ペパーミント・ルーム
いよいよ、カラオケボックスの場面が始まりました。
事件はここで起きます。
主人公に翔太を選んだのはまったくの偶然でした。
オトナの恋愛小説を描き続けていたのでちょっと食傷気味だったのかも知れません。
シリーズ中の登場人物たちを一斉に集めて、女子会をやらせてみようと思い立ったのです。
これはなかなか素敵な発想でした。ここでは男性抜きの、女性達の素顔に迫ってみようというのが当初の予定でした。
翔太もまた恋に生き、そして悲しい結末を終えた一人です。
翔太の物語を書き終えた時、私は喪失感を味わいました。翔太ロスです。
作品にはテーマがあり、ストーリーがあり、何よりも作者の思いがあります。
翔太の物語に込めた思いは純粋さでした。
純粋であるが故に、成就しない恋を描いたものだったのです。
心のどこかでまた翔太に会えたらとずっと思っていました。
しかし物理的に「翔太2」はあり得ない。
カラオケボックスで羽目を外す女性達を描いている時、このアイデア💡が突然浮かびました。
出来るだろうか。。
童話じみたものや、幻想的な話しは書いた事がある。
けれどこの話しはリアルでなければならないと、そう思ったからです。
「翔太2」を作るとしたら、絶対に最初の話しを超えるものにしたかったのです。
日常的な暮らしのすぐ近くに潜む異次元の世界。
それがこのエピソードの見どころとなります。
私は翔太と再会するために、郊外型の大きなカラオケ店を設定しました。
翔太を活躍させるためには、テーマ上どうしても大袈裟な仕掛けが必要だったのです。
(作者)
翔太はピンクのポロシャツとベージュの短パンに着替えた。
ホールに出ると、70年代ディスコのヒットメドレーがボリューム控えめに流れていた。店長の趣味だ。
受付裏のスタッフルームに飛び込み、勤怠システムにログイン。
「間に合ったー!」
「おはよう。翔太」
「ギリギリセーフ」
「翔太君、おはよう」
「おはようございます」
「おっはよう」
「おはよう」
「遅刻一回で一ヶ月トイレ掃除だからなあ」
「あれは最悪」
「俺の時なんてさ、中国人の団体客ばかりでさー」
「もういいよその話しは」
「ありゃあ参った」
「もういいって」
「お前も一回経験しとけよ」
翔太は部屋の空き状況を確認しながら両手をアルコール消毒した。
「店長は今日も休み?」
「マダムヤンと温泉旅行」
「まじ?また女変えたの」
「何で店長ってモテるんだろ」
「口が上手いのか、それともナニがデカイのか」
「キモイわね、やめてよ」
「店長はさ、チャーハン作るのが上手いんだよ」
「なんだそれ」
「店長の車、車検切れてんの知ってる?」
「まじかよ」
「馬鹿。料理が出来る男つーのはモテるんだぜ?店長のチャーハン一度食ってみ」
「そうなの?」
「お前のピザは最悪だ」
「だからモテねえんだな」
「うるせーわ」
「いつ食ったんだよ。俺も食いてえ」
「ペパーミントルーム入ってんの?」翔太は訊いた。
「残念~ 麗しの彼女じゃないよん」
「誰それ」
「え、知らないの。翔太の憧れの人」
「知らない知らない。教えて」
「そんなんじゃないよ」
「お、怪しいなあ」
「どんな人なの?」
「なあ翔太いいだろう。ポニーテールの年上の人」
「わかんなーい」
「ペパーミントルームしか使わないんだ。滅多に来ないけどな」
「へえ~ 隅に置けないね」
「違うってば」
「名前はね~」
「やめろっての」
「なになに?」
インタホンが鳴ってキッチンから怒鳴り声が飛び込んできた。
「おい、オーダー来てんぞ!誰か早く来い!」
「なんだ。何テンパってんだ?」
「吾郎だよ、また試験落ちたんだよ」
「また?まじ?」
「あり得ねー」
「だから合宿にしろつったんだよ」
「免許の話しはやめとけよな」
「あ、はい」
「さーて、いこかー」
「翔太、お前何時まで?」
「22時まで」
「なんだそりゃ」
「高校生ですから」
「関係ねえ。朝までやれ」
「考えときます」
「よっしゃあー!」
ペパーミントルームは団体客専用の大部屋だ。設備も良く人気がある。
一曲目を歌ったのは安西保子だった。いきなりのロックンロール。
拍手喝采。
「すごーい。上手ね!」
「モノマネ選手権に出れるわよ」
「はあ~。スッキリした」
保子はスーツの上着を脱いでシャツのボタンを外した。
「暑いわ。エアコン何度?」
「待って」
「ドリンク注文する前に歌っちゃう人、初めて見た」
「あれ、普通歌わない?」
「歌わないよう」
「時間との勝負だからね」
「あなた、食べ放題の店でも同じ事言ってなかった?」
「言ってない、言ってない」
「今日の保子さん、ヤバイわよ」
「さあオーダーしましょう。歌いたい人はどんどん入れて。これに飲み物と欲しい物書いて」
真樹子はナフキンとボールペンを回した。
天井から大きなミラーボールがぶら下がっていた。