第三章
「あ、お姉ちゃん。お話終わった?」
呑気な声と表情で応接室に入ってきたのは、菜子だった。一緒にやってきたグレモリイは、なぜだか機嫌が悪いようにみえる。
「菜子……その、大丈夫? 何もなかった?」
令が菜子の方へと遠慮がちに駆け寄る。本当は、何かされなかった? と聞きたいところだろうが、直巳達の手前、失礼なことも言えない。遠慮がちに駆け寄ったのも同じ理由だ。
「うん? 別に何もないけど? ずっとグレモリイさんのお部屋でお話してただけだし」
姉が何を心配しているのかもわからない、というような様子の菜子を見て、令は安堵の溜め息をついた。
「それよりさ! グレモリイさんの部屋、すっごいオシャレなんだよ! 椅子もベッドもないの! アジアンテイスト、っていうのかな? クッションとかカーペットとか、そういうのがすごい可愛くて! 洋服とかアクセサリーもたくさん持ってるの! お茶もご馳走になっちゃった! なんか、変わったお茶!」
「そう。それはよかったわね」
令は菜子の話を笑顔で聞いている。アイシャはAに煎れ直させたお茶を飲み、伊武は部屋の隅で、直巳と令のことを交互に観察している。
直巳は不機嫌そうなグレモリイにそっと近付くと、小さな声で話しかけた。
「ねえ、グレモリイ。不機嫌そうだけど、何かあったの?」
グレモリイは横目で直巳を見ると、同じく小さな声で答えた。
「どうもこうもないわよ……菜子とあたしの部屋で話をしてて、あの子が洋服買ったっていうから、どんなの買ったか見せてもらったのよ」
「そうなんだ。女子同士、楽しそうじゃん」
「まあね……それでね。あの子、ピチTっていうの? 買ってたんだ。で、それを広げて見てたら、グレモリイさんもそういうの好きですか? っていうわけ。だから、私はちょっと着ないかなーって答えたの」
「うん……まあ、グレモリイの雰囲気とはちょっと違う……かな」
「そしたらあの子ね……ふふっ……何て言ったと思う?」
直巳は思い出した。菜子は口じゃなくて頭が悪いんです、という令のフォローを。
グレモリイは、菜子を見つめながら、笑顔を浮かべて言った。
「体型ですか? たしかにこれだと小さすぎて入らないかもー。あ、年齢的なことですかね? 大丈夫ですよ! そういうエッチっぽいおばさんもたまにいますし、だって……ふふっ――おかしいわね?」
「は……ははっ……」
直巳はグレモリイに合わせて渇いた笑い声をあげるしかない。
「ねえ、直巳君」
「はい」
「私、あの子が嫌い」
「だろうね」
菜子を見ながら舌打ちを連発するグレモリイをなだめていると、菜子との話を中断した令が、直巳の方にやってきた。一度、自分の腕時計を見てから、申し訳なさそうに口を開く。
「あの、椿君……タクシー代貸してもらえる?」
時刻は夜の九時半。直巳は、令の家が遠いということは聞いている。もう、タクシーを使わないと間に合わないのだろうか。
「うん、いいよ。いくらぐらい?」
直巳が財布を取り出すと、令はさらに申し訳なさそうな声を出した。
「……何万円ぐらい借りられる?」
「え……そんなに?」
「いや、途中まで電車使うよ? 使うけど、最悪の場合を考えて、一応ね? 菜子も連れてるし……明日、椿君達が家に来たら、ちゃんと返すから……」
直巳と令がこそこそ話しているのを見て、Aが近寄ってきた。
「どうなさいました? 令様にお困りごとでも?」
そういうと、Aは直巳が財布を持っているのを見て、首をかしげた。
「お金が……ご入り用ですか?」
「いや、令達は家が遠いから。タクシー代を貸そうと思ってたところなんだ」
直巳はAが変な勘違いをしないように、慌てて説明をした。
「ああ、そういうことでしたか」
Aはポン、と手を叩くと、わざと大きな声で言った。
「ならば、今日は泊まっていかれては? 明日の朝、直巳様達と一緒に花鳥神社へ向かえば良いではないですか」
「え……でも、それは悪いというか……」
令はとりあえず断る。まあ、それが普通の対応だろう。
「はい! あたし、泊まりたいです! もっとグレモリイさんとお話したい!」
だが、菜子はAの提案に乗り気だった。
「私は別に話したくないんだけどね」
グレモリイは乗り気じゃなかった。
「ちょっと、菜子。さすがにそれは失礼でしょ」
