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第五篇外伝 十七章

縞猫屋を出た映は、ひたすらに歩いて、主の待つ屋敷へと帰った。

 夜通し歩き、翌日も休むことなく、ひたすら歩き続けた。

 2日目の夜に、ようやく屋敷へと辿り着いた。

 大きな門をくぐると、庭で幼い女中が遊んでいた。石をひっくり返して、虫を見ている。

 ええとたしか、美衣(ミエ)とかいう名前にしたか。あれは頭が悪いし、声をかけると面倒なので、今は無視することにする。

 映は屋敷の中へ入ると、すぐに主の待つ部屋へと向かった。

 老齢の主は、具合を悪くしてから、部屋から一歩も出ようとはしなかった。

 映が主の部屋をノックする。返事はない。3秒待って、扉を開けた。3秒、返事がなければ、入ってよいということだった。

「遅くなりました」

 映が主に元へ歩み寄り、懐に入れていた、小さな手首――左手首を差し出す。

 主はそれを見ると、かっ、と目を見ひらき、右手で奪い取った 左手ではできない。主には左手首がなかったからだ。

 そして、自分の左手の断面に、奪い取った手首を押しつけた。

 主の小さなうめき声。少しの間をおいて、手首は主の左腕にくっついた。

「一安心、と言ったところですかね。これで、私の顔の傷も治せるというものです」

 そういうと、映の顔にあった大きなヤケドの痕は、あっと言う間に消えてしまった。

 塞がれていた目も、元に戻る。まあ、元に戻っても、人前では結局隠すことになるのだが。

「ようやく――落ち着いたわ」

 主が久しぶりに声を発する。

 それを聞いて、映がにこりと微笑みを返した。

「それは何より。では、久しぶりにお茶でもいれましょうか――アイシャ様」

「そうね。あなたのお茶を飲むのも久しぶりね、A」

 アキラ――映――エイ――A。

 映の正体は、悪魔アスタロト――Aだ。

 そして、Aが仕える老齢の主人というのは、高宮アイシャ。3000歳を超えているのだから、老齢と言うのは嘘ではない。不老不死なので、見た目は少女のままだが。

 アイシャは1人だけで帰ってきたAを見て、彼女にたずねる。

「マルファスはどうしたの?」

「色々ありまして。あの神社に封印されました。数十年から百年の間、あの神社と土地を守ることになります」

 麻有――マアル――悪魔マルファス。彼女の正体もまた、ソロモン霊72柱の1人。悪魔マルファスは、大きなカラスの姿をしている詐欺師の悪魔。ハナガラスに乗り移り、そのまま神社に封印されてしまった。

「封印? 何それ?」

 アイシャが怪訝な表情でたずねると、Aは微笑んだまま答えた。

「あなたの手首を取り返すためですよ。マルファスの働きがなければ、アイシャ様の手首は、今ごろ天使教会に届けられていました。詳しくは、後でお話」

「呼び戻したばっかりなのにね――ま、いいわ。ほんの数十年ぐらい、貸してやるわよ」

「ええ。すぐでございますよ――我々にとっては、一瞬のようなものです」

 Aが言うと、庭から幼い女中、美衣が戻ってきた。手も服も泥だらけだ。

「こら、汚い姿でアイシャ様の部屋に入ってはいけないと、いつも言っているでしょう」

「――お?」

 美衣――Bは首をかしげて、泥だらけの手を、Aの服で拭いた。


 シモンが箱に入れて保管していたもの。

 天使を追い払う力を持っていたもの。

 悪魔達が必死で取り返そうとしていたもの。

 それは天使遺骸などではない。

 切り落とされ、奪われたアイシャの手首だ。

 手首にも魔力は残っている。それを使い、天使の奇跡を弾き返していた。

 話は、花烏奇譚の冒頭に戻る。


 それは、ようやく桜が咲き始めた、3月も末の、ある日のこと。

 少女が変質者に襲われたという噂が広がった日のこと。

 花鳥神社の近くの裏路地で、1人の惨殺死体が発見された日のことだった。

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