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第五篇外伝 十一章

 翌日から、ハナガラスは再びシモンを張り込むことにした。

 しかし、今度は夜になっても、巫女と会おうとはしない。

 ただ、天使教会の取り巻きが、頻繁に神社に出入りしていた。

 何やら動きがあるのだろうと思い、ハナガラスは変装をして取り巻きにぶつかった。軽く頭を下げて、そそくさと立ち去る。その手には、一枚の書状があった。ハナガラスは、ぶつかった拍子にスったのだ。

 物陰に隠れて書状を読む。そこには、シモンと慶の結納の日取りが書いてあった。日にちは7日後。文章を見るに、シモンが強くことを進めようとしているらしい。しつこいほどに念押しがしてあり、神社は了承の返事をしているが、素っ気ないものだった。

 なるほど。後は内々にことを進めようとしていたのか。ここで自慢して回るようなことはせず、しっかりと実現に移していくとは抜け目のないやつだと、ハナガラスは敵ながら感心した。

 そしてハナガラスは、その書状を落とし物だと言って、シモンの泊まっている宿に届けた。

 今、下手な細工をするつもりはない。2人が揃い、顔を出す日がわかっているのだから。

 その瞬間から、ハナガラスは7日後に備えての準備を始めた。

 その間、アキラに会うことは一度もなかった。アキラのことを考えることすら、なかった。


 6日経った。ハナガラスの準備はほとんど終わっている。

 ハナガラスは、ふと、縞猫屋のオヤジのことが気になった。もう、一週間以上も顔を出していない。

 明日、勝っても負けても、ハナガラスの人生は大きく変わるだろう。もしかしたら、この町にいられなくなるかもしれない。

 その日の夜、ハナガラスは久しぶりに縞猫屋の戸をくぐった。

「おう、オヤジ。飯もらえるか」

 ハナガラスがいつもどおりに声をかけると、縞猫屋のオヤジは、目を剥いて驚いた表情をした。

「ハナガラス! 久しぶりじゃねえか! どうしたんだよ、おい! 心配してたぜ!」

「いや、まあ。ちょっと、ごたごたしててな」

 ハナガラスが席に座ると、オヤジが熱い番茶を出してくれた。一口すする。いつもと同じ、美味くもない、それでいて懐かしい味がした。

「いや、おめえが大けがしたとか、洋装の女と乳繰り合ってただとか、そんな噂を聞いてな。それで顔も出さねえし、もしかしたら、アキラさんと駆け落ちでもしたんじゃねえかって」

 オヤジの言葉に、ハナガラスはブッと番茶を吹く。何でも誰かに見られていて、何でも気軽に話すものだなと、ハナガラスは感心すらしていた。

「駆け落ちなんかするもんかよ。アキラとは、別に何もねえ」

「そうかい? アキラちゃんも来なくなったし、そうだと思ったんだけどなあ……」

「なんで残念そうなんだ。駆け落ちして欲しかったのか」

「いや、複雑なところだよ。おめえに女が出来たら喜ばしい。しかし駆け落ちとは面倒なことしやがったなって、ずっと悩んでたんだ」

「相変わらずバカだな、オヤジ」

 ハナガラスは笑いながら、もう一口番茶をすする。まあ、バカだが、自分のことをここまで考えてくれるのは、このオヤジぐらいなものだろう。ハナガラスは飯だけ食って帰るつもりだったが、きちんと話をしておこうと思った。黙って姿を消すのは、やはり心苦しいと思った。

「まあ、もしかしたら……もしかしたらだけどな。本当に顔が出せなくなるかもしれねえんだよ。だからな、こうしてオヤジに会いにきたんだよ」

 ハナガラスが真面目な口調で言うと、オヤジは、はぁ、と溜め息をついた。

「……何をな。何をするつもりかは知らねえけど、いつかこんな時が来るんじゃねえかって思ってたよ。なんだかんだ言って、おめえはヤクザもんだ。しょうがねえよ。止めて止められるもんでもないんだろう。でも、気をつけるんだぜ。死ぬよりつまんないことはないぜ」

 何を想像しているのかは知らないが、とにかく心配してくれているようだった。

「そうだな。でも、もしかしたらって話だ。転がりようによっちゃ、また何でもなく顔を出すかもしれねえ」

「そうなることを願ってるよ。しかし、なんだ? 旅にでも出ちまうのか?」

「まあ……そんなところだな」

 明日の戦いが終わったらどうなるか。そんなことは、もう何百回も考えた。

 勝って神社に居残るか。負けて町を出ることになるか、もしくは死んでしまうかだ。

 まあ、死ぬかもしれないなんて、オヤジに言うわけにはいかない。この辺にしておいて、後は飯でも食って退散するかと思っていた時だった。

「ハナガラス、旅に出るの?」

 足元に、まりがいた。その後ろ、店の入り口の方には、母親もいる。以前、ハナガラスが囲まれた時に助けてもらって以来だ。こうして改めてみてみると、なんだかぼんやりしていて、そんなに強そうには見えないのだが。

 ハナガラスは母親に軽く会釈をしてから、足元のまりに話しかけた。

「もしかしたらって話だ。旅なんか、したこともねえんだけどな」

「そうなの? 旅、面白いよ!」

「ほう。まりは旅慣れてるのか」

「うん! 母様と、ずっと旅をしているから」

「へえ……そうだったのか。母と娘で旅をねえ」

 ハナガラスは母親を見る。ぼーっとしていて、どこを見ているかわからない。まあ、腕は立つようだから、食うに困ることもないだろう。ちょっと様子はおかしいが、子供を産んでるにしては見た目も悪くない。いざとなれば、どっかの男と一緒になることだってできそうだ。