令が菜子を止める。ここでまた、騒がしくなりそうなところで、アイシャが口を開いた。
「泊まっていきなさいよ。巫女様に何かあったら大変だわ。今から御神体と三千万持って姉妹だけで帰るのと、明日の朝に直巳とまれーをつけて一緒に帰るの、どっちが安全だと思う?」
「それは……」
令がアイシャに何も言い返せなかったので、話はここで終わった。
令は家に電話をして、今日は泊まると伝えた。Aが電話をかわり、事情を説明をすると、令の祖母は外泊を許可してくれた。わりと、話の通じる人なのかもしれない。
「それでは、我々はもう出発しますので。後はお任せします」
令達が泊まると決まった直後、Aはそう言って、アイシャと一緒に応接室を出ようとした。
「え? 今、夜だよ?」
驚いた直巳が呼び止めるが、Aはしれっとした顔で、「はい」とうなずいてから言った。
「明日の朝一の便で出国しますので。今日は空港近くのホテルに泊まろうかと」
「ああ、そう……わかった」
直巳は、ずいぶんと急な話だなと思ったが、それだけ事態が切迫しているのかもしれない。
自分が神社へ行くことについても、行って祭りを見てこいと言われただけで、細かい指示などもない。Aがそんな雑なことをするとも思えないし、これは本当に簡単な任務なのかもしれないと、直巳は思い始めた。
アイシャとAが応接室を出ていくのを見送る。
そして直巳は、残された全員が直巳を見ていることに気が付いた。
Aがいない今、自分が仕切らなくてはならないだろう。
直巳は全員を見渡して、小さく咳払いをした。
「えーっと……それじゃ……ご飯でも食べます……か?」
「はい! お腹空きましたー!」
直巳が探り探り言うと、菜子が元気良く手をあげた。
「そ、そう? じゃあ、ご飯にしようか」
「はーい! みんなでご飯だー! お姉ちゃんも、グレさんも一緒ー!」
「さっわんな!」
菜子がグレモリイの手を握ると、グレモリイがちょいギレでその手を振りほどく。だが、菜子は冗談だと思って笑っていた。
「じゃ、高宮邸だと食材もないだろうから、椿家に移動しようか。ついてきて」
直巳はそういって、全員を誘導して応接室から出る。
階段を上り、2階へとたどりついて――そこで気が付いた。
高宮邸と椿家は、本来、かなり離れている。普通に移動すれば、車を使っても1時間ではすまないぐらいだ。
だから、お互いの家を空間転移で繋いでいるのだ。思いっきり魔術である。そして、直巳達は自分達が魔術師であることは、令達に伝えていない。
やばいやばい――どうしよう。今から目かくしさせるのも変だし、実は魔術師なんですって言い出しても面倒だし、というか、必要がなければ、できる限り言いたくないし――。
直巳が冷や汗をかきながら、それでも良い案が思い浮かばず、廊下の突き当たりに到着してしまう。
高宮邸2階の突き当たりには壁がなく、かわりに椿家の廊下が見えている。思いっきり、直接つながっている。
もう、令達にも椿家の風景は見えているだろう。今からは隠せない。さて、どうな言い訳をしたらいいだろうか。っていうかなんで俺だけがあせってるんだろう。伊武は何も言わないし、取り乱した様子もないし、令達にどう思われようと興味がないんだろうけど、もうちょっと何かこう、焦ったりしてもいいと思う。
「へー……ここから椿君の家に繋がってるんだ。ずいぶん、思い切って増築したんだね」
突然、令がそんなことを言い出した。
「へぇ?」
直巳が間抜けな声を出すと、令が、「なにこの人気持ち悪い」というような目で見てくる。
「いや……だから、この屋敷に増築したんじゃないの? 椿君の家。この廊下で繋げて」
どうやら令は、高宮邸と椿家がくっついているのだと思っているらしい。
なるほど。普通に考えたらそう思うだろう。令は高宮邸の外観、すべてを見ているわけではない。屋敷の裏手か横に椿家がくっついて建っているとでも思っているのだろう。
それを理解した直巳の表情が、みるみる明るくなっていく。
「――そう! 無理矢理建ててさ! 雰囲気が結構違うから、驚かないでね!」
「別に驚かないけど……普通の家だよね? もう見えてるし……ってか、なんでそんなテンション高いの?」
「いや! 何でもないよ! うん、大丈夫」
