龍 vs 春樹 比較”村上文学”論
先日、「なろう」で村上龍は好きだが村上春樹は嫌いという人の春樹文学論が載っていた。それを読んで、「おれにも一言言わせろ」と野次馬根性が首をもたげ、いてもたってもいられず、これを書いた。
龍や春樹の小説はどちらも私はあまり好きではない。私が好きな純文学系現代日本作家は、安部公房、大江健三郎、中上健次、そして少しマイナーなところでは福永武彦といったところ。
ところが私が若いころ、つまり80年代末から90年代初頭にかけて(年齢がばれます)、文学通を自認する同世代の友人たちがこぞって龍や春樹を読んでいたので、付き合いで読まされた。
どちらものめり込むほど好きになれなかったが、上記の私が好きな作家より、龍や春樹の方が若者(ただし当時)に受ける理由は十分わかった。その程度の面白さはある。
ちなみに私は龍も春樹も初期の作品しか読んでいない。最近の作品は知らない。そんな私にいわゆる”村上文学”を論じる資格などあるか、と突っ込まれれば元も子もないが、プロの文芸評論家とちがって、こちとら原稿料も印税ももらわず無償で書いている。今これを読んでいるあなたも無償で読んでいる。だったら好きにやらせろ、という屁理屈で、以下、我慢して素人の駄文にお付き合い願いたい(感想、反論、お待ちしています)。
1. 龍はフランス文学、春樹はアメリカ文学
さて最初に、龍はフランス文学風、春樹はアメリカ文学風であることを述べる。
春樹がアメリカンなのは異論ないだろうが、龍がなぜフレンチか?
70年代、村上龍が文壇に登場したとき、暴力と性の描写が従来の小説より過激という印象があったように思う。ところで”暴力と性”と言えばハリウッドのアクション映画を想起する。だったら龍もアメリカンじゃないかとも思えるが、小説の方法論から分析するとフレンチ風味だ。
龍の小説では、登場人物の話し言葉で書かれた内的独白(心内文)が地の文と混じり合う。これはラノベではむしろスタンダードな描写で、ある種の歴史小説のように心内文を( )で囲う小説の方が今日では少数派かも知れない。
ところでこうした内的独白がらみの小説方法論は、戦後、現代フランス文学でサルトルやヌーボロマンあたりから意識的に使われてきた。
えっ?じゃあ、龍はラノベの元祖?ラノベはヌーボロマンの系譜に連なるの?といった脱線はさておき、龍の小説では、この内的独白がときに異常発達し、サイドストーリーを作る。
メインのストーリーに登場するキャラクターがときどき思索に耽り、内的独白がサイドストーリーを産み、サイドストーリーがメインストーリーにところどころ挿入されるといった嗜好だ。
これは他の日本文学にもフランス文学にもない、龍独自のオリジナルワールドであり、龍の小説を方法論から論じる場合、避けて通れない特徴だと思う。
ところで『コインロッカー・ベイビーズ』のラストシーンをご存じだろうか。それまでの文体とは違い、いきなり行替えが多くなり、文字に対して空白部分が多くなる。
これはまさにラノベのノリそのものだ。
80年代初頭にすでにラノベを予見し、その文体を確立していた村上龍の才能、恐るべし。
一方、春樹は、サーバー、カーバー、チーバーといったニューヨーカーの短編小説や、『ガープの世界』のジョン・アーヴィングの作品を原書で読み漁り、当時の最新アメリカ文学の影響を受けて日本語の小説を書いた。
春樹ファンを自称する多くの人が、春樹はカート・ボネガットに似ていると主張するが、私はボネガットを読んだことがないので真偽はわからない。
私が知っているところではサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の大衆迎合的語り口が、春樹文学と共通しているかなと思っていたが、サリンジャーと春樹の接点を指摘する文芸評論は、80年代にはなかったのでは?(反論ある方、ご指摘ください)
ところが春樹の訳書『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を本屋で見つけたとき、やっぱりそうじゃないかと自分自身で納得した。
春樹文学の最大の魅力は、”余韻の残る文体”ではないか、と私は個人的に思う。アメリカ文学屈指の文豪アーネスト・ヘミングウェイも特に短編小説は”余韻の残る文体”が最大の武器だった。
春樹とヘミングウェイ。テイストは180度異なるが、”余韻の残る文体”では共通しており、これはフランス文学には見られない特徴だ。
2. バイオレンス左翼 vs オタク左翼
二人の村上文学がどちらも政治小説だと言ったら反論する人が多数派かも知れない。しかし龍も春樹も全共闘世代であることに異論はないだろう。
文士の左翼は大江健三郎のような”ガリ勉左翼”がスタンダードなイメージがあるが、龍はこれとは異なり”バイオレンス左翼”だと思う。頭でマルクス思想を考える左翼でなく、首から下を使って機動隊に火炎瓶や石を投げつける左翼である。