 そうしていると、母親の方が、無言でハナガラスの横に座った。

「一緒に……ご飯……いい?」

「え、俺とか?」

「うん……まりも……そうしたがってる……し……」

 ハナガラスが返事をする前に、まりが椅子をよじのぼって、ハナガラスの隣りに座った。

「ははっ! 両手に花で、真ん中にカラスだ!」

 オヤジが笑うと、まりもつられて笑った。意味はわかっていないだろうが。

「ま……この間も礼もあるしな……よし、俺のおごりだ! 今日は食うぞ!」

 ハナガラスは威勢良く言って、机にバンと財布を置く。

「よっ! おだいじん! それじゃ、気の変わらねえうちに、どんどん出すからな!」

 オヤジは陽気に拍手をしながら、次々に料理を出してきた。どれもまあ、たいした味ではなかったが、たしかに量だけはあった。

 まりと母親はハナガラスに礼を言うと、遠慮なく、本当に遠慮なく食べ始めた。この小さい体で食いだめでも出来るのか、というぐらいに食べた。

「飯が胸にでも入るのかな」

 背が小さいのに、やたら大きな胸を見て、ハナガラスがボソっとつぶやくと、母親は自分の胸を不思議そうに揉みはじめた。

「そんなに……大きい……かな……」

「でけえよ。揉むんじゃねえ、乳が出ちまうぞ」

「いやあ……いいもん見れたなあ……」

「まりもおっきくなるかな?」

 なんというか、全員雑だった。そのままワイワイと食事が進む。オヤジはいつの間にか、店の酒を飲み始めていた。その代金をハナガラスにつけようと思っている。

 まりの母親も、オヤジに進められて酒を飲み始めたころ。ハナガラスが大根の葉のおひたしをかじっていると、まりがハナガラスの、真っ黒な外套をつまんでいた。

「なんだ? 飯でもこぼしたか?」

「ううん。これ、やっぱり格好良いなあって」

「そうか? ただの外套だぞ。女の子なら、もっといい着物とか、洋装に憧れるもんだろう」

 ハナガラスはそう言うが、まりはすっかり外套が気に入っているようだった。

「母様! まりもこれ欲しい!」

「それは……男の人の……だし……大きいから……まりには……どう……だろう……」

「うーん……そっかあ……じゃあ、おっきくなったら、また考える」

 母親が困ったように言うと、まりは大人しく引き下がった。

 ずいぶんと物わかりのいい子だなと、ハナガラスは感心する。たまに町で、あれが欲しいと泣きわめいているガキどもに見せてやりたいと思うほどだ。

「……じゃあ、まりが大きくなったらやるよ」

 ハナガラスは何の気なしに言っただけだ。大人が子供にする、無責任な約束。

 それでも、まりは表情を明るくして喜んだ。

「ほんと!? じゃあ、約束ね!」

 まりが小指を出してくる。ハナガラスは付き合って小指を出してやった。

「ああ、約束だ」

 まりはハナガラスに小指を絡めて、ゆーびきーりげーんまーんと歌い出した。

 まさか、自分が女と――子供とは言え、指切りするとはなと、ハナガラスは苦笑した。

「まり……よかった……ね……」

「うん! ハナガラスと約束した!」

 まりが嬉しそうに言うと、母親は微笑んだ後、ハナガラスに耳打ちした。

「ごめん……ね……ありがとう……ね……」

 ハナガラスに、母親がそっと耳打ちする。

「いいさ。どっちも気まぐれの約束だ。大きくなったら、もっと可愛らしい着物を欲しがるだろうよ。こんなもん、本当にくれてやっても構わないけどな」

 ハナガラスが言うと、母親はにっこりと微笑んだ。

「優しい……ね」

「バカ言うな」

「まりと結婚……する?」

「しねえよ」

「じゃあ……私とする?」

「しねえよバカ」

 突然何を言い出すのか。ぼやっとしたまま、淡々と言うので、本気か冗談かわかりにくい。

「じゃあ……一緒に旅……する?」

 まりと、この人と3人で旅か――何のしがらみもなく、たまに荒事で金を稼いで――相棒がこの人なら、さぞかしい楽しいだろう。想像すると、ハナガラスの表情が少し緩む。でも。

「それは――楽しそうだけど、やめとくよ」

「そう……残念……」

 そういうと、母親はふふっと笑った。何だか、遊ばれているようで尻がむずむずする。別に、嫌な感覚ではないけれども。

 それから少しして、お開きになる。

 ハナガラスは最後に一杯だけ、山葡萄の酒を頼んだ。

 赤い酒を見ていると、アキラのことを思い出した。

 それを忘れるように、一気に飲み干して、オヤジとまり達に別れを告げた。



 翌日の夕方。ハナガラスは起きると、すぐに水を浴びて、無理矢理に体を目覚めさせた。

 腹に、真っ白なサラシを何重にも巻く。

 その上から、真っ黒な学生服を着て、真っ黒な外套を着る。

 得物は真っ黒な木刀だ。中には、しっかりと鉛を流し込んである。自分の人生を変えたあの日、持っていた武器。今日、この木刀で、もう一度人生を変える。

 他にも細かい仕込みをした後に、金をはたいて買った、取っておきをズボンに差した。

 そして最後に、学帽をギュッとかぶる。

 真っ黒な姿に、外套が揺れる。

「花鳥に 一本足りない 花烏」

 ガラスに映る自分の真っ黒な姿を見て、ハナガラスは、そう呟いた。

 部屋を出て、神社へと向かった。陽はもう、すっかり落ちている。

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