直巳は両手で自分の頬をパンパンと叩くと、表情を引き締めた。令と菜子は、そんな直巳を見た後、お互いに見つめ合って不思議そうな表情をしている。
後は、出来るだけ椿家から外を見せない。玄関を使わせない。ここに気をつければ、なんとか誤魔化しきれるだろう。ちょっと考えれば、椿家は高宮邸の間取りに食い込んでいるのでおかしいのがわかるのだが、気にしなければ意外とそれで済む――済むはずだ。
椿家の1階へ降りて、玄関を見せないようにしてリビングへと案内する。
途中、令が、「あれ?」と言いながら、方角を確認するように辺りを見回していたが、直巳はガン無視した。菜子は地下で迷子になるタイプなので、まったく気づいていなかった。
リビングに入り、そこにいた直巳の姉、椿つばめや、アイシャのメイドである、高宮Bを令達に紹介する。つばめは車椅子なので、足が悪いとだけ伝えておいた。足が石膏化していることがばれると厄介なので、隠しておく他にない。
「それじゃあ、遅くなったけどご飯にしようか。2人とも、テレビでも見て待ってて」
直巳がそう言うと、菜子が元気良く手をあげた。
「はい! 私、ご飯作るの手伝います!」
どうやら、夕食の手伝いを願い出ているらしい。
「いや、でも……お客さんだから……」
直巳がそういうと、菜子は胸を張って自身ありげに言った。
「ふふーん。お客さんだからこそ、お手伝いするんですよ! 大丈夫! 私、料理得意なんですから! お姉ちゃんはもうぜんぜん駄目ですけど!」
「ちょっ……まあ、そうだけどさ……」
意味もなく料理下手をばらされた令は、バツが悪そうに言う。
「まあ……菜子が料理得意なのは本当だし……ただで泊まらせてもらうのも悪いので……よかったら、使ってやってください」
「うーん……まあ、そこまで言うなら……じゃあ、お願いしようかな」
直巳が遠慮がちに了承すると、菜子は子犬のように駆け寄ってきた。
「はい! 私1人でもいいですよ! あ、どこに何があるかだけ教えてくれれば!」
「そ、そう? じゃあ、一緒に――」
そう言いかけたところで、直巳の携帯にメールが着信した。
差出人はA。内容は簡単なものだった。
「アイシャ様からお話があります。すぐに高宮邸玄関までお越しください」
すぐ、というからには、今すぐなのだろう。直巳は携帯を閉じると、小さな溜め息をついた。
「ちょっと、アイシャに呼ばれたから。俺の代わりに――」
「いいわよ、なおくん。私がお手伝いするから、いってらっしゃい」
そう言ったのはつばめだった。普段、つばめがメインで料理をすることはないのだが、手伝いと味見ぐらいはできるだろう。
それに、いつも家にこもっているつばめに取って、菜子との交流は息抜きになるのかもしれない。
「じゃあ、姉さんにお願いしようかな。菜子、姉さんのことお願いね」
「はい! それじゃお姉さん、やりますよー。美味しいご飯を作りましょー! おー!」
「おー。なんちゃって……ふふ……」
そういうと、菜子は楽しそうにつばめの車椅子を押して、キッチンへ向かっていった。
直巳は伊武に、「なんかあったら頼むね」とだけ言って、高宮邸へと戻っていった。
直巳は1人で高宮邸に戻り、玄関へと向かった。
玄関の扉の前に、大きなカバンを持ったAと、手ぶらのアイシャがいた。アイシャは外出用の真っ黒な毛皮のコートを肩で羽織っており、少女とは思えない威圧感を発していた。
直巳がアイシャの元へ向かうと、アイシャは、「遅い」と言ってから、話をはじめた。
「直巳、あなたを呼んだのは――ま、出発前の注意事項ってやつよ。言ったとおり、私達はこれから数日間、海外へ向かうわ。なるべく早く帰ってくるつもりだけどね」
直巳はアイシャの話を聞きながら、彼女の後ろに控えるAのことを気にしていた。
いつもなら、ただ静かに建っているだけのAが、ジッとアイシャのことを見つめていた。まるで、彼女のことを監視するかのように。それが、少し気になる。
「直巳、あなたのやるべきことは、わかっているわね?」
「ああ。天使教会から神社を守って、祭りを成功させればいいんだろ?」
直巳の返答にアイシャがうなずく。
「そう――そして、天使教会の妨害は、あの巫女達が思っているよりも苛烈になるでしょう。たとえば巫女の抹殺――そういうことまでも、起こると思っていて」
