第十四話 白の子
待望の妹が産まれた。
妹の名前はリアラ。
ママンが自分の名前のアメリアから二文字とって、リアラと名付けたらしい。
初めて対面した妹は、ママンの腕に抱かれて眠っていた。
獏の意識も眠っているのか、さきほど呼び掛けてみたが反応はなかった。
要するに、こいつも寝ているときは無防備なわけか。
これは思わぬ収穫だな。
第二子が無事に産まれて、それが女の子だと知るや、パパンはデレデレしっぱなしだ。
出産中は柵の中をうろうろする豚みたいだったのにな。
「ママ、お疲れ様。……よく頑張ったね」
「うん。パパ、ありがとう。――ねぇ見て。こんなに可愛い女の子だよ」
「ほんとうだね。きっとママに似て、可愛い子に育つよ。高貴な白の子だ」
「うん。この子のお母さんになれて、わたしもすごい幸せなの」
パパンとママンはいちゃいちゃしつつ、慈愛に満ちた表情をリアラに向けている。
白の子? お魚の白子の仲間かな? まあ、後で獏にでも訊くか。
俺は妹の寝顔をまじまじと見つめる。
とてもおサルな顔だな。
真っ白な髪に、赤むけた肌。
おサルの産まれのおサルな姫は、とても安心した表情で眠っている。
(リアラか。ずいぶんとかわいらしい名前だなぁ)
いままで一貫として獏と呼んでいたので、軽く違和感を覚えるが、そういえば俺はこいつの名前を聞いたことがあっただろうか?
(いや、たぶん聞いてねぇな。すっかり獏が名前だと思っていたわ)
今まで疑問にも思わなかった。
変な名前の女だなぁと思っていたが、キラキラネームかもしれないので普通にスルーしていた。
キラキラネームをからかうのは非道すぎるし、あとあと恨まれそうで怖い。
お互いに獏で通じたし、こいつも訂正してこなかった。
いまさら別の名前を聞いても、どのみちしっくりこないだろう。
まあ、リアラでいいか。
「妹って可愛いですね」
あたりさわりのない言葉を口にしながら、俺もこんな感じだったのかなぁと、妙に納得した。
このサルの親戚から可愛い赤ん坊に進化するというのだから、人は偉大である。
いまはサルだが、リアラの容姿は転生する前に見た、あの彼女がベースとなるのだろうか。
おそらく、そうだと思う。
両親の会話からしても髪の色が白なのは、このロマニアではめでたいことなのかもしれない。
あの美少女の成長する過程を眺められるだけでも、兄としてはお得だと言える。
性格は悪いが、その容姿は素晴らしい。
マジで性格は悪いが、見た目だけなら90点はいく。
あいつに足りないものは、たったの二つである。
俺は心の中で断言する。
あいつに足りないのはふくよかな双丘と、優しい心遣いだ。
たとえ子煩くとも、そこに優しさがあれば可愛い妹の愛情だと思って、俺は耐えられる。
お淑やかでなくても、優しい胸さえあればいい。
きっとたぶんそれだけで、俺は兄として頑張れ気がする!
見た目は完璧、心は悪魔。
そんな妹道を、俺はひた走っているのだろう。
(見た目は完璧なのになぁ)
だからこそ足りない双丘が惜しまれる。
男としても、兄としても、とても残念だ。
すべてにおいてパーフェクトだったら、たいていのことは笑って許せたかもしれない。
(――いや、やっぱり無理かな)
そこまでではねぇな。
我慢できないもんは、どうしても出てくるか。
(俺って我慢強くないからなぁ)
いずれ大人げない喧嘩をする日も来るだろう。
なまじ容姿だけは整っている妹だ。
喧嘩なんぞしたら、周囲を味方につけたあげくに冷徹な瞳と悪口雑言で泣かされる未来が待っている気がする。
いまのうちに頑張って上に立っておかないと、将来は妹に虐げられそうだ。
「フンッ、兄貴より優秀な妹なんぞいねぇと思い知らせてやる」
俺の明るい未来のためにも、できるだけリアラの弱みを握らねばなるまい。
いざというときに役立つものは、やはり情報なのだ。
俺は兄の特権をフル活用するつもりだった。
妹が産まれてから数か月が経過した。
あれから兄の威厳と誇りを守りぬくために、俺は孤軍奮闘した。
――だが、両親のガードは死ぬほど固かった。
どうやら白の子とはマジで縁起の良い存在として扱われているようである。
両親だけでなくシェリルやモニカまで、それとなく様子を見ているのだ。
そんな状況で無理に弱みなどを握ろうとすれば、俺のほうがいらぬ弱みを作りそうだった。
しかも、まえまえからリアラに果たすはずだった復讐まで、いまだに成しえていない。
パパンとママンがいないときに俺がこっそり近づくと、烈火のごとくリアラがギャン泣きするのだ。
さすがに中身は獏なだけある。
どうやら俺の悪意を感じ取れるらしい。
白の子という己の立場をめいっぱい利用して、俺を撃退し続けている。
この前は、特にひどい目に遭った。
「妹よ~、兄が来たぞ。顔を見せておくれ」
『また来おったか、害虫が。わしに近寄るでないわ』
害虫って。
妹よ、それはあんまりな物言いじゃないかね?