かつて頭脳警察というロックバンドがあった。たとえば成田空港建設反対のデモ隊と機動隊が衝突して、デモ隊が機動隊に「バカヤロー、コノヤロー、政府の犬」と罵る。この罵りを歌詞にして、そのまま曲を付けて歌ったのが頭脳警察のロックだ。
龍のバイオレンス左翼はまさに頭脳警察のロックのノリだ。
一方、春樹はこれとは正反対だ。
『ノルウェイの森』では、主人公の大学生ワタナベが、同級生たちが真面目に学生運動をやっているのを尻目に、女子大生をナンパしてHしている。
すると女子大生が言う。
「全共闘の学生たちが革命を成功させたら、あたしたちみたいにデモ行進さぼってHしてるヘタレは、吊るし上げられるのかしら」
ワタナベが答える。
「なあに、あいつらマルクス主義を掲げて資本家を批判してるくせに、結局、大学を卒業したら大企業に就職して、資本家の犬になるだけじゃねえか」
ノンポリ個人主義と言うべきか。あるいは”オタク左翼”と言うべきか。
私は春樹文学はあまり好きではないが、こうした政治的個人主義には共感を覚える。
2009年、エルサレム賞を受賞した春樹は受賞スピーチでイスラエルのパレスチナ爆撃を非難した。
普通、欧米の作家なら、イスラエルを批判するなら受賞を拒否し、受賞を決意するならパレスチナ問題に触れないのが常識だろう。
ところが春樹はちゃっかり賞だけいただいて、スピーチで主催国を批判する。このトンデモぶりが、ハルキイズムであり、オタク左翼の本領発揮といったところか。
3.ラノベ時代の村上文学の立ち位置
スポーツ選手がレジェンドと呼ばれるようになると、もはや引退しているか、少なくとも全盛期を過ぎていると考えてよい。殿堂入りや国民栄誉賞は、過去のプレーに対するご褒美であり、今現在、選手としては枯れている。
80年代、国文科の学生が卒論に春樹を選択しようとすると、教授から「馬鹿者!」と一喝された。しかしその春樹は、今では毎年ノーベル文学賞候補に上がる大作家だ。
若者がこぞって村上文学を読みふけった時代、当時の文芸評論家たちは、概して村上文学を評価しなかった。
村上文学は時代的に、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、谷崎潤一郎、三島由紀夫といった既存の文豪作品の後に登場し、その後にケータイ小説やラノベが登場した。つまり文豪作品とラノベの中間に村上文学が位置する。
現在のラノベの二十年後、三十年後が、今の村上文学に重なるかもしれない。そしてその頃、若者たちはどんな文学を読んでいるのだろうか。
4.おまけ(文体模写)
太郎と花子がデートしてレストランでピザを食べた場合(ちっとも似てないよと言う方、クレームをお待ちしています)
①龍ならこんな小説を書く
「ねえ花子」太郎が言った。「このピザおいしいだろ?」
花子は無言だった。
おいしいわけないでしょう。花子は思った。あたしが好きなのはアンチョビが載っててヒリヒリするやつ。
あんたなんか最低よ。あんたなんか八つ裂きにしてピザに載せて焼けばいいのよ。そうしたら食べてやってもいいわ。あんたなんかピザの食材になるぐらいしか能のない男よ。
②春樹ならこんな小説を書く
ぼく(太郎)は初めて花子とデートしたとき、レストランで一緒にピザを食べた。
デートの間中、ぼくは「退屈じゃいかい?」と何度も花子に聞いたような気がする。
もしギネスブックに申請したら、ぼくは、デート中に「退屈じゃないかい?」と聞いた世界最多記録を更新していたかもしれない。
③中上健次ならこんな小説を書く
「オバ」太郎が言う。「ピザ二枚でいいだろう。おれピザ頼むから、オバもピザにしな」
「おうよ」花子が言う。「ピザなんて、おまえいつも納豆定じゃなかったのか?」
「納豆定?シティーボーイのおれがそんなもの食えるかよ」
「誰がシティーボーイか?路地育ちのおまえが」
いつも吉野家で外食してることを隠すというように、かっこうをつけて太郎はウエイトレスにピザを注文する。
テーブルに飾った夏芙蓉の花が午後の日差しを浴びて光を撥ねる。
④大江健三郎ならこんな小説を書く
第4回『ノーベル賞作家作品のアニメ化と世界平和の国際会議』が東京で開催され、名誉コメンテーターとして招待された私(太郎)は、会合が済むと愛人の花子とともに都内のイタリアレストランでピザを食べた。
レストランで花子は始終、無口だった。
花子の着ているTシャツには『壊す人』がプリントされているが、これは私の全作品を宮崎駿監督がアニメ化したときにファン投票で選ばれた一番人気のキャラクターだった。
私は花子に語りかけた。
――このピザはねえ。実存主義の味がするよ。君のように頭の悪い人には何言ってるかわからないだろうけど、まあサルトルの哲学書でも読んでみたまえ。
数日後、花子から手紙が来た。
――あなたが書いた最新の私小説を文芸誌で読みました。わたしはあなたの小説で書かれたような、あんな無口で、頭の悪い女ではありません。少なくとも私のTシャツにプリントされたキャラクターは『壊す人』でなく、『縮む男』です。
(了)
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