アイシャの話に、Aがピクリと反応する。だが、それだけだった。何も言わない。
直巳はAの様子を気にしながらも、アイシャに答えた。
「まあ――そんなこともあるかな、とは思ってたよ。だから、伊武をつけたんだろうし。でも、そのことを令に伝えなくていいの? 伝えた方が、護衛もやりやすいんじゃない?」
「いいのよ。言えば、余計なことまで話す必要が出てくる。天使教会や私達のこと、色々とね。とりあえずは神社に入り込む。必要があれば護衛をして、既成事実を作ってしまえばいい」
直巳は、アイシャの相変わらずの発想に苦笑する。結果として、やっていることは人助けなのだが、その方法については悪人そのものだ。
「やり方が侵略と同じだよ――ま、とにかく祭りを成功させるよ。何をしてでもね」
「それでいいわ。ああ、私達はしばらく連絡が取れなくなるかもしれないから、現場の判断はすべて直巳にゆだねるわ。好きにやってちょうだい」
「好きに……って言われてもな……」
「金も道具も悪魔達も、好きに使いなさいってこと」
「アイシャ様、そろそろお時間が」
アイシャの話の途中に、Aが割り込んでくる。アイシャは小さく舌打ちをしてから、「わかったわ」と、Aを見ずに返事をした。
「それでは直巳様。後のことはよろしくお願いします。お戻りいただいて結構ですよ」
Aが笑顔で言って、話を打ち切った。そして、アイシャのために玄関の扉を開ける。
直巳はAの態度に妙なものを感じながらも、椿家に戻ろうとして――。
「直巳」
アイシャに呼び止められた。
「アイシャ様」
Aが間髪いれず、たしなめるようにアイシャの名前を呼ぶ。
だが、アイシャはAを無視して言葉を続けた。
「直巳、私達がいないのだから、気をつけるのよ。巫女から目を離さないように、しっかり護衛するのよ――最後の最後までね」
「ああ、わかった」
「――それだけよ。覚えておいてね」
Aがアイシャを睨む。アイシャは目もあわせない。
直巳は2人を見比べると、笑顔を作って言った。
「それじゃ、俺は戻るよ。2人とも、道中気をつけて」
直巳は何も気づかなかったふりをして、アイシャ達の元から去り、椿家へ戻っていった。
直巳の姿が見えなくなった後、Aが冷たい声でアイシャに言った。
「ギリギリですよ」
「ええ。だから、越えてないでしょう。一般的なアドバイスよ」
「――まあ、いいでしょう」
そういうと、Aは玄関から外に出て、夜空を見上げた。
「我々は遠い異国の空から、花鳥様のご帰還をお祈りするとしましょう」
直巳が椿家のリビングに戻ると、キッチンの方からカレーの良い匂いがしてきた。
先ほどのアイシャやA達との会話のことを引きずらないように、直巳はわざと明るい声を出しながら、キッチンへと向かう。
「お、カレーかー。美味しそうだね」
直巳が言うと、エプロンをつけた菜子が、鍋をかき混ぜながら振り返った。
「はい! すぐ作れるし、みんなで食べられるものと言ったらカレーですから!」
直巳が鍋を覗き込むと、もうルーも入っているし、完成間近のように見える。
「……いや、いやいや。いくら何でも早すぎない? もう出来てるの?」
直巳がリビングを出て、アイシャ達と話をして戻ってくるまで、20分程度しか経っていない。それでこんなに早くカレーができるものだろうか。
直巳が不思議そうな顔をしていると、近くにいたつばめが楽しげに言った。
「なおくん、なおくん。あのね、菜子ちゃんってばすごいのよ。私、あんなカレーの作り方、初めてみちゃった」
つばめに褒められると、菜子は得意気に胸を張る。
「ふふーん。そうなんですよー。今作ってるのは裏技カレーなんですよー」
「裏技カレー?」
直巳がたずねると、菜子はキッチンに置いてある電化製品を指差した。
「あれを使ったんです! フードプロセッサー! あれで、野菜を全部ペースト状にしちゃうんです。それを炒めて煮込めば野菜に簡単に火が入るから、時間短縮なんですよー。お肉は薄切りのを使えばいいですし!」
どうせ煮込んで野菜が溶けちゃうなら、最初から溶けててもいいだろう、ということか。なるほど。それなら火もすぐに通るし、野菜を切る手間も省ける。
「はー……なるほどなー……そんなやり方があったんだ」