「なあなあ、そんなに警戒しないでくれ。ただ兄として、兄として! 妹の可愛い顔が見たいだけなんだからさ。それくらい許してくれよ」
『ふん。腹に一物かかえておるくせに。そのようなことが信用できるか、このたわけめ』
この時は、まさか俺の悪意を感じ取れるとは思わなかったからな。
つごうの悪い事実なんぞ、つゆ知らず、俺は詐欺師のような人の良い笑みを浮かべて、あいつに接近をこころみたのだ。
「実は前の人生でもさ、俺って妹がいなかったんだよ。せっかく兄弟になれたんだ。いいだろ、お互いの顔を軽くみるくらい」
いいかげん俺も本気だ。
いざとなったら実力行使も辞さないつもりだった。
じわじわと距離を縮めて赤子の手をひねるがごとく、おしめを変えてやる。
だが、リアラは恐ろしいまでに冷静で、俺に対するワイルドカードを用意していた。
『よいか、そこから一歩でも近づいてみよ。お主の周りで将来にわたり、あることないこと言いふらすのじゃ』
「は?」
『わしがしゃべれるようになった時は、見ものよのう? 実の兄様に犯されそうになったとでも言おうかの? 下手をすれば、父様に首ちょんぱされるかもしれぬぞ?』
「…………うん、そうだねぇ。たぶん、マジで首ちょんぱされちゃうねぇ」
妹よ、なんて恐ろしいことを考え付くのだ。
本当に殺されてしまうだろ。
うちのパパンは存外に冗談が通じないんだぞ。
自然と顔が引きつり、乾いた笑いがもれる。
それは高笑いに変っていく。
「ハハハ、アッハッハッハッ…………ははあ~、申し訳ありませんでした。俺は貴方様の犬です。この先、終生の忠誠を誓います」
俺も慣れたものだ。
あっさりと妹に土下座をして、忠誠まで誓うとは。
『愚かよのう。ついに己が矮小さを自覚しおったか』
「ハッ! そのとおりであります。我が思慮の浅さは、愚かの極み。せめてもの忠誠の証に、ぜひ貴方様のおみ足を……いえ、足の裏をなめさせてくださいッ」
『にゃ? にゃんにゃぁぁぁ!? これ! にゃぁぁ~、そばに寄るでにゃい。いらぬッ、寄らば切るのにゃッ!』
愚かにも知略で負けて膝をついたのだ。
誇りを失い愚者となりはてた屈服のくさびを、自らの心に刻み付けるために、俺は足までぺろぺろしようとした。なのに、ものすごく嫌がられた。
あまりの仕打ちに、俺は思わずリアラにずかずかと近づいていった。
「――なぜですか! いや、何故だっ! 犬とはそういうものだろう。なんでもいいからなめさせろ!」
『――――いっっっやにゃああああああああッ!』
顔が見える距離まで近づいたとたん、よくそんな大声が出るもんだなと感心するほどのギャン泣きをされた。
いうまでもなく、血相を変えて部屋に飛び込んできた両親に、俺は問答無用でかわるがわる尻を叩かれることになった。
その夜は痛みと忠誠を反故にされた屈辱で、なかなか寝付けない夜となった。
妹よ、許さんぞ。覚悟しておけ。
いつか俺の忠誠心が火を噴くことになるぜ。
しかし現状があれでは、とても近づけない。
こうして思い返してみると体裁も悪すぎる。
いま無理をして下手に強硬しようものなら、この先の人生をかけることになりかねない。
なによりいたずら小僧の長男と、産まれたばかりの可愛い長女。
その名が悪い意味で街に鳴り響く悪童と、愛らしい白の天使。
どちらが大事にされて、どちらを取るかと聞かれたら、俺でもリアラに軍配をあげる。
さすがに分が悪すぎる賭けだ。
俺は復讐の機会が訪れるのを、気長に待つことにした。
「兄としての誇りを捨てたのだ。いずれ大義をつらぬいてやる」
俺は足裏ペロリスト界の頂点に立つことを誓った。
リアラが泣いて許しを懇願する日は、そう遠くないはずだった。