように、きれいさっぱりと消えている。
『お主は宿木から離れたばかりじゃ。いまは痛みの記憶も鮮明じゃろうよ。
されど、長いあいだ宿木を離れて彷徨っておると、その感覚は薄れてゆく。だから新たな宿木を見つけられぬと、その魂は時期に消滅してしまうがの』
なにを言えばいいのかわからず、俺の口が開いたり閉じたりする。
しばらく声が出なかった。
やがて口の端からこぼれるように、たどたどしく言葉がもれる。
「しょう、めつ」
うん?
……将を滅する?
ぬらり〇ょんの孫の戦いかな?
そうだよ。これって夢だし、俺も畏の技ができるか、いますぐためさないと。
『いま一度言うが、このままじゃとお主は消滅するぞ?』
俺があさっての方向に駆けだそうとしたら、ジト目をした獏にダメ押しのホームランを打たれる。
できれば夢であってほしい。
「……マジ? 俺って消えるの? ってか前の宿木ってやつには戻れないの?」
『無理じゃな。もはやお主は以前の宿木には戻れぬ』
ノォォォォォォォォォ!? 嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
まだプレイしてないゲームが積んであるのにぃいっぃぃぃ!
突然やってきたあの世とのコンニチワに、俺の脳みそがプスプスと煙を上げていると、獏が呆れたようにため息をつく。
『お主は人の話を全く聞いておらんのだな? お主は消滅せぬ。前の宿木に未練がなさそうだったお主に、わしが特別な試練を与えるために、この地に呼び寄せたのじゃ』
「試、練?」
「そうじゃ、おぬしに転生の機会を与えよう」
鷹揚にうなずく獏の姿に、俺は何かこれからとんでもない出来事が起きるのではないかと、わずかな胸の高鳴りを覚えた。