直巳は素直に感心した。菜子が料理上手というのは、ちょっと包丁が使えるとか、そういうレベルではないのだろう。これは熟練の主婦どころか、料理研究家のようだ。
「後はご飯が炊ければ、すぐに食べられますよ! 煮込みの時間は、それまでで十分!」
「時間の無駄もない! 菜子、すごいね!」
「えへへー。すごいでしょー?」
素直に褒める直巳と、素直に受け取る菜子。その微笑ましい様子を見ながら、つばめは小さく拍手していた。
そして直巳は、電子レンジも動いていることに気づいた。もう一品ぐらい、何か作っているのだろうか。
「じゃあ、俺は食器の用意してるから」
「はーい。お願いしますねー」
直巳が全員分の食器をリビングのテーブルに並べはじめる。令は手伝おうともしないが、直巳にはその理由がすぐにわかった。
「ちょ! やめてって……」
「おー……?」
何故だか、Bが座っている令にまとわりついている。令も相手が小さい子なので、あまり邪険にもできず、どうしたらいいものか困っているようだ。直巳から見ると、Bは恐らく、撫でろと要求している。
正直、食器を並べてもらうより、Bの相手をしてもらっていた方が助かるので、直巳は見てみぬふりをした。
「ねえ、直巳君……ちょっと」
食器を並べ終わると、リビングの端っこで雑誌を読んでいたグレモリイに呼ばれる。
「何? どうしたの?」
直巳が近寄ると、グレモリイはいかにも不機嫌そうな表情をしていた。
「ねえ……今日のご飯、カレーなの?」
「ああ、そうだよ。すぐ作れるし、嫌いな人もそんなにいない……って、グレモリイ、カレー嫌いだった?」
「別に、カレーは嫌いじゃないわよ。でも、あれでしょ? カレーライスってやつでしょ?」
「そうだよ。カレーライス」
直巳が答えると、グレモリイは、はぁと溜め息をついた。
「でた、ライス。ほんと、何でもライスつけたがるのね、あなた達って」
「な! ライスの何がいけない!」
直巳も食欲旺盛な男子高校生なので、とにかくライスをつけることが多い。ラーメンにライス。お好み焼きにライスは当たり前だ。ライスがなければ始まらない。
ちなみに、伊武はもっとすごい。何でもライスを食べるというか、特におかずすら必要ない。一度、「伊武は練乳のかかったイチゴでもライスが食べられるのか?」という実験をアイシャとしたことがある。
夕食時に何も言わず、練乳をかけたイチゴとライスを食卓に並べて、「いただきまーす」と食事を開始したところ、伊武は少し迷ってからイチゴをかじってご飯を食べ始めた。おかわりもした。ぶっちゃけ、何だっていいのだ。
「伊武なんてイチゴでライスいけちゃうんだぞ!」
「いや、あの子は特別すぎるでしょ。っていうかさ、あなた達の作るカレーって、ジャガイモ入っているでしょう? あれが意味わからないのよ。ジャガイモって主食でしょ? なら、ライスいらないじゃない。あの組み合わせは変よ」
「うーん……まあ、そう言われれば……」
たしかに、地域によってイモは主食だろう。それを2つ食べるというのが、グレモリイには納得いかないらしい。彼女にしてみれば、ご飯とパンの両方を食べているようなものなのだろうか。
「でも、そんなたくさん入ってるわけじゃないし……まあ、グレモリイはジャガイモ抜きにすれば……あ、そうだ。野菜は全部ペーストになってるから、目立たないよ」
「……そう? ま、他の料理作れっていうほどじゃないし」
直巳が言うと、グレモリイは渋々ながらも了解した。
そしてカレーが完成し、菜子がカレーをよそってグレモリイに配る。
そのカレーを見て、グレモリイが真顔になった。
「できましたー! 菜子特製、野菜たっぷりジャガイモほくほくカレーですよー!」
どういうことか、カレーには、ほぼまるごとのジャガイモが一個、ドンと乗っている。
なぜだ? 野菜はすべてフードプロセッサーでペースト状にしたはずでは――。
そこで直巳は、キッチンで動いていたもう1つの電化製品の存在を思い出した。
「あ、レンジか」
菜子はジャガイモだけは別にして、レンジで調理していたのだろう。短時間で、まるごとのジャガイモを食べられるようにするには、煮込むよりもレンジの方が早い。
「さあ、グレモリイさん! どうぞ! あ、ジャガイモにバター乗せます?」
