保子はご機嫌ななめ
携帯用消臭除菌スプレーをひと振りして二人は皆んなのいる部屋に戻った。
寺澤ひとみがバラードのサビの部分を熱唱しているところだった。
「わあ上手!」
「相当唄い込んでるわね」
「ひとみの十八番なの」
絵美子はうっとりと聴き惚れた。
「とてもロマンチックだわ」
「ちょっと座らせて」
「なあに?秘密の話し?」
「やーね。タバコよ」
「クオリティが高いわね~」
「これで男を騙すのよ。イヒヒ」
星乃舞は目に涙さえ浮かべていた。
「舞ちゃん、やだ。泣いてるの?」
「そんなに感動しちゃった?」
「違うのよ」丸山朋美が説明した。
「また学校から呼び出しがあったんだって」
「どうして?」
「またなの」
「レオちゃん」
「何したの今度は?レオちゃん」
「万引きしちゃったのよ。あのほら、あけぼの書店で」
「うわ~ん!」星乃舞はハンカチで思いきり鼻をかんだ。
「嘘ぉ。どして」
「犯罪じゃない」
「ちょっとー!」
「この前はクラスメイトの上履き隠したでしょう」
「ビエ~~ン!!」
「こらこら」
「アパートの二階から唾吐くのやめた?下通る人に?」
「げー」
「それはもうしてない…」
「あの担任さあ、舞のこと目の仇にしてるのよ。何かっていうと母子家庭、母子家庭って。母子家庭だから子どもがグレるって言わんばかり」
「ストレートね」
「ギャァ~~!!」
「ちょ、ちょっと」
「火に油を注いでどうするの。もう少しオブラートに包みなさいよ」
「それ問題だわ。教育委員会に言ったら?」
舞はシクシクと泣き続けた。
「泣き上戸なの?」
「ま、それもあるわね」
「笑い上戸の時もあるわ」
「要するに酔ってるんじゃないの」
「もう飲ますのやめなさいよ」
「勝手に飲んじゃうのよ」
「それでね、本屋のお婆ちゃん警察呼んだのよ」
「警察う?何でよー」
「本当に欲しかったわけじゃないみたいなの」
「なのに癖になるからって」
「何それ」
「舞さん、レオちゃん怒ったの?」
「凄~くね」
「それはショックねえ」
「そりゃ私も怒るね」安西保子が口を挟んだ。
「でもちっとも反省しないんだって」
「ただ怒れば良いってものじゃないわ」
「私だったら庭に放り出して晩ご飯抜きだわ」
「それ、虐待」
「何言ってんのよ。しつけだわ」
「今は虐待なのよ。近所の人それで通報されちゃったんだから」
「ウッソー」
「まじ」
「虐待と躾の区別もつかないの?どうかしてるわ」と、保子。
「難しいのよ。最近は」
「簡単よ。悪い事したら怒る。檻に入れたりタバコの火を押しつけたりしたら虐待だけど、怒らない親なんて親じゃないわ。今も昔もそこは変わらないわよ」
「たしかにね…」
「でもそうは言ってもねえ」
「子どもの将来がかかってるのよ。親が責任を持たなきゃ。子どもの躾に他人は口出し出来ないわ」
「保子。やけにアツイわね。どうしたの」
「今日ちょっとヘンよ」
「いくつなの?」
「38」
「あなたの年じゃないわよ!」
「あ、小4」
「反抗期でしょう」
「それはあるかも知れないね」
「ちゃんと話をして聞かせないと駄目なんじゃない」
「ただ叱るだけじゃあね」
「頭ごなしに言われたら私だってイヤだもん」
「誰のこと?旦那?」
「パート先のバカ社員よ」
「あらまあ」
「若い子ばっかりチヤホヤしてさ」
「わかるわかる。どうして男ってああなのか知ら?」
「舞は朝から晩まで働いてるのよ。そんな暇ないわ」
「何言ってるのよ。子育ては暇だからやるの?子どもはさ、構って欲しい、もっと自分の事見て欲しいからやってるんじゃないの?きっとそうよ」
「口もきいてくれないの…」星乃舞はつぶやいた。
「どっちが子どもよ。頼りないわね」
「仲良い時はいいのよ。お互い名前で呼び合ったりして」
「なんて?」
「レオちゃん。舞ちゃん」
「子どもに舞ちゃんて呼ばせてるの?」
「あら、ダメ?」
「いいじゃない。可愛いわ」
「何言ってるのよ。そんなのおかしいわ」
「そういう親子、流行ってるらしいよ」
「冗談じゃない。私だったらオチンチンつねってやるわ」
「ビエ~~ン!!」
「ど、どしたのよ」
「レオちゃんて女の子なのよ」
「えーっ!」
「もおー」
「レオって男の子の名前でしょう」
「そんなの決まってないわよ」
「早とちり」
「うるさいわね。ね、しっかり抱きしめてあげてる?」
「朝はバタバタだし、帰ったらあの子はもう寝てるし」舞は力無く答えた。
「そんな事ないわ。夜だって起きてるわよ。寝ないで待ってるのよ」
「そうかしら」
「そうよ。だから抱き合って眠るのよ。しっかりね。そうすれば、とにかく少しは…」
「少しは?」
「気がおさまるわ」
保子はそう言って遠い目をした。