「ねえ、菜子」
「はい!」
「私あなたが嫌い」
「ええー! なんでですかー!?」
直巳は、令が溜め息をついて頭を押さえるのを見た。見なかったことにした。
「はい、いただきまーす」
直巳達はギャーギャーと騒ぐグレモリイと菜子を無視して食事をはじめた。
菜子のカレーは甘口だったが、なかなか美味しかった。
ちなみにグレモリイは、ライス無しのカレーポテトを食べることになった。
「お味はどうですか?」
菜子がキラキラとした目でグレモリイを見つめる。
「うーん……これぐらいっ……かなっ!」
グレモリイが笑顔で指を2本立てる。
「あ、星2つってやつですねー。厳しいなー。三つ星は遠いですねー」
菜子が指を鳴らして悔しがると、グレモリイの表情が一変した。ゲス顔に。
「はぁぁあ!? 直巳君のカレーは92点! あんたのは100点中2点よ!」
「ええー! なんでですかー!?」
まあ、楽しそうなので放っておくことにした。
食事が終わった後、令と菜子は風呂に入った。下着は洗濯して、乾燥機にいれれば明日の朝には着られるようになっている。
その間は、グレモリイが持っていた未使用の下着を貸すことになった。一番余分に下着を持っているのがグレモリイだったからだ。パジャマはどちらも、つばめが貸した。
「なんですかこれー! こんなのパンツじゃないですー! パンツのわるふざけですよー!」
「それが大人パンツよ! 覚えておきなさい小娘!」
「お姉ちゃーん! あたし普通のパンツ履きたいよー! こんなエコパンツやだよー!」
洗面所で、またグレモリイと菜子がギャーギャー騒いでいる。令の大きな溜め息が聞こえた。
結局、わりと普通のパンツを貸す、というか差し上げることで決着がついた。グレモリイいわく、「あんな小娘どもの履いたパンツなんかいらない」ということらしい。
「それじゃ! あたしグレモリイさんと一緒に寝ますね!」
「はあぁぁ!? 嫌に決まってんでしょ!?」
菜子はグレモリイの拒絶を無視して、ガシっと腕を組む。
「いいじゃないですかー。ガールズトークしましょうよー」
グレモリイはそのまま菜子に連行されて、高宮邸へと消えていった。
残された令が、どうしたものかとあたりを見る。
湯上がりでパジャマを着た令。可愛らしくもあるのだが、それでもやはり、彼女は綺麗だった。清潔な色気、とでも言えばいいのか。
直巳が思わず見とれていると、それに気づいた令が、不愉快そうに顔をそらした。会って初日の人間にパジャマ姿を見られるのは、気持ちが良いものでもないだろう。まあ、令が人見知りなのと、高宮の仲間である直巳のことを信頼していない、というのもあるが。
直巳は、令にどこで寝てもらおうかと悩む。Aの部屋は空いているだろうが、勝手に泊めたら怒るだろうし、それ以前にまずい。妙なものが出てこないとも限らない。たとえば拳銃や弾丸――それならば、まだいいのだが。
ならば、後はつばめか。しかし、つばめは足が悪い。寝る時は車椅子から降りるし、何かのはずみで石膏化した足が見えてしまうかもしれない。
と、なると――1人しか残っていない。
「伊武……令を部屋に泊めてもらってもいいかな?」
直巳が申し訳なさそうにたずねると、伊武はノータイムでうなずいた。
「いい……よ……」
基本的に、伊武が直巳の頼みを断ることはない。
伊武は令の方を向くと、いつもの低いテンションでボソボソと言った。
「それ……じゃ……部屋……行く……から……」
「え、ええ……ありがとう」
令は若干、怯えながらも伊武について2階へと上がっていった。
直巳は2人を見送ってから、ぼそっと呟いた。
「伊武の部屋……ベッド1つだし……布団なんかないよな……」
椿家のある伊武の部屋は、とにかく物が無い。まともな家具はベッドだけだ。後は何の味気もない収納が少しあるだけ。
「一緒に寝るのかな……まあ、そうなるか……伊武と令が……一緒にね……」
直巳はしばしの間、かなり理想の入った、2人が一緒に眠る姿を想像してから自分の部屋に戻り、眠りについた。
ちなみに、伊武は令をベッドで寝かせて、自分は布団も毛布もない、ただの床で寝た。それぐらいで具合が悪くなるほど、伊武は繊細な作りをしていない。令はしばらく伊武の寝姿を見た後、伊武に毛布を一枚かけてから眠った。